歌うように語ろう

観劇や観戦(主にフィギュアスケート)等について語るブログです
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体罰は本当に「必要」なのか?

2013年02月25日 | スポーツ全般

桜ノ宮高校体罰自殺事件や柔道女子集団JOC直訴事件に続き、先週金曜日発売のフライデーにて、

今度は佐野稔氏の体罰(疑惑)が明るみに出ました。写真を見て、ご本人のお説を聞けばかっこはなくてもよさそうですが、

一応現場を生で見たわけではありませんので(疑惑)としておきます。

フィギュアは他のスポーツとは毛色の違う性質が濃いと個人的に思っていましたので、体罰とはあまり結びつかない

イメージだったのですが、残念ながらそうではなかったようです。

 

そもそも、なぜ学校の教師やコーチ、監督たちは体罰をするのでしょうか?

ここで問いたいのはその目的と理由です。

強くするためですか? 上下関係を知らしめるためですか? あるいは、見せしめのためでしょうか?(これは桜ノ宮が該当しそうです)

 

体罰を振るう側にも言い分や論拠があるでしょう。あちこちで露見しているのはそれだけ、体罰が指導現場で暗黙の裡に正当化されて

いるからではないでしょうか?

しかし、果たして体罰を行うことによって効果は上がるのでしょうか?

 

もちろんすべてのケースにおいて検証するのは不可能です。なぜなら、体罰があったことが明るみに出ないケースがほとんどで、

むしろ体罰があったと分かるのはほんの一部、氷山の一角にすぎないからです。

ですから、顕在化しているケースや、私が知るケースを元に検証するしかないのですが、結論を先に言うと効果があるかについては

はなはだ疑問だと考えます。

 

まず、極端な例示をするならば、先般の桜ノ宮高校の例は著しく問題があり、その上当該教師や直接の関係者のみならず、過去にさかのぼり

OBにまで問題意識が欠落している傾向が見受けられます。

言うなれば、結果を出すこと>人一人の命と受け取られかねない署名活動などです。

もはや当該教師のみならず、学校の伝統として結果至上主義の権化と化していると言っていいでしょう。

 

もちろんスポーツにおいて結果を出すことは大切です。また、教育現場として時には厳しく指導する必要性があることは論を待ちません。

しかし、その過程においてどうしても、体罰は無くてはならないものなのでしょうか?

 

ここで私が実際に見たケースをお話ししましょう。

私は中学時代、テニス部に所属していました。担当顧問は中年の男性教諭で、かなり厳しい指導者でした。それは特定の生徒(選手)に

対してではなく、大抵の場合全員に対してですが、一度体罰を巡って保護者を巻き込み騒ぎになったことがあります。

体罰に至った発端はかなり月日がたっているので詳細は失念しましたが、その顧問はラケットで生徒の頭を叩いたのです。

叩かれた生徒は大けがには至りませんでしたが、フレームが当たったため顔に怪我を負い、事を重大ととらえた保護者が

学校に出てくる顛末となりました。

体罰を振るわれた生徒はその後数日部活を休み、しばらくして復帰しましたがその後の戦績は振るわなかったことを覚えています。

学年が違ったこともあり直接話は聞けませんでしたが、体罰を受けたことによる精神的ショックが相当大きかったようだと聞きました。

このケースはまだ軽症で済んだ例ですが、最悪の顛末を迎えてしまったのが先の桜ノ宮の事件です。

いち教師だけの問題だと私は思いませんが(周囲にも大いに問題ありと考えます)しかし体罰が自死を選ばざるを得なくなるまで

生徒を追い詰めたのは紛れもない事実でしょう。どれほど当該教師が謝罪をしても取り返しのつかない事態を招いてしまいました。

 

もちろん生徒の性格もまちまちなので、同じケースでたとえ体罰を受けてもさほどダメージを受けない場合もあるでしょう。

むしろ、今までそんなケースが多かったからこそ体罰は黙認されてきたのかもしれません。

しかし、だからと言って今後も連綿と続けて言ってよい風習であるとは、私には思えません。

柔道のケースを見ても、国際的にはなはだ奇異且つ野蛮な行為であると判断されてしまったのもやむを得ないと考えます。

少なくとも、体罰という行為は国際標準として黙認されることはないことは確かです。

 

