延命治療ということが話題になる場合、この言葉は「意味のない延命治療」として使われることが多い。
しかし、実際の医療の現場で、ある治療が「大切な救命治療」か「意味のない延命治療」かを判断するのは常に難しい問題である。
例えば、食事を取れなくなった高齢者に栄養を点滴することは必要な救命治療か、意味のない延命治療か?
さまざまな身体的条件、本人の意思を総合的に判断して決めることになるが、一般的に栄養の補給は必要な救命治療で、意味のない延命治療とは考えられていない。
家族が栄養の補給を拒否する場合はごくごくまれなケースである。
具体的に「延命治療」となりうる治療方法を列挙してみよう。
(呼吸機能)
・気管挿管…救急救命の蘇生処置として気管にチューブを入れる処置。その後、自発呼吸機能が改善されればよいが、そうでないと気管切開型の装着が必要となる。
・気管切開…通常は救急的処置で気管内挿管された後、長期に渡って呼吸管理が必要な場合に実施されることが多い。
*人工呼吸器は救急救命の強力な手段であって、蘇生手段として装着され、多くの人の命を助けている。
一方で、呼吸機能の回復がなく人工呼吸器が外せない場合は、無駄な延命処置として尊厳死の問題が生じている。
(栄養補給)
・末梢点滴…一時的な脱水、栄養不足には対処出来るが、長期的には十分な栄養は補給できない。何度も点滴していると血管も使えなくなる場合も多い
・中心静脈栄養…長期的な栄養補給が可能であるが、深部の太い静脈にカニューレを挿入する必要がある。気胸、動脈穿刺などの事故がおこることもある。数か月で発熱の原因となり、繰り返し穿刺が必要となる。
・経鼻胃管…鼻からチューブを胃に挿入して流動食を滴下する。チューブが不快で自己抜去することも多い。
・胃瘻(いろう)…皮膚から胃に穴をあけ、栄養を滴下する。内視鏡的手術で造設されるが、手術には合併症や危険も伴う。完成すると管理は容易。数カ月ごとにチューブを交換する。
(心臓機能)
・ペースメーカー…心臓のリズム不整で心不全をおこす場合に植え込まれる。高齢者の場合、心機能の異常を寿命と考えるか、ペースメーカーを用いても治療すべきか迷うことも多い。
(腎機能)
・人工透析…腎機能が低下して、尿毒症や心不全状態で導入される。
短期間で必要がなくなる場合もあるが、一般には生涯必要となり、毎回、長時間の透析が必要となる。
精神・身体的負担は大きい。
(その他)
・酸素投与…呼吸、循環機能障害で酸素濃度が低下したとき一般的に行なわれる
・輸血…消化器癌などで貧血が生じた場合など。補給的治療で一時的な対処である
・薬剤投与…強心剤、鎮痛剤、その他いろいろの薬が使用される
・蘇生処置…心マッサージやアンビュウーバッグによる呼吸。救命のための一時的な処置
では、何が「意味のない延命治療」か?
どのように考えたらよいのであろうか?…その際の判断項目
1.生存期間…その治療方法を行なった時と行なわなかった時の生存期間の差は?
2.生命の質…その治療法で延命された状態でどのような“生命の質”が保たれるか?
①(循環・呼吸機能) 自分で呼吸が出来るか
②(植物的機能) 栄養が与えられれば生きていくことが出来るか
③(動物的機能) 自分で動くことが出来るか
④(思考能力) 自分で考えることが出来るか
⑤(生活の質) 苦痛のない、喜び、楽しみのある生活を過ごせるか
3.本人の意思…本人はどこまでの治療を望んでいるか?
4.生命の倫理…「命の尊さ」と「人間としての尊厳」の調和
1と2は、その治療法を行なうと「どういう生き方」で「どのくらい生きていけるか」を予測し、その状態が、本人の意思と生命の倫理に合致するかを考えて総合的に判断する。
3は、本人が意思表示できない場合は家族が本人の意思を代弁することになる。
4では、患者、家族と治療する側の考え方が一致するのが望まれる。
具体的例を考えてみよう。
(1)脳梗塞で寝たきり、植物状態で経管栄養で長期に生きている
(2)末期の消化器癌のため食事摂取できないが、中心静脈栄養で生きられる
(3)85歳で認知症が進み、意思疎通も困難。腎不全で人工透析が必要
(4)蘇生処置を受けたが自発呼吸が回復せず、人工呼吸器で生きている
私の考えは
(1)と(2)の栄養補給は必要な基本的な治療と考える。
(3)は判断が難しい。少なくとも、単に高齢だからとか、高度の認知症だからという理由で透析は不要な治療という考えには賛成できない。
ただ長時間の透析は束縛・拘束とも考えられ、本人の苦痛はどうか。
また、透析回路を引っ張ったりすれば危険も伴うことになる。
(4)は意味のない延命治療。