「・・・知っている天井だ」
目が覚めたらよく知っている天井だった。
というか吸血鬼になった後に遠野家からあてがわれた自室だった。
太陽の光を直撃すると即死してしまうから基本締めっぱなしな窓のせいで全体的に薄暗い部屋。
後、吸血鬼の跳躍力で天井にタッチさせる遊びでうっかり爪を立てて天井に出来た傷なんてここしかない。
翡翠さんや秋葉さんにバレていない間に修復しないとなあ・・・・。
で、現実逃避はさて置き。
切り落とされた両腕はくっつけば治るので問題はない。
あるとすればまるで病院に運び込まれた恋人を心配するように、
しっかりとボクの右手を握ったまま寝ている遠野志貴がそこにいたことだ。
いや、さ。
心配してくれたいるのはありがたいよ。
だけど、そりれよりも志貴の方が体の具合を心配しなきゃいけないはず。
まあ、今は体調が良さそうなのは手から伝わる体温から分かるけど・・・ああああ、というか正直、気恥ずかしい!!
「目が覚めたようね、弓塚さん。
兄さんは寝てしまっていますけど相変わらず仲が宜しいようで」
「・・・あ、あははは」
何たってこの部屋には志貴以外の人間も同席しているのだから。
志貴の傍に座る秋葉さんが嫉妬交じりの視線と共に嫌味を零して来た。
髪の色こそ変わっていないけど、部屋の温度が数度下がりつつある気がする!
・・・それと緊張感で胃が痛い。
「腕の方は・・・まあ、あのアーパー吸血鬼と同類ですから問題なさそうね。
例の錬金術師と戦って怪我をしたと聞いて館の主人として様子を見に来ましたけど、その必要はなかったようね」
ジト目でこちらを見つつ突き放すように秋葉さんはそう述べる。
事実とはいえ、怪我をした身でそう言われると結構キツイなー・・・。
まあ、でも。
「早速秋葉様による言葉のストレートパンチに面食らっているようですけど、ご心配なく。
これは素直じゃない秋葉様なりの感情表現ですから、何たって弓塚さんが両腕を落とされたと聞いて・・・」
「お、おだまり琥珀!」
「やーん!暴力反対!パワハラだー!」
うん、こうなるのは分かっていた。
さっきまでの緊張感が遥か彼方にすっ飛んだ。
さよならシリアス時空、こんにちわギャク空間。
「ありがとう、秋葉さん。
わざわざ心配してくれるなんて」
「で、ですからそんなつもりではありません!
ああああ、弓塚さん!貴女までそんな微笑ましい表情で私を見ないで!!」
秋葉さんは顔を茹で蛸のごとく顔を赤らめていた。
微笑ましい表情と共に感謝の言葉を述べただけでこれだ。
ああ、確かに琥珀さんの気持ちはわかる。
たしかにこうも素直な反応をされるとからかいたくなる。
「う、うんんっ・・・」
と、志貴が唸り声を漏らしてうっすらと目を開けている。
どうやら目が覚めたようだな。
「おはよう志貴。
心配してくれてあり『さつき!!』・・っわぁ!?」
んで、眼が覚めるなり志貴はボクに抱き着いた。
な、なんで突然抱いてくるんですかーーーこの主人公は!
べ、別に嫌じゃないし、
むしろ病弱な体な割に意外と体格が良くて・・・。
じゃなくて!恥ずかしい以上に鬼を背負った秋葉さんのオーラが怖い・・・。
あ、琥珀さん待って。
さり気なく距離を取って逃げようとしないで!
ぶち
突然そんな擬音が聞こえた気がした。
発生源は――――――言わずとも判る。
「う、うふふふふ。
私はずっと心配していたんですよ。
兄さんの部屋にいた錬金術師が暴れたと聞いて。
・・・本当に弓塚さんとは仲が宜しいようですね、に・い・さ・ん」
「あ、秋葉っ!?」
で、鬼妹の存在に気づいて青ざめる志貴。
唯でさえ低めな体温が更に低下しているのが分かった。
・・・いくら秋葉さんが怖いとはいえさらにきつく抱きしめないでほしいな。
そして蛇に睨まれたカエルのごとく固まった志貴の首根っこを掴んでボクから引きはがす。
「弓塚さん、少し兄さんをお借りしますわね」
「はい、どうぞ!
煮るなり焼くなり好きにしてください!」
「ちょ、さつき!」
うるさい!
こっちだって命は惜しい身なんだ。
それに、これは志貴のためでもあるんだ。
少しくらい秋葉さんの気持ちに答えるのが兄としての務めだろ!
「ご協力感謝いたします、弓塚さん。
兄さん、別に弓塚さんへの見舞いを悪く言うつもりはありません。
ただ少ーしばかり頭に来ているので、今度という今度は兄さんに対して自重や自愛。
という単語の意味を懇切丁寧、かつ兄さんの何度言っても分からない頭に叩き込んで差し上げますわ」
「ま、待って。
待ってくれ秋葉!