また諸外国からどう見られるかは別としても、問題は他にもあります。

たとえば、体罰を原因とした事故が起きた場合、速やかに公表・責任追及ができるか疑問であることです。

これはつい先日明らかとなった、山形の事例が証明しています。

教師の体罰が原因となり、鼓膜に損傷を受けた生徒と部に所属する生徒全員に対して、教師は口封じ工作を行ったことが

明るみに出ました。教師が体罰を行い生徒に大きなけがを負わせたこと、そして口封じを行おうとしたことと二重の問題を起こしています。

加えて指摘するならば、黙っていろと圧力を加える=パワーハラスメントでもあるでしょう。このようなケースはおそらく、潜在的に

他にもあるものと思われます。

しかしこれは、明らかに目的や理念を大幅に逸脱し、生徒の人権や指導者の誇りさえ失われた問題ある事件です。

この件についても、桜ノ宮高校の事件同様に徹底した原因追求と再発防止に向けた調査が必要だと感じます。

ここまで行かなくても、大なり小なり体罰は事故を引き起こす可能性を大きくはらんでいます。そもそも、普通にスポーツをしているだけでも

事故が起きる可能性は何もしていない時よりも大きいのですから当然です。その上、体罰を行うとしたら何倍にもリスクは高まります。

子どもたちも保護者も、怪我を負うためにスポーツをしているわけではありませんし、競技において更に上に行きたいのであれば

尚のこと無用のけがは避けたいのが本音でしょう。事実、様々な競技においてトップアスリートと呼ばれる選手たちはいずれも体調管理が

非常にうまくできている選手が大半です。(もちろん、例外もあります。どんなことに関してもですが)

それ以前に、人間の体についてはそのすべてのメカニズムが解明されたわけではなく、特に脳に関してはまだわからないこともあると聞きます。

多少のけがは治療と時間で治りますが、それが大きなけがであったり、そのメンタルに大きな傷を負った場合は治癒に多くの時間を費やさざるを

得なくなります。そして、件の最悪の事態を招いてしまう可能性すら秘めているわけです。

 

昔は中学高校のみならず、スポーツに根性論がまかり通り、練習中の水分補給さえ許されないケースもままありました。

しかし、スポーツが科学的に分析できるようになり、またより高度に技術を要求されるようになった昨今、精神論だけで指導が何とかなるほど

スポーツが甘いものだとは私は思えないのです。

つまり、頑張りが足りない(その他教師やコーチの観念的なものによる理由)→体罰を振るう→生徒が伸びるというように、意図する通りに進むと

確信できるほど、体罰は有用な手段であるとは言えないということです。

たとえば、間違った行動をしていたのを注意するのであれば、それは体罰によらなくてもできると思います。あるいは、団体競技などでチームワークを

乱すなど、精神的な指導をするにしても同様です。

いくらチームのリーダーであったとしても、みんなの前で見せしめ的に体罰を振るうことは、本人のためにも他の生徒のためにもおよそ良い方法とは

言えないと思います。その場合、委縮を生み生徒の視野をより狭める方向に行く可能性、つまり成長を促すつもりだったとしても逆効果ではないでしょうか?

現に亡くなった生徒はその体罰のし烈さに耐えかね、教師に不満を訴える手紙をしたためていたそうですが、周囲の部員に止められて結局

渡せなかったと聞きます。これは、他の部員が極度に委縮していたこともその行動要因として指摘できるでしょう。また、そのまま行動に出た場合、

亡くなった部長が更にひどい目に遭うかもしれないと考えたのかもしれません。これはあくまで私の推測の域を出ませんが……。

 

