歌うように語ろう

観劇や観戦(主にフィギュアスケート)等について語るブログです
記事の無断転載はお断り致します。引用転載の際はご一報を。

ジャッジにまつわる素朴な疑問

2012年02月27日 | フィギュアスケート

常々思っていた疑問で、ジャッジにまつわる疑問を今日はまとめて書き出してみようと思います。これでもすべてではないですが(あまりにも最近の採点システムおよび運用には穴がありすぎます)改善できるのではないかと思うことだけいくつかピックアップします。

*ジャッジ席の分割

会場で観戦される方以外でも、TV観戦される方なら皆様ご存じの通り、ジャッジ席は一列に並んでいます。まさに「横並び」なわけですが、9人ほどのジャッジの席がロングサイド片方にだけ固まっていることに、前から疑問を持っていました。まあ設営の関係上、またシステムなどの都合上一か所にまとめる方が好都合だというのも分かるのですが、半分反対のロングサイドに移動してもらうことはできないのでしょうか?

なぜかと言えば、選手によってリンクの使い方やジャンプの位置が違うから。これに尽きます。後に述べますが、ジャッジ用のカメラは聞き及ぶところ1台だそうなので(それこそ無駄に多いマスコミのカメラを利用させてもらえればいくらでも有効活用できると思うのですが、それはともかく)するとジャンプの位置によっては、ジャッジから遠くエッジはもちろん回転の不足具合も大変判別しづらいことになります。

本来であれば、「疑わしきは選手の利益になるように」という原則がルールブック(コミュニケーションだったかな?)上で明文化されているのですから、むしろ甘いくらいでちょうどいいと思うのですけれども、DGやURを取るのが三度の飯より好きなんじゃないかと思われるコーラーもいるので、それならばよりしっかりとジャッジの目が行き届きやすいように並んでいただく手もあるのではないだろうかと思った次第です。まあそれも、ジャッジの皆様が意図的ではなく見た演技をそのまま評価して下さることを期待しての案ですが。

そして場合によっては、URやDG指示をしたコーラーにジャッジから「いや、あれは足りていた」(もしくは認定のままのジャンプに「足りていなかった」)とジャッジから情報のフィードバックがなされるとより精度が上がるように思います。まあ、普通のジャッジとコントローラーでは資格要件が異なる段階でこのプランは難しいとは思います。ただ、ジャッジ列の2分割位ならできるのではないかと思うのですが、無理でしょうかね?

 

*カメラ台数の増設

いくらなんでもジャッジの判定用のカメラが1台だけというのは不足にもほどがあると思います。今のカメラは高性能とはいえ、角度によってはジャンプの入りや着氷の足元まで明白に追うのは難しいでしょう。せめて各コーナーに1台ずつ、合計4台は要ると思うのは私だけでしょうか?

そんな費用は捻出できないという声が聞こえてきそうですが、前述の通り放送権を持つ放送局がそれこそ何台もカメラを持ち込んでくるではありませんか。そのうち3台ほどを臨時で提供させればいいのです。それを放送権獲得の条件にすれば(もちろんカメラマン付きで)、各コーナー4台設置も可能だと思います。

 

*OAC(ジャッジ査定委員会)の発言力の強化と委員のスキル向上

OACは技術委員会と呼ぶ方もいれば、ジャッジ査定委員会とも称されますが、今一つその全貌や発言力のほどがはっきりしません。

ジャッジの中にはかつて好成績を残した元選手も存在しますが、ほとんどは現状の選手たちのような技術など持ち合わせなかった方々、または未経験者です。もちろん技術は進歩してきているので、30年前の選手に4回転など無理だったのは承知の上ですが、一流選手の矜持を持った方とそうでない方の目というものはやはり違います。「凡人が天才に勝てるシステムが望ましい」などというおかしな発言がまかり通る(そしてジャッジの誰かが表だってそれを批判することもない)のは明らかにおかしい状態ではないかと強く感じます。

現状でも、採点監査の人員は割り振られているようですが、それが同じくジャッジから選抜されるのでは率直に言ってあまり監査の意味はないでしょう。公正さには少なくともあまり期待できそうにありませんよね。

