おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


北原白秋と小田原と関東大震災 2

2024年09月25日 15時46分00秒 | 近代文学に見る小田原
初秋だといふに小田原の丘はもう早春の絵模様である。
暖かいいい国だ。
           「蜜柑山散策」
 
 
北原白秋は随筆「蜜柑山散策」で
前田夕暮と2人で伝肇寺から水之尾へ散策した秋の情景を書いています。
(前田夕暮は秦野市出身の歌人)

二人が散策したのはマップのこの部分
  

小田原町詳細圖(昭和4年)だとこの道。
画像はズレてますがピンクの道で繋がります。
 
 
初秋の午後三時過ぎ、山荘を出てテニスコートを抜け
(このテニスコートの詳細は不明)
 
閑院宮別邸の櫨紅葉を眺め
 
閑院宮別邸

旧アジアセンターから旧城内高校までの広大な敷地を有してました。
こんな優美な洋館が天神山にあったなんて、今では想像もつかないです。
 
 
道のそばには野茨の赤い実が玉を綴ればからたちの黄色い実が刺の間に
まんまるく挟まってゐる。
 
火葬場の女松や枯櫟や通り過ぎると青い杉や小松の長い長いトンネルになる。
 

三の丸新堀土塁
 
ご存知の方はもう少ないでしょうが、旧アジアセンター(現在の三の丸新堀土塁)付近には火葬場がありました。
 

火葬場を過ぎて御鐘ノ台大堀切の脇道へ。
ここからが「からたちの花の小径」、
100年前に白秋が歩いていた当時から景観はほとんど変わっていません。

 
この小径はいつか東村と来た時に黒い矢車型のげんげの莢でいっぱいだった。
今は野菊に嫁菜、草もみぢ、秋のきりんさう。
 
(東村とは歌人の矢代東村のこと)

西堀前

からたちの花の小径は小田原城総構の御鐘ノ台堀切を歩く道でもあります。

というか、白秋童謡の散歩道はほとんど総構と被っているので、総構を見学しながら白秋の感性に思いを馳せるのも楽しいかと。
 
 


 

からたちの花の小径石碑と
御鐘ノ台の歴史的町名碑

奥は城南中学校のグラウンド。
 
鳥の◯ンついてた…
 


散歩道の所々にいろいろな歌詞看板があり、
道路には赤い鳥のタイルが埋め込まれています。
 
タイルは擦り切れて見えなくなってるので
そろそろ新しくしてほしいところ。
 

現在からたちは非常に少なくなっていて、新たに植栽もしてるそうです。

そもそもからたちとはどんな植物なのかわからなくて

からたちとは
ミカン科の低木で春に花が咲き秋に実がなる。
食用には向かず、棘があるので防犯目的で住宅の垣根や畑の境界に植えられることが多かった。
非常に棘が多く管理が厄介なので近年では栽培は減っている。


なるほど
小田原は蜜柑畑だらけなので、からたちがあっても「ミカンだ」としか思わずあまり気に留めていなかったのかもしれません。

今後は気をつけてからたち探してみよう。


御鐘ノ台の西端、水之尾口櫓台





櫓台から見下ろすこの段々畑の景色を白秋は野外劇場のようだと絶賛しました。
 
ちゃうど野外劇場式の後ろ高に蜜柑の段畑が円形にめぐっている。
その中ほどに私たちは立ってさうして耳を澄ます。
 

先週の撮影なのでまだ蜜柑は青いです。
9月中旬なのに恐ろしい酷暑日で、それでも元気に歩いてる人達がいてすごいなぁと。
(わたしは車…)

 
白秋たちは蜜柑畑で農家から蜜柑を買い求め食べながら歩きました。
徐々に日は暮れてゆきます。 
 
今度は上の畑を抜けて丘の頂上を通ってゐる水之尾道の方へ、
道もないので、蜜柑の間をがむしゃらに上ってゆかうとなる。
 
上の畑というのがどこだかわからないのですが、水之尾方面へ道なき畠道を抜けたようです。

 
道祖神がある。やっと抜けると水之尾道の高圧線の鉄塔の下に出る。
 
当時と同じ場所とは限りませんが、水之尾の道祖神はサンサンヒルズ小田原(小田原競輪の関連施設)を過ぎたあたりにいくつかあるので、結構遠くまで歩いてきちゃったみたいです。
伝肇寺からは2キロちょっとの距離ですが坂道や畑道が続くので疲れそうです。
 
なお、鉄塔は数が多いので特定は難しいです。
 
鉄塔の下手に見える2〜3軒の農家の様子を色彩も鮮やかに表現して、
すっかり日の落ちた道を引き返します。
 
 
ついさっきの檀(まゆみ)の下あたりに来る頃には、
麓の板橋から早川の漁村にかけて、灯がチカチカと輝き出す。
沖の鰤(ぶり)船にも灯が点る。かうして目が喜ぶ、目が喜ぶ。
 

閑院宮庭園から見る相模湾
アジアセンター建設視察時、昭和35年ごろ。


現在の展望

板橋や城山の住人にはお馴染みの景色。
昔は鰤漁の船も見えたんですね。

映画「プラン75」のラストで倍賞千恵子さんが見つめる風景がここです。


ところで海蔵寺の晩鐘が鳴る。
「お誂へ向き」過ぎるとは思っても、向こうの山で鳴る鐘をこちらの山できくのはいい。

板橋の向こうの山、石垣山から海蔵寺の晩鐘が聞こえてくる。

白秋の秀逸な感性が眩しくてクラクラします。



最後に
白秋の長男隆太郎さんが描いたみみづくの家と洋館の見取り図。
(「北原白秋 その小田原時代」の口絵)

みみづくの家と洋館の繋がり、白秋がポーズをとっていた書斎、星座を眺めるために作った(?)3階の様子など、時代に合わない(すみません)ポップな描き方でとてもわかりやすい。
こういう家だったんだーと瞬時に理解できました。
(でも玄関はどこなんだろう?)

複雑だけど白秋の好みが詰まった楽しそうな家です。
そういえば家を建てることは趣味の一つだと白秋は言ってます。



散策を終えて帰宅した白秋と前田夕暮を家族が迎え、来客の矢代東村も加わり、
賑やかな夕べになったようです。

竹林の方丈風書斎は客人の寝室として使われていたので、前田さんと矢代さんはきっとその部屋に泊まったのでしょう。




参考文献

「北原白秋 その小田原時代」野上飛雲
「一枚の古い写真」小田原図書館
「白秋全集」岩波書店