そして「教育」という見地からも、体罰は生徒と一日中過ごすわけではない教師やコーチには危険な指導手段であると私は訴えたいと思います。

親子間であっても、昨今はしつけの一環としてさえ手を上げるのをよしとしない=虐待であると親の側を弾劾する、こういう潮流になって

きています。

これに関しては必ずしも私は同意しかねるのですが、それは親と子であれば大抵の場合住居を共にし同じ食事をとる―つまり、一つ屋根の下に

いる時間が相応にあり、たとえ厳しく叱ったとしてもその後に様々な形でフォローすることが可能だという理由に起因します。

自分にも子供がいるので実感を込めた話になりますが、押すばかりでなく時には引いたり飴を与えたり、家庭ですらしつけという教育は並大抵の

ことではありません。ましてや学校やクラブでは、赤の他人の生徒たちが大勢いるわけです。しかも、その個性はまちまちときています。

そんな彼らを指導することがどれだけ大変なことか。それは推測に余りあるものでしょう。そんな一人一人に対して、教師やコーチが我が子のように

丁寧なフォローができるでしょうか? 多くの場合、まず困難でしょうし果てしなく不可能に近いとさえ言えます。

生徒であり、親にとっては子供である彼らは未熟ではありますが、当然のように大人とは別個の人間であり、別の感情を持ちます。また、

心だけは誰にもいかんともしがたい聖域です。

体罰を行っていた教師やコーチにも言い分はあるでしょう。彼らなりの論拠に基づいて行っていたのかもしれません。

 

しかし私はあえて問いたいのです。体罰を行ったその時に、1ミリたりともあなたの感情に起因されたことはありませんでしたか? と。

また、もしもあなたが体罰を行ったことにより、後遺症が残るような大けがや自死へ追い込むような重大な事態を引き起こすことを

想定したことはありますか? 

そして何より、叱るだけでなく充分に生徒たちへ愛情をこめて指導してきたと胸を張って生徒たちの前で言えますか? と。

 

真っ当な神経をまだ持ち合わせている指導者ほど、上記の問いに頷くことをためらうのではないか。私はそう思います。


負の系譜 オリンピックは何のためにあるのか?

2013年02月17日 | スポーツ全般

最近、レスリングの問題を中心に何かと騒がしい五輪問題ですが、問題の本質を考えれば考えるほど、

商業主義を持ち込み発展させたサマランチと、ロゲを中心とした「拝金主義で運営される五輪」という残念な

現状に我慢ならなくなった人々の怒りが爆発しつつあるということではないかと考えます。

 

また、それとは別に、今回の競技削減に発言権と投票権を持っていた五輪理事の国籍分布にも大いに問題ありと

言わざるを得ません。過半数が欧州人であり、アジア人はほとんどおらず、北米に至っては私の見間違いでなければ

いなかったと記憶しています。

 

五輪は発祥の地がアテネ。古代オリンピアから現代にいたるオリンピックに、欧州人は強烈なプライドと優越感を

抱いているのではないでしょうか?

しかしいまや、オリンピックは世界中の人々のものです。一部の地域や献上金をより多く収めた企業を要する国の主張ばかりを

もっともらしい言い訳で押し通す体制は、世界的に受け入れられよう筈もありません。

 

サマランチ→ロゲと続いた系譜はまたサマランチJrと続きそうなのが何ともうんざりしますが、このような団体が頂点に立ち、

大会や参加競技を掌握するIOC、そしてその下部組織である各競技団体、およびその運営がまともになろうはずがありません。

 

やはり商業主義の舵を切ったサマランチの政策には問題があったと糾弾されるのはやむを得ないことでしょう。

 

ところで余談ですが、なぜどさくさにまぎれてテコンドーが永遠に五輪競技として存続とか決められたんでしょうね~。

一つの国の代表が出てきてあれこれこそこそと進呈しあい、その後にこの結果では腹を探られても文句は言えませんね。

更に脱線しますが、テニスファンの私ですが、他の競技と違って4大大会(いわゆるグランドスラム「全豪」「全仏」「全英」「全米」)

