2012年01月22日 - 詩と技巧 7
前回は朗読が詩の魅力を引き出す重要な技術であり、おろそかにできないものである事を指摘し、ドイツ語の詩を例に、朗読法の実際について検討し、日本語ではどうか、考察を拡げたのでした。
もとより日本語は西洋の言語とは違います。西洋言語の詩がやってるからといって、何でもかんでも真似すればいいというものではありません。しかし、現代の詩が、明治時代に西洋の詩の模倣から始まっている歴史的事実を考えると、余りにも見過ごしている、あるいはおろそかにしている事が沢山ある様に見えます。
詩を書くための基礎練習
さて、今回は、基礎練習について考察します。
スポーツでいう基礎トレーニング、素振り、美術ならデッサン、音楽なら練習曲、書道でも、料理でも、物事を極めるには地道な練習が不可欠です。詩作だけ「思った通りに書けばいいのよ」でいい訳がありません。そういうアドバイスをする人は、伸びる才能が開花するきっかけを摘み取ってしまっているかもしれず、実に罪深いことです。本人が研鑽と向上を目指さないのは勝手ですが、他人まで巻き込むのはどうかと思います。やはり基礎として押さえるべきポイントは押えて後進の進歩の助けになる様にしておかなければなりません。
では、詩作の基礎練習とはどんなものなのでしょうか。
本題に入る前に、ひとつお断り。私は基本的に定型詩しか視野に入れていません。その定型は昔からあるものかもしれませんし、自分が勝手に作った定型かもしれません。ですが、詩全体の構造が決まっていて、形式的に判別可能であれば定型として捉えていくものとします。言ってみれば、ルールや作法は自由に決められますが、決めたものには従う、ということです。文語体、口語体、現代語、古語の別は問いません。また、「よい詩をたくさん読む」とか以前このシリーズで述べた素読と筆写のような項目は、基礎練習以前の問題なのでとりあげません。あくまでも技巧的、機械的な練習を目指します。
これは、スポーツなら体力トレーニング、柔軟、素振り、ランニングのようなもの。音楽なら練習曲、料理でも出汁とりやフライパン降りなど、他の分野には必ずあるものです。詩だけが基礎なくして素晴らしい作品を、というのはあり得ないことです。
自称(も含めて)詩人の皆さんは、好き放題書く以外にどんな基礎練習を積んできているのか、作品を見るかぎりでは疑問に思う事が多いこの頃ですが、本稿はあくまでも、楽しみや趣味を越えて、お金を出して人に読んでもらえるだけの物が書ける力を詩人の多くは身につけていないし、研鑽も怠っているのではないか、という現状に対するアンチテーゼとして記述するものです。既に手前勝手に好き放題にすいすい書ける(と思っている)自称詩人や趣味や楽しみで「なんとなく」詩を書いている人には無意味です。
何から始めるか
実のところ、はじめはどこから、という事を論じるほどこの問題に体系的にまとまった答えはありません。今回は、思いつくまま述べていきます。なお、脚韻パターンを示すAbabA、、、で大文字は脚韻だけでなく行全体が同じ、もしくはほとんど同じ、繰り返しになっている事をあらわします。
1.ことばならべ
文字通り、言葉を並べていくだけです。色々な方法があります。
1音からはじめて2音、3音、4音、と音数で並べる。
あ行、か行、、、とはじめの音ごとに並べる。
あ行、か行、、、とおわりの音ごとに並べる。
名詞だけ、動詞だけ、という様に同一の品詞ごとに並べる。
名詩名句をとりだし、一箇所だけ他のことばを当ててみる。
手当たり次第に出たことばを、意味や性質でグループ分けしてみる。
赤-白、男-女、行く-来る、明るい-位など、ことばのペアを出来るだけ沢山作ってみる。
一つ目から順に連想することばを挙げていき、最後に元に戻る様につなげてみる。
上記を「幾つ目に戻る」と決めてやってみる。
