大変お久しぶりでございます。
昨秋、新たな就職先で働き始めて以来、なかなかブログに記事を上げる余裕が持てませんでした。
現在も余裕があるとはあまり言えないのですが、諸々思うところはあるので少しずつ不定期にでも語ろうかと思います。
フィギュアスケートにも思うところは多々ありますが、今のフィギュア界はいろんなところに地雷が埋まっているようなので(笑)
細心の注意を払って書かねばなりません。
そんなわけで?リハビリ第一弾は軽く表題の件について語ってみたいと思います。
さて、最近私はいたるところで乱用されているとある言い回しが非常に気になっております。
それは「させて頂く」という言い回しです。
もちろんこれ自体は間違いではありませんし、適度に使用すれば何ら問題はありません。
しかし、マスコミから各団体、一般人に至るまでやたらと乱用されているような気がするのは私だけでしょうか?
日本語という言語、私たち日本人にとっては国語でありますが、この言語においては他国語以上に敬語が難解複雑であると
言われております。
確かに丁寧語・謙譲語・尊敬語と敬語だけで3種もある言語にはなかなかお目にかかれません。
それは日本における階級云々もむろんその必然性を要求したであろうことは想像できますが、それだけでなく日本人のいわゆる
「謙譲の美徳」の精神に起因するところが大きいと考えます。
我が子を「豚児」自分の妻を「愚妻」と表現する精神はなかなか他国の方々にはわかりづらいものだと思いますが、だからといって
日本人が家族を軽んじてきたわけではないことは論を待ちません。
私的環境を謙遜する、この精神が最も色濃くにじみ出ているのが謙譲語でありましょう。
ところで皆様、現在の教育現場では英語の方が国語よりも時間数が多い(ソースは中学生の娘)ことをご存知でしょうか?
小学校時代は比較的多めにとられていた国語の時間数は中学に入ると減ってしまいます。もちろん小学校時代にはなかった教科との兼ね合いも
ありますが、英語のコマ数の多さから考えると私としてはいろいろ思うところはあります。残念ながら思うだけであって、陳情などできようはずもないので
足りない分は自宅学習や塾などで補うしかないのですが、ここで着目すべきは「現代国語の軽視」です。
皆様もご記憶でしょうが、中学から古文や漢文も始まります。ただでさえ少ない国語のコマ数はさらに細分化され、現代国語ひいては読解や
敬語を含む正しい話し方を教育する時間はさらに削られていきます。
私個人の考えとしては、すべての基本になる国語を軽視するのは極めて危険な教育方針だと思うのですがそれは少数派なのでしょうか?
昨今、脱ゆとりと言われておりますが、その方向性は数学や英語の時間数を増やす方向にかなり重点を置かれているように思います。
もちろん数学も英語も十分に時間をかけるべき重要な科目ですが、国語はそれにもましてすべての基本ともいうべき国語力を育成する
極めて重要な科目です。
そもそも読解力がなければ、数学の文章題の意図を十分に理解できませんし、受験の際に面接で面接官相手に丁寧語さえ満足に話せなければ
下手すると不合格の憂き目に遭いかねません。
しかし残念ながら、この国語軽視の風潮はもう結構前から進んでいるのか、テレビや民間企業や官公署でもおかしな日本語に遭遇することは
最近珍しくないことです。その象徴的な言い回しとして私は「させていただくの乱用」を上げているのです。
それとさらに付け加えるならば、最近読書離れがかなり加速気味だということも加筆すべきかと思います。
良質な文章や日本語に触れる機会がどんどん減っている(アナウンサーの読む原稿もよく聞いてみるとおかしいことが多々あります)現状では
とりあえず「~させて頂く」とつけとけば無難だろうという考えに帰結するのかなと私は推測しています。
言葉は変化していくものです。何も明治大正の昔の言い回しを掘り起こせと言うわけではありません。ただ、せめて子供たちには基礎の国語を
きちんと教育し、私たち大人も良書や美しい日本語に触れる機会を惜しまず、おかしな物言いは改善すべきではないかと思うのです。
そして美しい日本語の本質を損なう、他人を罵倒したり中傷したりする文言こそ風化されればよいと願う次第です。