もありますし、出場するのはプロばかりという有様ですから、テニスが五輪から外れても一向に困らないなと思います。

(五輪運営側は興行面で困るかもしれませんが)同様に、WCに出るメンバーとは全く異なる構成で出場しなくてはならないサッカーも

出場の必然性は疑問です。

興行や視聴率という目先のカネにばかり踊らされないで、本来の「世界中のスポーツファンのための祭典」としての原点に立ち戻って、

本当に大事なことは何なのか、特定の地域や民族が不利益をこうむることのないように、しっかり対応してもらいたいものだと思います。

……この期に及んで、あまり期待はしていませんけどね


顔も名前も知らない君へ

2013年02月15日 | 雑感

何ともやりきれないニュースが多い昨今、本当に辛く切ない思いを禁じ得ない出来事がありました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130215-00000163-jij-soci

 

小学校5年生では、まだ学校や近所、塾などごく狭い世界だけが自分の世界だったのでしょう。

その中で彼なりに一生懸命考えたうえでの行動だったとしても、あまりに悲しい結末ではありませんか。

 

もはや彼を止めることは永遠に叶わないですが、彼に手紙を書くつもりで今日は文章をつづりたいと思います。

私は現在アルコールが摂れないのですが、飲まなきゃやってられないくらいやりきれない思いでいっぱいなので。

 

「君はきっと最後まで考えたのだろうね。どうすれば大好きな学校がなくならずに済むのか、みんなにアンケートをとったのも

皆が自分と同じ思いなのか、どうすればいいのか探るためだったのかもしれないね。

そして君はたった一つしかないかけがえのないものを引き替えに世間に訴えるという手段に出た。その後、どうなるか確かめる

手段がもうないことを、君は最後に分かっていたのだろうか?

 

残念だけど、君の願いは届かないだろう。そして、君がいなくなって嘆き悲しむ大好きな家族の元に突きつけられるのは、

多額の損害賠償請求なんだよ…。

理不尽だと思うだろうね。確かに必死で訴えたかった君の立場で考えたらそう言いたいだろう。だけど、君は手段を間違ってしまった。

 

何かを訴えたい時に、懸けるべきなのは「命」ではなかったんだ。

それならどうすればよかったの? と君は問うかもしれない。

残念ながら、君の願いを確実に叶える手段は私にもわからない。おそらく、他の多くの大人にも分からないだろう。

 

けれど君に言いたいことがある。君は最後まで、いのちを手放してはいけなかったんだよ。

 

君はいっしょうけんめいだった。ひょっとしたら最後まで迷ったかもしれない。その果ての選択かもしれないが、それでも命を投げ出すべき

ではなかったと、私は言いたいんだ。

 

誰しもたった一度の人生、いのちは一つしかない。昨日まで元気だった君は、自ら手放してしまったことでもういのちを失ってしまった。

これから君が生き続けていたら、きっと多くのことを学んだだろう。勉強だけでなく、友達や家族、いつか出会うかもしれない新しい家庭を

一緒に築く人とどう生きていくべきか。そして社会に出た時に、今回のような理不尽なことがたくさんあることも。

 

生きていくのは楽しいことばかりじゃない。正直、辛いことばかりだよ。死んでしまった方が楽だと思うこともある。

けれどもやはり、自分からいのちを投げ出すのはしてはいけないことなんだよ。

 

今君に見えるだろうか? 家族や友達がたくさんたくさん、泣いている姿が。

君がもう戻ってこないことで流す涙を、君はどうしてあげることもできない。

 

生きるということ。みんなそれぞれの人生を全うしようと毎日生きている。

私には年老いた父がいる。彼はもう治らない病を抱え、いつ止まるかわからない時を生きているんだ。

私は父に会うたびいつも同じ言葉を彼から聞くんだよ。

「しんどい」って。彼はもう何も食べたり飲んだりできない。寝たきりで息をするので精一杯なんだ。

それでも父は一度も「もう死にたい」と言ったことはないよ。

 

父は最期の瞬間まで生き抜こうと思っているんだろう。私たち家族のため、そして自分のために。

日々弱っていく父を見ているのは正直辛い。でも、こうも思うんだ。

今日も生きていてくれてありがとう」って。

仏教徒である父は、元気な時によく言っていた。「生かされているいのち」なんだとね。

 

君がもし私の子どもだったら、私は毎日泣き暮らしながら願うだろう。

帰ってきてほしいと。君の命を返してほしいと。

 