更に、最初と最後の言葉を決めてやってみる。
更に、特定の場所に何がくるかを決めてやってみる。
2.おきかえ
これも、AとBの置換え、という単純なものから、文の置換え、行の置換えへと
様々な発展形が考えられます。
意味を変えずに異なる短文を限りなく書く。
文字数を1文字増やして書いてみる。
文字数を2文字増やして書いてみる。
同様にしてn文字増やしたり減らしたりして書いてみる。
3.へんじ
詩人が詩に対して詩で返答する、あるいはその詩に和した詩を作って贈る、
なんてことは、漢詩の世界では割合と当たり前の事だったようですが、
今の詩人たちはどうなんでしょうか。
好きな詩やその一節に返事の詩を書く。
同意
別意見
反対
感動
4.表現
見たものや聞いたもの、体験、思ったことなどを何でも言葉にしてみる。
一語であらわす。
一文であらわす。
一段落であらわす。
これを語数、文数、段落数を増やしてやってみる。
さしあたり、こんなものでしょうか。実はこれ、私は日常的にやっている事です。別に特別な努力が必要な事でもなく、詩を書かない人でも日頃の生活の中で無意識のうちに行っている事も多いと思います。なので、大上段に構えてどんな練習をしなければならないのだろうと思っておられた方には拍子抜けかもしれませんが、あくまでも「基礎」ですから、実行が困難な練習は不向きです。
この後の段階では、もう少しテーマ性のある事柄を、まとまった単位で書いていきます。以後は、すべて定型で書きます。韻文によるエッセイのようなものになるかもしれません。以下、いずれも漢詩では大昔の人が既に行なっている事です。
5.日記
6.書評
7.旅行記、紀行文
8.詩論
以上のテーマでまずは七五調四行で。
慣れたら文字数を自由に決めて、四行で。
なぜ4行か、というと、西洋詩が結構4行でまとまっている(Stanze)事に由来します。起承転結は意識しなくても構いません。4行でひと通りの主張が入る構成になれば良いと思います。これを聯、散文でいう段落として、もっと長い詩文に組み立てていけば良いのです。
9.脚韻
脚韻練習です。日本語に脚韻は不要だ、という向きもありますが、私はそうは考えません。日本語の詩的表現力を拡げる為にクリアすべき課題のひとつだと考えます。いつまでも理由をつけて逃げていて、あるいは怠けていていい問題ではありません。勿論本当にちゃんとした答えが出るまではまだまだ何世代かの時間がかかるとは思いますが、挑戦し続ける事で見えてくるものは多いはずです。
ひとつの種類の脚韻を4回繰り返して2聯作る。 aaaa / aaaa
二種類の脚韻を交互に2回繰り返して4聯作る。 ab / ab / ab / ab
二種類の脚韻を2回ずつ繰り返して4聯作る。 aa / bb / aa / bb
※慣れたらパターンを増やしてみる。
10.対句
中国には400年の昔から作詩の練習帳みたいなものがあります。韵や対句の詩語集にもなっていて、しかも全体が故事をふまえた詩文で書かれている、という優れ物です。作成したのはもちろんその当時の名の通った詩人で、何種類ものテキストが存在しました。もともとは科挙を受ける書生の勉強用参考書、といったものらしいのですが、私も詩語と韵と対句の事例をいちどに見る事が出来るのでよく読みました。対句の作法は以下の如くです。
・前の句と後の句で完全に対を為す
・色は色
・数字は数字
・生き物は生き物
・気象は気象
・行為は行為
最後にちゃっかり対句を入れてしまうあたり、元々漢詩好きで詩といえば漢詩の事だった人間ならではですが、西洋詩にも2行を聯とし、対句表現で綴る詩型があるので、表現方法としては東西を問わずベーシックなものなのだと思います。
以上をStep1として暫く自分自身も研鑽を積んでみたいと思います。Step2以降にどんな練習が待っているかはまた追い追い発見していきます。