より公正で厳しく専門性の高い「ジャッジ監視員」がOACから強い発言力を持って派遣されるようにならないものでしょうか? また、通常のジャッジのような試験とは別個に、試合実績も一定の基準を設け、それに満たない者(もちろん未経験者は問題外で除去)は少なくとも監査委員としてOACには入れないようにすれば良いと思います。

優れた競技者としての実績を持つ元選手は、ショースケーターやコーチなどに転身される方が多いので余計に今のジャッジ事情が今一つなのかもしれませんが、ジャッジが出すプロトコルがすべてなのであれば尚のこと、より優れた技術を判別する目が必要です。それには少なくとも、未経験者や拙劣な技術のまま競技人生を終えた方よりも矜持を持った元一流選手が多く審査席に坐するべきだと私は思います。

いずれも素人の素朴な疑問というか「こうすればいいのに」という勝手な言いぐさではありますが、すべては選手の不利に働かず、公平公正に採点されるようになるにはどう改善すべきか考えて上での意見ととらえていただけると嬉しく思います。


各国スケート連盟の思惑とロビー戦略

2012年02月25日 | フィギュアスケート

迷走する日本スケート連盟の思惑はいちばん不鮮明ですが、シーズンも終盤にくるとだいぶ各国の思惑や、今季の戦略が見えてきますね。

シングルに関して言えば、女子はとにかくロシアが3枠確保に必死のあまり、手ごまにされている選手たち(特に年齢的にジュニア・シニア両方で行ける選手たち)を翻弄しているのがいまだにエントリーが流動的なジュニアワールドおよびワールドの様子から透けて見えます。しかし、シェレペン選手はどちらかに絞らないと結果が出ないのではないかと危惧されます。特にジュニアとシニアでは構成を変える必要もありますし。

一方、そのロシアと因縁の間柄のカナダといえば、何はともあれチャン選手の牙城を守るのに余念がない様子。女子はというと結局僅差ではあるもののナショナルと4CCで勝ったラコステ選手をワールドに派遣することを先日発表しました。しかし、2枠に戻すのは今の様子を見るに至難の業でしょう。ただ、これはファヌフ選手にしたとしても同様だと思われます。

そのお隣、アメリカは先日4CCを制したワグナー選手とシズニー選手でワールドに臨みますが、実はシズニー選手は4CCに出られる状況で希望していたとの後日談を聞きました。信ぴょう性は日本での記事がないので伝聞便りではありますが、実際彼女が会場で観戦していたことから見るに、体調不良ではなかったことは明白ですし、あながちガセともいえないかと推察します。ではなぜシズニー選手を出さなかったのか?

これは私の推測ですが、今季日本スケ連が鈴木選手をアップし続けたこととほぼ同様の理由かと思います。つまり、二強体制にして枠を守る(日本)枠を増やす(アメリカ)という戦略です。来季はプレオリンピックシーズン、そのシーズンの最後を飾るワールドはカナダのロンドンシティ。ここでなんとしても五輪の枠を最大数確保するためには、今季の結果が非常に重要になってきます。だからこその4CCで大盤振る舞いにしての、ワグナー選手の基盤固めとつながるのではないでしょうか? そして来季のためにも、ポイントを他の選手に稼がせるためにも、シズニー選手には休んでいてもらおうという目論見かと思われます。シズニー選手とコーチにとっては不本意だったでしょうけれど…。

そして欧州ですが、ロシアを除くと大体ユーロ選手権の結果から見てもコストナー選手(イタリア)、コルピ選手(フィンランド)あたりを強力に推してきそうなのが濃厚です。二人とも、ジャンプ構成はあまり高難度ではないことを考えるに、結局今季も3-3は3T+3Tのオンパレード、それ以外はDGやURの大盤振る舞いが今から約束されていそうです。4CCの結果を見ても、この点に関して言えば欧州と北米のロビー打ち合わせはすでに完了している気配すら漂います。

