今日は木曜日

2014-06-26 14:10:19 | Weblog
このところごたごたしていて、つい木曜日の聖書の集いもさぼっているのだが、テキストだけでも読んでおこうと福音のヒントを見ると、今度の日曜日の聖書の箇所は聖ペトロと聖パウロだ。

いつの時代にもさまざまな問題も弱さも抱えながら、それでも不思議なことに二千年以上の歴史を持つキリストの教会、東西に分かれたり、改革を求めるプロテスタント諸派ともまた分かれたり、決して平坦ではない道をたどりながら、それでも今の時代にも世界中の人々に何らかの影響を与え続け、歴史の真ん中にしっかりと立ち続けているカトリック教会の礎を築いた二人の大聖人だ。

そして、その後継者たる今の教皇様に思いが及んでいく。いつの時代にも教会のトップに立つ方はあまり楽でないことが多かったわけだが、この複雑で簡単ではない時代に、今の教皇様が健康も仕事も守られ、いつまでも信者の我々のよき霊的指導者として教会の先頭を歩まれることを願わずにはいられない。

そういえば、知り合いの方々にも、ペトロ、パウロ、ピエリナ、パウラといった霊名をお持ちの方もおいでだ。その方々にも神様のお恵みと祝福をお願いしよう。






何処より

2014-06-25 08:37:07 | Weblog
釧路市動物園のホッキョクグマで今ミルクと同居しているツヨシの双子の妹のうちポロロは徳島のとくしま動物園へ。朝から昔の思い出話だの、しろくまさんだの、そんなの読んでる暇ないぞ、よくそんなものを書いてる暇があるなあとおっしゃる皆様、暇はないけど、なんたって今日はこの後、夜までパソコンいじれないので仕方がないのです。

それに動物の話題ってなんかこう、ほのぼのとするじゃありませんか。朝の満員電車でぎすぎすしてくる心も、動物園のはなしでムカついたりはしませんものねえ。

人間でも動物でも、赤ちゃんや小さい子はほんとにかわいらしい。それがいつかハイティーンともなれば親に逆らいだして実に小憎らしい餓鬼に変貌していくわけですが、しかし、それも含めて考えてみれば実に不思議ではありませんか。

赤ちゃんたちはみんなほんの1年前はこの世のどこにもいなかったのですよ。お母さんのおなかの中にもいなかったかもしれない。ゼロだったのが今は生きてないたり笑ったり動き回っている、これって本当に不思議ではないですか。

還暦を過ぎた皆様方だって、今何歳かは知りませんけれど、何十年も前はこの世のどこにもいなかったし、またそのうちいつか、いなくなる、これも不思議でしょう。みんな、自分で生まれて自分で大きくなったようなつもりになっているけれど、全員、ちょっと前までこの世のどこにもいなかったんですねえ。

動物たちを見ていると命の不思議さ、どこにもいなかったものが今はこの世にいていつかはまたいなくなる不思議を思わずにいられません。

命を、というかこの世界のすべてをつくりだした大いなるお方の存在を思わずにはいられないのです。



ほのぼの~とくしま動物園の動物たち~Animals in Tokushima Zoo


高田 渡

2014-06-25 07:16:00 | Weblog
もう40数年も前のこと、まだ高校生で夜中に勉強しながら深夜ラジオを聴いていて、フォークルや高石友也、風船、岡林といった方々の歌に出会って感激し、東京のフォークソングにはない、関西のフォークソングの魅力に取り付かれてわざわざ関西まで聴きに出かけたりしていた十代、二十代の頃、都市センターホールでのアングラ音楽祭で初めて高田渡の歌を聞いたのではなかったかしら。まだこちらは親が心配してコンサートに一緒についてくるような少女の頃の話だ。当然高田渡もまだ若い頃だ。

それから何十年もたってこちらはフォークソングのことから歌の持つ力、そしてキリスト教の讃美歌、聖歌の働きにひかれて聖歌隊で歌い始めたのだった。それからいろいろなことがあって、杉並区の住人になり、西荻窪に越したら隣の街になんと高田渡がいた。あれは驚いたなあ。いやはや、すっかり忘れていた若い頃の思い出になっていた人々、中川五郎や中山ラビ、大御所の小室等がすぐそばにいたりしたのは吉祥寺ならではだったのだろう。

吉祥寺教会に行く途中、伊勢屋の前を通るたびにいまだに高田渡を思い出す。関西で初めて実際に会った頃はまだ本当に若かったのが荻窪や吉祥寺で見かけるようになったときは見違えるようなおひげのおじさんに変貌していた。もうちょっと長く生きていてほしかったけれど仕方がない。今は息子さんの漣さんの活躍を応援したいと思う。



高田 渡が「生活の柄」を完唱





こちらはまだ高田渡が本当に若かったころ。むかしからこの人、老けていたのだ。

「銭がなけりゃ」 高田渡




かみなり

2014-06-24 13:55:36 | Weblog
こんにちは~、マリーで~す。

うちのおばはんはこの間、配管を取り替えて直ったはずのトイレがまた水漏れしてるって腐ってるところよ。なんかさあ、やっぱりまだどこかおかしいのよね。後でもう一度大家さんの奥さんに話しに行かなくちゃ。今、ご主人の大家さんが骨折したりしてあちらも大変なんだけど、こちらもこのままじゃ困るし、まったくどうしたらいいんだか。

お外の天気は今のところ曇ってるくらいだけど、時々、かみなりは鳴るしこれからもしかしたら大雨がくるかもしれないんですって。高台だから善福寺川沿いの辺りよりは心配も少ないはずなんだけど、雷が嫌なんだわさ。パソコンの電源切っとかなきゃならないし、ちょっと面倒よ。jcomにしてからパソコンも電話もテレビも一体だから、とりあえず全部電源をはずしておくみたい。あ、鳴り始めた、辺りも急に暗くなってきた、大きい雷の音してるし、ちょっと途中だけど、雷が行っちゃうまでパソコンきるわね。ほんじゃまたあとで。


後でって言いながらすぐまた入ったけど、あの人ったらさあ、タブレットの電池を満タンに充電しておくの忘れてるんだもん、あんまり長く書けないけど、今お外は真っ暗、雷はドッカンドッカン、ガラガラガラって、もう本当に強烈よ。この雷が他所に行っちゃわないと動きがとれないわよ。

今日はどうせお家で少し原稿の方に向かうつもりみたいだったから、ちょうどいいけどね。40数億年前の原始地球でもこんな雷鳴と稲光が響いていたのかもしれないとかって、想像力をかきたてるのにピッタリなお天気だわさ。あ、とうとう雨が降ってきた。すっごいわよ、一気にザアザア降り。

これじゃあ止んでも今日はもうお出掛け無しだわね。ほんじゃあ、あたしもタブレットの電池切れも心配だからこの辺でひっこむわね。ほんじゃまたね。


足尾銅山事件の谷中村廃村

2014-06-23 21:11:25 | Weblog
ちょっと前に聖書の集いで幸田司教様が田中正造と足尾銅山のことを話された。今の福島の問題にもつながるような出来事だったという。正直なところほとんど知らなかった。NHKドラマの足尾から来た女はその時代の物語だったのだそうだ。これはその村のあとはどうなったかを映しています。



廃村から100年