君の命は君だけのものじゃない。君が生まれた時、お母さんやお父さん、おじいさんやおばあさんはとても喜んだだろう。

でも、今はみんな悲しんでいる。君の言葉を借りれば、「たったひとつのちいさな命」が亡くなったことでみんなが悲しんでいる。

残酷なことを言うけれど、君は取り返しのつかない間違いを犯してしまったんだよ。

私や他にも多くの大人たちは、それが悲しくてやりきれない思いでいっぱいだ。

 

いつか君がまた人の世に生まれ変わることがあったなら、約束してもらえないだろうか。

今度は絶対に、自らいのちを投げ出すようなことはしないと。」

 

これ以上、無為に命が失われることのないように祈りつつ。

合掌


おかしな言葉と不思議な論調

2013年02月13日 | フィギュアスケート

そろそろ12-13シーズンも終盤。あとはシーズンクライマックスとなる世界選手権(ついでに国別もB級大会もありますが、注目度で)を

残すのみとなりました。

しかし、さすが(?)五輪プレシーズンだからなのか、いろんな印象操作を敢行したい輩が跳梁跋扈していますね。

その中にスケ連理事まで混ざっているのはいかがなものかと思いますが、おそらく集団で苦情を言ったところでどうにもならないのだろうなと

いう諦念があります。

各国スケート連盟は、各々の所属選手をバックアップしその関係者は選手たちのために最善を尽くすのが義務だと思っていましたが、

残念ながら一枚岩どころか、特定選手にのみ過重な枷を持たせたがるものさえうようよいるのが現状です。

 

それとはまた次元が違いますが、フィギュアファンと思しき人々の間でも、摩訶不思議な用語や論調を弄す人が少なくないのもまた事実。

そういう方々からすれば逆に、私もまた変な人になるのかもしれませんが(笑)ここはあくまで私が思うところを語る場ですので、常々引っかかっていた

摩訶不思議な論調や妙な言葉(と私が思うもの)を俎上に挙げてみたいと思います。

 

*リアルルッツ

しみじみ妙な言葉だと思います。この言葉を連発する方の特徴として、ルッツ至高主義であることが言えます。ルッツこそが特別なジャンプで

あり、エラーなしのルッツが飛べるということが最大の武器だと信じ込んでいるようです。

そして、逆にこういう方々は決して「リアルフリップ」という言葉は使いません。つまりはルッツ>>>>>>>フリップと信じて疑わないのでしょう。

確かにルッツはジャンプの種類の中では得点は高いです。しかし、現行のルール上、いかにルッツが得意であろうと3回転のルッツなら一つのプロで

2回が上限です。そして女子のFSならジャンプを試みることができるのは7回です。また、SP・FS共にアクセルジャンプも必須です。(SPは2Aまたは3A)

ルッツを最大の武器として活かすなら、むしろ他の種類のジャンプもしっかり飛べてこそだと私は思うのですが、ルッツ至高主義者の皆さんは

そうではないようです。ルッツが得意な選手でも、フリップのエラーもち(いわゆるリップ)だったり、ループジャンプが苦手な選手もいるわけですが、

そこにはまず触れません。まずルッツありき。そういう意味では「ルッツ原理主義者」とも言えるのかもしれません。

現行のルールでは、5種類のジャンプ(6種のトリプルをそろえようとしている選手もいますが、彼女は例外中の例外なのでここでは置いときます)を

バランスよく飛ぶ方が点数のみならずジャッジ受けもいいはずなんですが、それをさておくとしても彼らはルッツを尊び、ルッツにエラーがつく選手を

しばしば蔑みます。しかしフリップエラー持ちには格別あれこれ言いません。

不思議ですねえ~。(本当は不思議でもないのですがね。こういう方々は大抵ルッツが得意な選手の大ファンですから)

 

*踊れる(もしくは踊れない)