こんな推察が一介のシロウトに容易についてしまう辺りにフィギュアスケートの競技性の破綻が見えているといっても過言ではないでしょう。

どういうわけか、いまだにジャッジは常に正しいと信じて疑わない宗教団体のような方々が存在するのが不思議ですが、まあ信じる者は救われると申しますし、それで落ち着くのならばとやこういう限りではないのかもしれません。ただ、彼らが厄介なのはジャッジの採点の精査をしたり疑問点を討論するとそれを弾圧しようとするかのように火消しに跳梁跋扈することがままあることです。

信じたい方々はお好きにジャッジやISUを信奉していればよいでしょう。しかしそれを他の人にも押し付けるのはおかしなことだと言わざるを得ません。ソルトレイク五輪の際に指摘された国家間のロビー活動が、採点方式を変えただけでなくなるはずがないと考えるのが自然ではないでしょうか? ましてやジャッジはさらに匿名という防火服さえ手に入れたのですからなおさらです。

各国の思惑が入り乱れるピークとなるワールドがあと1か月で開催されます。残念ながら、年々おかしな採点がまかり通るようになってきているのは痛恨の至りですが、せめて少しでもファンはともかく選手たちが納得のいくジャッジングをしてもらいたいものだと思います。


世界は広い

2012年02月20日 | フィギュアスケート

基本的に、日本人選手を中心に好きな選手を応援するスタンスでフィギュアを見ておりますが、時々あまりフィギュアが盛んではない国から注目すべき選手が出てきて良演技を見せてくれるとひそかに応援したくなります。ましてやその選手が、日本や日本人を愛してくれる選手ならなおのことです。

当ブログはあまり動画紹介はしないスタンスなのですが、選手を紹介するにあたり動画が無くては話にならないので、1本ずつご紹介いたします。片方は練習動画(本人によるものです)になりますが、興味深いものです。

クリストファー・カルーザ(練習動画)

http://www.youtube.com/watch?v=a7Qwq2dov84&feature=g-all-s&context=G2744c4bFAAAAAAAAAAA

ミーシャ・ジー(2012 四大陸FS)

http://www.youtube.com/watch?v=RYDZbmxslS0

 

ミーシャ・ジー選手はちょっと前から注目され始めていましたが、ステップが秀逸です。この動画では後半のコレオステップに特にご注目頂きたいと思います。

カルーザ選手の動画はどこかで見たステップに見えませんか? はい、浅田選手の「愛の夢」のステップをやってみたようです。カルーザ選手も四大陸選手権に出ていたようです(12位)

フィリピン代表として出場していましたが、アメリカ国籍も持っていて、生まれも育ちもアメリカとのこと。

 

どうしてもフィギュアを見るときは自国の選手と、欧州や米露、カナダなどに注目してしまいがちですが、今回の四大陸選手権のような大会では、普段見られない選手の演技も見る機会になりますので、もう一度録画した演技を見てみたくなりました。

大国の選手たちももちろん素晴らしいのですが、環境が十分でない中出てくる選手たちにももう少し着目してみたいなと思う今日この頃です。


二人の巨匠~タチアナ・タラソワとローリー・ニコル~

2012年02月18日 | フィギュアスケート

さて、欧州選手権に四大陸とワールド前哨戦を終えて、あとはいよいよニースワールドを残すばかりとなりました。まあ、その後に一応国別対抗戦もありますが、ポイントがつくわけでもありませんし、シーズンの締めくくりはやはりワールドこと世界選手権でしょう。

その前に、以前コレオのことについて語った時にもっと掘り下げておきたかった二人の巨匠、ローリー・ニコル氏とタチアナ・タラソワ氏について今一度語っておきたいと思います。主に二人のスタンスの違いや選手に求める姿勢の違いを私見で語ります。

まずは二人の作品のうち、秀作だと思われるプログラムの動画を同じ選手でご覧いただきましょう。なぜ別の選手にしないのかと言えば、選手によって力量や癖の方が強く出てプログラムの個性よりも選手の個性に目が行ってしまう可能性を検討した上でのことです。解説が入っているものばかりなので(日本・アメリカ・フィンランド)その違いもご覧になると面白いかもしれません。ではどうぞ。