首が締まる首が締まる!?」
秋葉さんは志貴の首根っこを掴んだままズルズルと引きずって行く。
南無阿弥陀仏、骨は拾えたら拾ってあげるから安心して逝ってこい、志貴。
「ではご機嫌用、弓塚さん。
いくら吸血鬼は治りが速いとはいえ、
完治するまでしっかり休んでいて下さいね」
そう秋葉さんが言うと志貴の悲鳴をBGMに部屋を後にした。
残されたのは琥珀さんとボクだけで、
「・・・ふふ、鬼の居ぬ間に何とやら。
これでしばらく秋葉様は志貴様に夢中ですから私はしばし自由の身、バンザーイ!」
主人が去って向日葵のような笑顔と共に万歳する琥珀さんがいた。
志貴を鬼妹に差し出した罪悪感など一片もない態度である。
「はい、弓塚さん。
ハイタッチ!イェーイ!」
「い、いぇーい・・・」
何かよくわからないノリに浸っている琥珀さんに言われるがままハイタッチを交わす。
琥珀さんとの付き合いが未だ浅いこともあるけど、唐突にこうした事をしてくることに慣れないな。
いや、まあ。
【原作】の琥珀さんの過去を知るだけに、
琥珀さんの態度について疑ってしまうからかもしれないが・・・。
「うーん、何をしましょうかねー。
やりたい事は大方済ませてしますし何をしましょうかねー、
この前開発した試験薬をこっそり弓塚さんに飲ませましょうかなー」
「本人の前でバイオテロ宣言は止めてくれませんかっ!?」
加えてこんな感じで「月姫」というより、
その後のスピンオフ作品で登場する琥珀さんのような言動をしているから、
余計に戸惑う、というかどう対応すれば良いか分からなくなるんだよなぁ・・・。
「でしたら雑談でもして時間を潰しませんか?
秋葉さんから安静しろ、と言われても暇でしかたがないし」
特に考えずにボクの口からそんな言葉が出た。
「おや、弓塚さんからのお誘いですか。
良いですねー以前から弓塚さんについてよく知りたいと思っていたのですよ」
む、ボクの事を?
てっきり学校での志貴の様子やら、
夜間屋敷に侵入して来るアルクェイドさんとか、
同じく志貴目当てに侵入してくるシエル先輩とかに興味を抱くと思っていたけど。
「だって弓塚さん、
貴女は【初めから私の事を知っていた】じゃないですか。
そんな方が世の中に居るなんてとてもとても珍しいから私、気になります」
向日葵のような笑顔を浮かべたまま琥珀さんは言った。
「・・・・・・え?」
自分でも非常に間抜けな声と自覚できる程、間抜けな声が漏れた。
思わず琥珀さんを凝視するが、変わらず笑みを浮かべている。
――――しかし、視線はこちらを探るように鋭く、
口元は間抜けなボクをあざ笑っているのは気のせいだろうか?
いや、それよりもどうして琥珀さんからこんな事を言い出した!
「初めから私の事を知っていた」なんて言っているけど、そんな素振りは出していないはずだ!
「・・・珍しいって、それは吸血鬼よりもかな?」
「ええ、それはもう。
遠野に連なる様々な魔を見てきましたけど、
これはとびっきり珍しく希少価値のある存在だと言えます」
と、言いつつボクのすぐ傍に近寄る。
例え吸血鬼でなくても琥珀さんを力で押しのけることは可能だ。
しかし、それをしてしまえば、曖昧な表現になってしまうが何かが後戻りできなくなるだろう。
かと言って下手な反論や誤魔化しが通用するとは思えない。
何たって今でこそ裏の世界の住民だが少し前まで太陽の世界に生きて来た自分と違い、
眼前にいる割烹着姿の少女は頭の先から足先まで裏の世界の闇で生きて来た人間で即座に見破られるだろう。
「驚いちゃいました。
そんな存在がいる事と、
『驚く』という感情がまだ私にもあったなんて」
「・・・・・・・・・」
ゆえに黙って琥珀さんの独白を聞くに徹している。
沈黙は肯定、とも捉えかねない行為であることは知りつつも。
「おまけに弓塚さんは私に対して好意的で、
魔にも関わらず酷い事をしないなんて困惑することばかりです」
そしてスッと身を乗り出し、
ボクの耳元で琥珀さんは囁いた。
「貴女は、それとも【貴方】はどこまで知っているの?」
耳元で囁かされた声は普段の『琥珀さん』ではなかった。
例えるならばまるで「人形が人間のふりをして発声させた」様な代物であった。
汗が止まらない。
心臓はけたたましく鼓動する。
緊張感で一秒が一時間のように感じてしまう。
どう答えるべきか?
いっそ正直に「ウェブ小説のように自分は転生主人公です」と言うべきか?
しかし、そう言われて納得するなんて普通は有りえない。
どう答えれば―――――。
「なーんて、冗談です。
ふふふ、弓塚さんを驚く姿を見たかっただけです」
そう言うなり琥珀さんがぱっとボクの傍から離れる。
表情も何時もの笑顔を浮かべる「琥珀さん」に戻っていた。
「・・・うん、とっても驚いたよ」
どこまで本気だったのか。
どのような意図なのか分からず、
そんな率直な感想を辛うじて口にできた。
「イエス、作戦大成功です!
我奇襲に成功せりですトラトラトラ!」
ボクの回答を聞いた琥珀さんは大満足なのか、
良くわからない決めポーズを取り歓喜の声を挙げていた。
・・・なんだろう、この徒労感は。
先ほどまでのシリアスな空気はなんだったんだっ・・・!?
「さてと、何だかんだと時間が過ぎちゃいましたね。
弓塚さんをからかって楽しめましたし、とっても有意義でした。
そろそろ私は弓塚さん用の輸血パックをお持ちしますから、安静していてくださいね~」
そう言うなりパタパタと足音を立てて琥珀さんは部屋を後にした。
「・・・・・・本当に、どこまで本気だったんだ?」
足音が遥か遠くに消えて行ってから思わずこんな言葉が漏れる。
加えてなぜ琥珀さんがそんな事を言ってきたのか気になるが、今はまず休もう。
何たってまだ傷は完治していなのだから―――――――。