間もなくロンドン五輪が正式に開幕しますね。
先陣を切って、サッカーなど一部競技では予選が始まっていますが、夏の五輪は冬季五輪よりも競技数も多く参加国も多いので、
比較的派手な印象を覚えます。
それはさておき、日頃フィギュア(や観劇)メインで記事を書いていますが、家族の付き合いで昨夜サッカーを観ていた時にふと
思ったことがあります。
「果たしてスポーツにおいて平等で公正であるということは普遍的なのか」
残念ながら、答えはNoだと私は考えています。これはフィギュアに限ったことではなく(特にフィギュアに関しては、とっくに
一般の方々にもおかしいということはつとに知れ渡っていますが…いまだに審判万歳の人が生息しているんですよね。
絶滅危惧種なんじゃないかと思ったり思わなかったり)他の採点競技ではない競技においても、程度の多寡は違いますが
必ず公正に審判されるわけではありません。
なるほど、審判も「人間」ですから間違いを起こさないとは言えません。故意ではなく、見落としや見逃しなどが起こるのは
致し方ない部分もあるでしょう。
しかしここで重要なのが、選手側から異議申し立てをする権利やチャンスを認められているか否かです。
五輪ではありませんが、体操男子において内村選手の技が回転とひねりを正確に判定されず、十分な採点がなされぬまま
終わりかけたことがつい最近ありました。
この時は日本の体操連盟サイドが迅速に抗議し、吟味の上採点の修正がなされたので事なきを得ましたが、このように
的確かつ迅速な働きかけが無かったら、おそらくは選手の泣き寝入りで終わっていたことでしょう。
勝ち負けだけでなく、正確に評価がなされるべきなのですが、競技によってはそのシステムに著しい瑕疵(かし)があるのが
現実ではないでしょうか?
他にも、こちらは今月決勝があったばかりのテニス全英OPですが、TV観戦でもわかるほどのあやしい判定がありました。
テニスではいわゆる「チャレンジシステム」(通称ホークアイ)というシステムがありますが、これは全ツアーで導入されている
わけではありませんし、またチャレンジを申請できる回数も限定されています(セット毎に3回まで。ただし成功したら回数は減らない)。
そしてここからが重要なのですが、プレー中のVTRが再生されるわけではなく、コンピューター処理された画像が再生されます。
まあ、いつチャレンジされるかわからないですからいちいち改ざんされることもそんな時間的余裕もないでしょうが、たとえば
フィギュアのようなストロボビジョン(これは最近めっきり見かけなくなりましたね。よほどジャッジにとって都合が悪かったのでしょう(笑))
のようなスローで映像そのものをリプレイするのとはちょっと異なります。
タイムを競う競技では非常にクリアに結果が出ますが、そういった競技ばかりではありませんし、どちらかというと灰色決着でもやもやとする
競技の方が残念ながら色々見受けられます。
誤審や手違いを排除するのが不可能であれば、せめて選手が納得できないまま大会を終えることのないように。
著しくおかしな判定により不利益を被った選手が異議を申し立てられるように(制度上のみならず、無言の圧力などかからないように)
あらゆるアスリートが自らの競技(演技)のみに集中できる環境が整えられるようになればと願ってやみません。
……ま、残念ながらほとんど夢と言うに等しい願いであることは承知しておりますが。誠に忸怩たる思いです。