 

タチアナ・タラソワ
浅田真央  SP「バイオリンと管弦楽のためのファンタジア」(2007-2008シーズン)
        http://www.youtube.com/watch?v=ibv4-eY1WX0
     
        FS 「モスクワの鐘」(2009-2010シーズン)
        http://www.youtube.com/watch?v=SVVHQFCE35A
        
ローリー・ニコル
浅田真央 SP 「月の光」(2008-2009シーズン)
        http://www.youtube.com/watch?v=fRM4Qj2u_jo
     
       FS 「愛の夢」(2011四大陸選手権より)
        http://www.youtube.com/watch?v=1-7-x8xFxdM

 

まずローリーさんは、選手の個性や特徴を理解した上でその路線に見合ったプログラムを選手に与えることが多いように見受けられます。つとに知られていることですが、新採点システムの普及やジャッジ教育にも寄与された方らしく、得点を稼ぎやすいプログラムを手堅く振付けられる印象が強く感じられます。彼女自身が語っていますが、五輪シーズンとそうでないシーズンを分けて考え、難易度やジャッジ受けなどあらゆる点からプログラム構成を考えている方と言っていいでしょう。彼女が五輪シーズンに浅田選手のFS「鐘」についてくりかえし「マオには合っていない」と主張し浅田選手サイドにコンタクトを取ろうとしたという話も彼女自身から語られています。実際はこの頃、タラソワ氏がコーチも務めていたためそれは実現しませんでしたが。ローリーさんの五輪シーズンにおけるプログラム作成のセオリーは「ジャッジ受けする曲で、選手が滑りやすいもの」というものでしたので、確かに結果はさて置くとしても賛否両論(どちらかといえば否定論の方が多し)だったことを思えばなるほど彼女のとろうとした行動も、浅田選手を慮ったものだとしたら理解できます。五輪シーズンは浅田選手に振付しなかったものの、五輪後に愛の夢といういかにも浅田選手の個性を活かすプログラムを(ただし楽曲選択は浅田選手によるものですが)与え、かつシーズン途中で自ら来日して手直しまでしましたが、多くの選手に振付をしていながら最後にコレオスパイラルで締めくくるという斬新なアイデアなどはさすが多くの依頼が舞い込むコレオグラファーだけのことはあります。

まとめると、ローリー・ニコル氏のコレオにおけるセオリーは「無理はさせずに選手の個性を優先しできる範囲のプログラムを与える」というものであろうと推測できましょう。

 

翻ってタラソワさんですが、コーチ就任の前に自ら振付をすることを浅田選手サイドに申し出て生まれたプログラムが上記の「バイオリンと管弦楽のためのファンタジア」(略称はよく「ラベンダー」と映画からとられて呼ばれていますね)です。

後年、彼女が浅田選手に与えた「仮面舞踏会」や「鐘」に比べるとまだその強い個性は抑え気味の気もしますが、それでも抒情的でかつ情熱的なプログラムになっています。なかなかシーズン序盤はこなしきれないほどの難易度も十分高いプログラムですね。しかし浅田選手がその前まで彼女のイメージそのままだったやわらかくてふわふわなイメージから一歩脱却するにふさわしい、新たな階段を上らせたものであろうと思います。これで浅田選手が一皮むけたと言っても過言ではないでしょう。

