2024年3月18日午前10時10分、
諏訪の日赤病院にて、
篠塚建次郎さん亡くなりました。
享年75歳、すい臓がんでした。
昨日よりニュースでも報道されていたので、
ご存じの方も多いはず。
私なりにお別れがしたかったので、
今回載せさせてもらいます。
私が篠塚さんと初めてお会いしたのが1987年の、
パリダカールラリーのスタート地パリでした。
前にも書いたのですが、クイズに応募し、
抽選で当たったので、パリダカール観戦ツアーへ。
ラリーの仕事でも、報道の仕事でもなかった。
その後再会したのは1991年。
ラリードライバー岩瀬晏弘さんのマネージャーになり、
テレビ番組の収録でお会いしました。
でも、覚えていたのは私だけ・・だと思います。
その頃、岩瀬さんと篠塚さんは宿命のライバルで、
サファリラリーでも戦っていました。
でも、晩年はヒストリックラリーなども参加され、
二度ほど、ご一緒させて頂きました。
最後に一緒だったのが、昨年9月末に開催された、
「ヒストリックアルペンラリー」
このラリーは諏訪湖に面したホテルをスタートし、
宿泊もそのホテルでしたが、
今回篠塚さんが亡くなったのは、
そのホテルの隣あった、日赤病院とのこと。
下の写真はその時のもの。
清里の舩木さん、篠塚さん、岩瀬さん、
3人ともに、楽しそうに笑っています。
昨日、この写真をスマホに見つけ、
舩木さんに送信したら、すぐに電話もらいました。
篠塚さんの奥さんのペンションが清里で、
舩木さんのレストランも清里なので、
仲が良かったそうです。
というより、ここ数年は日本でのイベントは、
舩木さんがマネージャー的な役割だったと聞きました。
5年位前からガンで闘病していたそうです。
しんどそうな時もあったそうですが、
痛いとか辛いとか、一切そういう事は言わない、
大変我慢強い方だったと、舩木さんが言っていました。
私は実際には、それほど仲が良かったわけではないので、
詳しく性格など存じ上げないですが、
プライドが高く毅然とした方でした。
勝つことについての飽くなき執念は、
並々ならぬものだったと思います。
パリダカールラリーでの優勝は、
まさにその執念の賜物ではないかと思います。
三菱自動車の社員として、絶対に勝つと思っていたはず。
その一方で気さくな方でした。
昨年ホテルで、浴衣姿の篠塚さんと、
何度もエレベーターで一緒になり、
翌朝も朝一緒になったので聞くと「お風呂に行く」との返事。
その後もまたお会いし、
「またお風呂ですか?」と聞いたら、
「朝ごはん食べに行くんだよ」とのことで、
「そんなに何回もお風呂入らないよ」と言われたり、
そんなエピソードも。
大変長くて恐縮ですが、
このヒストリックラリーで一緒に参加できた人たちは、
忘れられないラリーになったと思います。
篠塚選手、お疲れさまでした。
心よりご冥福をお祈りいたします。
先に逝った、木全さんも、東海林さんも、清木さんも、
皆待っていると思います。
心おきなくラリー談義ができることと思います。
どうぞ安らかに。
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