おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


網一色八幡神社 地名の由来

2021年08月09日 22時52分00秒 | 神社
網一色 という地名は珍しい。
一色は結構あちこちにあって、近いところでは二宮町、葉山町、静岡県小山町など。江戸時代、生産性が低いゆえに年貢を一種類に免除されていた土地のこと。
たとえば山梨県にあった九一色村は古くは木一色とか工一色といい、山間地につき年貢は木材や木の加工品だけで許されていた。

網一色は酒匂川と海岸に面しているし「網」という字からも水産物やその加工品だけに年貢を免除されてたのだろうと考えていた。

でもこの間、網一色八幡神社に行った時







大正天皇即位記念碑と昭和天皇御大典記念碑があって
昭和天皇の碑には網一色村とこの神社の由来も書かれていた。

それによると
この地は昔は宮城村といったけど、足利家家臣の一色某が冤罪によりこの村に来て荒地を開墾してくれたと、それで一色村に。
後の北条氏康の時代に西国から招かれた漁師が地獄網という網で漁を行い成功し、その網を一色海岸まで干していたから網一色村と呼ばれるように。だそうだ。

なんだか無理矢理感。
真相はわからないけど年貢の一色の方が自然な気がする。


境内には新田義貞を祀る新田神社がある。ここは酒匂の渡しのすぐ近くで、比較的ぴったり重なってきた国道1号線と東海道が別れる部分でもある。
網一色八幡神社の前の細道が本来の東海道で、ここから南へ300mほど、国道1号線と東海道が再び重なるあたりに新田義貞の首を納めた新田大明神があったという。これに関して書くと長くなるし、割と有名な話なのでまたの機会ということで。

明治になって新田大明神を調べたら首があった証がもうわからなくなってて廃社にされてしまい、それでは悲しいので八幡神社に合祀したらしい。




ここの社叢も市で保護されてるので古い松が多くて気持ちいい。
海の近くの神社なんだなと実感できる。