アイスダンスを筆頭に、フィギュアスケートには舞踊のセンスは確かにあるとよりよいものだと思います。特にアイスダンスはその名の通り、曲調とシンクロした

踊りを氷の上で披露する種目と言っていいでしょう。しかし、そのアイスダンスでも何より重要なのはスケーティングスキルであり、エッジワークの巧みさ、リフトなどの

さまざまな技です。決して氷の上でただ踊っていればよい点数が出るという競技ではないと思います。

にもかかわらず、なぜかジャンプを何度も飛ぶシングルでまで「いかに氷の上で踊れるか」をさも格別重要なことであるかのように主張する方がいるんですよね。

あれ? いつからフィギュアスケートは舞踊競技になったんでしょうか? 私の知る限り、スケート競技だったはずなんですが。

特にシングルではジャンプが占める点数の割合が高く、いかに高度な構成を組むか、もしくはGOEを稼ぐかに選手や関係者は心血を注いでいるように見えます。

また、スピンも3回必須ですし、繫ぎやコレオシークエンスもあります。

舞踊に繋がるとしたらステップ・コレオシークエンスや、繫ぎの部分もまあ入れようと思えば入れられるでしょうが、あくまで滑っている間重視されるのはエッジワークや各種の技です。

PCSのパフォーマンスの部分にも影響は与えるでしょうが、舞踊のセンス=パフォーマンスとは言い切れないでしょう。

フィギュアはあくまでフィギュアスケート、スケートであれば滑りの巧みさやその上に成り立つ技を競う競技です。踊れるか踊れないかは、少なくとも

フィギュアスケートにおいて最重要ポイントではないことは確かだと思いますがいかがでしょうかね?

 

*陰謀論

個人的に一番笑ってしまうのがこのワードですね。この言葉を乱発する方はたいてい、ジャッジは正しく不正も間違いもないと信じている、ある意味

大変平和主義者な方々です。

そしてこういう方々は採点やなにかフィギュアにかかわることに疑問を呈すると、どこからでもやってきて「これだから陰謀論者は…」云々とご高説を披露されます。

しかしちょっと考えていただきたいのですが、そもそも現行のルールになる前、ソルトレイクシティー五輪で何が起きたかおぼえていらっしゃらないのでしょうか?

その後も、度々説明のつかないような結果が出た時に、各国関係者から様々な主張が飛び出し論議になることはどう説明されるのでしょう?

 

フィギュアスケートに限りませんが、特に五輪においては国の威信をかけて場合によっては力技(どんな技かは様々ですし、真実はやぶの中に押し込められることが

ほとんどなので具体例はあえて挙げません)を繰り出してでも限られたメダルを奪取しようと各国必死になることが度々です。

戦っているのは何も選手たちだけではない、これだけは現実逃避したがる平和主義の皆さんでも認めざるを得ないでしょう。

もしこれすら認めないとしたら、あまりにもスポーツの背景を知らな過ぎるとしか言えません。

 

昨年も夏季五輪がロンドンで開催されましたが、すべての競技で適正なジャッジがされていましたでしょうか?

それなりに見て居た方なら揃って「No!」と答えるはずです。注目度の高い夏季五輪ですらこの有様です。

ましてやマイナー競技で、ジャッジは国名おろか名前すら会場にいる観客以外には知らせず、またプロトコルにおいても誰がどの選手にどんな点を

与えたのかを全く明示しない競技なのです、フィギュアスケートという競技は。しかも採点の甘さ厳しさは大会ごとに大きく異なります。

どっぷりフィギュアにはまっている方よりも、むしろ一般のフィギュアを知らない人にシステムを説明すれば彼らははっきり言いますよ。

 

「フィギュアスケートっておかしいよ」

 

でも、平和主義者たちはよくこういう抗弁をします。「本当におかしいなら、なぜ選手がおかしいと言わないの? 言わないならおかしくないんでしょ?」

ほら、また忘れ(ようとし)ていますね。今度不祥事を起こしたら、フィギュアスケートは五輪競技から追放になることが言い渡されているんですよ

たとえ選手が納得できなくても、不服申し立てはご法度になっているのが暗黙の了解なのですよ。なぜなら自分のアクションが原因で、

フィギュアスケートが五輪から消えたら、競技として大きく衰退しかねないからです。そんな大きなリスクを、選手も関係者も負ってまで自分の主張を

通せますか? それがフィギュアスケートの現状です。

 