そして五輪シーズンのFS「鐘」については一選手のプログラムであることを超えて、各国のスケート関係者や報道陣、ことに日本の世論まで巻き込んで「重すぎる、暗い、浅田選手に似合わない」とネガティブなとらえ方が先行していました。楽曲の重苦しさだけでなく、ジャンプ構成も3Aを単独と3A+2Tというコンビネーションで2回入れるという超攻撃型のプログラム構成だったがゆえにシーズン前半はなかなか形にならず、それも否定論に拍車をかける要因となりました。しかし、シーズン最大の山場である五輪の開催地がバンクーバー(カナダ)であることを分かったうえでなお「モスクワの鐘」という楽曲選択はある意味挑戦状をたたきつけ、なおかつ技術と芸術性の粋を結集したものであったと推測します。この楽曲自体は他にも使用した選手がいますが、浅田選手のようなオーケストラバージョンでなかったことを考えても、また難易度も最高レベルであったことといい、アウェイの地にはなかなかリスキーだったことは否めないと思います。ただ、結果として最善ではないにせよ選手も出来うる限りで精一杯を尽くし、その一か月後の世界選手権(トリノ)ではほぼ完成させたことを考えると、厳しい条件下で教え子と確実に傑作の一つをタラソワさんは結実させたと私は捉えています。好き嫌いが分かれるプログラムですし、この構成を他の女子選手がこなすのはほぼ不可能であることを考えても、奇跡のタッグであったとも言えるかもしれません。

タラソワさんを語る時、かつての教え子たちはその厳しさとともに口をそろえて言うのが彼女が「MAXIMUM!」と要求することです。浅田選手に言わせると、ロシアでのタラソワ監督下のレッスンはそれほど長い時間ではないそうですが、それでも時間内は選手の持てるポテンシャルをすべて出して演技してみせることを要求することは他の選手の証言からもうかがい知れます。練習で100%出すことを要求し、本番ではその更に上まで到達することを想定して作り上げられるプログラム、それがタラソワ流プログラムではないかと考えます。他のコレオ、たとえば上記のローリー氏のプログラムと異なり、タラソワプログラムの破壊力はノーミスであることを前提としたものでしょう。ですから、不幸なアクシデントでやむを得なかったことですが、五輪の浅田選手のように小さくてむミスが出てしまうと迫力が大きく削減されてしまう特徴があると私は見ています。(しかし、ミス後の浅田選手のステップはその後の世界選手権よりも気迫がこもっていた分、ステップに関しては五輪が随一だと個人的には思っています)

今回の参考プログラムには挙げませんでしたが、同じく浅田選手の08-09シーズンFS「仮面舞踏会」も怒涛の45秒ステップなど、難易度のみならず一瞬たりとも休憩を与えないという超過酷さを乗り越えさせるところに、タラソワさんの場合ポリシーと共に更なる至高の演技をさせようとする姿勢を見るかのようです。選手がもうこれ以上無理だというところまで到達したときに、さらにそのわずか上まで押し上げるような力強さを、彼女の仕事(振付)から感じるのです。選手は異なりますが、今季のソトニコワ選手に与えた愛の夢も、現状のソトニコワ選手には背伸びをさせる、まるでかつての浅田選手のバイオリン~を彷彿とさせるのです。

 

人間の普段精一杯出せる力というものは、肉体の構造上ストップがかかる性質から80パーセントだと言われています。

ローリー・ニコル氏が選手に80~85%を求めたプログラム作りだとしたら、タラソワ氏は85~95%を求める理想追求型だと私は思います。もちろんどちらが秀でているかなど、決められるものではありません。ゴッホとピカソ、どちらが上かなど決める人がいないのと同じように。

いわゆる火事場の馬鹿力が100%である(=肉体の限界)ことを考察するとしたら、その一歩手前まで求めた上で技術と芸術を最高レベルまで練り上げていく。非常にリスクが大きく、またどの選手にでも求められる姿勢ではないでしょうが、タチアナ・タラソワ氏の真骨頂はこの姿勢にこそあると私は見ています。

それでも、プログラムを演じるのは選手です。選手それぞれがコレオの要求レベルまで到達できるか否かは試合になってみなければわかりません。

コレオの皆さんの中でも特に秀でていることに疑いの余地のないこのお二方に見る美学と考え方、そしてコレオを通してみる試合へのアプローチの違いは実に興味深いものだと思います。これからどれだけ多くの作品が見られるのかわかりませんが、多くの優れたコレオの方々の作品と共に、更なるお二方の特長がにじみ出る傑作を、また選手たちに与えていってほしいと願っています。ロシアとカナダ、国籍という垣根を越えてフィギュアスケートの技術と芸術の向上のためにも。