これでもまだ、「陰謀なんか存在せず、ジャッジは正しくてISUは正常に機能している」と言えますか? 言えるというなら、あなたは現実逃避して

お花畑に住んでいるに過ぎないのだと、私は思います。

 

 

今日は私にしてはかなりはっきりばっさりと、思うところを書き散らしました。うちは知る人ぞ知るブログなので、ビジターさんも少ないでしょうが、

どこからともなく今回ばかりは何か言われるかもしれませんね(笑)

拝聴する価値ある建設的なご意見なら、真面目に反応しますがひやかしや嵐は適当にしかいじりませんのであしからず。

ここまで書くのもそれなりにエネルギーを使いますので、不要なアクションは取りません。よほどの誹謗中傷でなければお返事しますがね。

 

以上、私にしては長文の記事にお付き合い下さった皆様、ありがとうございました。

 


四大陸選手権 女子シングルリザルト

2013年02月10日 | フィギュアスケート

何というか…総合結果はおおむね納得ではあるんですが、やはり最後まで100%ジャッジングに納得というわけにはいかないのが

フィギュアスケートという競技なのでしょうか?

厳しくするのは仕方ないとしても、回転不足を取る取らないが選手によって非常にあいまいなのは相変わらずです。

それでも昨夜とは一転、日本女子が表彰台独占は結構なことです。

おめでとうございます。

それでは女子の結果です。

 

1.浅田 真央            205.45(SP1/FS1)

2.鈴木 明子            190.08(SP2/FS2)

3.村上佳菜子           181.03(SP3/FS3)

4.クリスティーナ・ガオ      176.28(SP4/FS5)

5.ジジュン・リー          170.42(SP10/FS4)

6.グレイシー・ゴールド     166.66(SP5/FS6)

7.ケイトリン・オズモンド    159.38(SP8/FS7)

8.アグネス・ザワツキー    158.99(SP7/FS8)

 

北米勢のゴールド選手やオズモンド選手は、予想していたよりは精彩を欠いた演技でした。まだ若いこともあり経験不足なのと、

ピークを今大会には持ってきていない(全米・全加共に先月あったばかりですし)という事情もあるのかもしれませんが、ちょっと課題が

多めに残る結果だったのではないかと思います。

そのような状況の中、まだシニア1年目ですがリー選手はうまく演技をまとめて好印象でした。見た目の可憐さで、一緒に見ていた

家族が釘付けになっていたので、案外日本でも人気が出るかもしれませんね。

表彰台の3人は、ノーミスとはいきませんでしたが手堅く演技をまとめたと思います。特に浅田選手は、超攻撃型の構成で臨みましたが、

まだ完成形ではないにせよ、上々の出来で正直格の違いを見せつける演技だったと思います。今季の世界選手権では期待できるでしょう。

もっとも、昨季までもマスゴミ…おっと失礼(笑)マスコミがネガキャンで騒ぎ立てるほどひどかったわけではないのですが。

なまじ期待度が高い選手だと、優勝を逃しただけで大騒ぎしますので困ったものです。

ともあれ、表彰台こそ逃したものの、若手の海外勢も今後に期待できる好演を見せてくれる選手もいて、楽しみになってきました。

来季はいよいよ五輪シーズンですから、これからいやがうえにも盛り上がるでしょう。

その為には、是非とも選手の頑張りに少しでもジャッジがまともな採点で応えてくれるように願ってやみません。

 

ところでペアの結果をチェックしようとリザルトを見て驚いたのですが、エントリー自体が8組、その上1組がWDでなんと7組での試合でした。

アイスダンスはもう少しカップルが出場していますが、ペアもアイスダンスもペア(カップル)解消は聞きますが、新たに誕生は同等には聞かないので

(私の情報収集力不足もあるかもしれませんが)ちょっと心配になります。

ペアやアイスダンスももっと盛り上がるといいのですが、相性などいろいろ難しい条件があるので大変なのでしょうね。

 

後はアイスダンスを残して、明日のEXで大会終了となります。地上波での放送がないのが残念ですが、どこかで(たぶんCS)何とか見たいと思います。

 

以上