おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


松田城と松田氏と新九郎奔る

2025年02月22日 17時16分00秒 | 小田原のいろいろ
松田山の松田城跡へ


松田庶子の東名高速をくぐって松田山へ急坂をうねうねと登ったところにあります

少し登るだけでこんなに美しい富士山が見れます



酒匂川の眺めもよし



説明板前に2台ほどの駐車スペースあり



北条家の宿老松田憲秀の弟(松田新次郎康隆)の持城と書かれてますが他説もあり


松田城の史料は乏しいそうで

絵図だとこの2点しか残されていないそうです
(でも戦国期の山城なんて有名どころ以外はそんなものだと)


昭和60年の東名高速拡幅工事により発掘調査されたのですが
調査されたのは高速道路が通る南側部分だけ

ですから説明板にある図は2枚の絵図を元にした想定図です




城跡は農地になっており、
曲輪は高くなってるのでなんとなく形はわかりますが薮だらけで入ることはできません。





松田城址の標柱が立つ場所の土橋と堀だけは認識できます



本曲輪1
ここは入れます


富士山〜


松田町と大井町方面の眺め


想定図の最上部まで道は続いてそうですが
足元が怖くなってきたのでこの先で引き返しました。




標高165mくらい

城跡の雰囲気はあまり感じられず見るところは少ないのですが
富士山を眺めながらの初春の山畑散策は癒し効果高く楽しいです。



さて
北条氏の御由緒六家(京から共に下ってきた大道寺、山中ら六家)でもない松田氏が重臣になれたのはなぜか?

いくら足柄上郡の有力豪族だったとしても
小田原にやってきた伊勢新九郎(宗瑞)に家来にしてください協力しますっ
でスピード出世って不思議。


と思ってたら

ゆうきまさみ「新九郎、奔る!」17巻より

なんか、堀越御所(伊豆)に松田さんがいる…


新九郎が小鹿範満を破った後、堀越御所で松田弥次郎直秀という人に出逢ってるんですよ。
備前松田家の親戚で堀越公方の奉公衆として伊豆に下ってると。

小田原入りや伊豆平定の前にすでに新九郎は松田さんと知り合いだったんですね。
しかも故郷に近い備前のお人。



とても良い人らしい

この頃から松田氏縁戚と繋がりがあったのであれば、新九郎の小田原入りに強力な助けとなったのは間違いなく
やがては筆頭家老となるのもうなづけます。


ただ、松田直秀という名前は憲秀の次男以外で見当たらず、それだと時代が合わないので誰だかわからず。
また、当時の相模松田氏と備前松田氏の関係性もどうなのか気になるところですが、
それは今後ゆうき先生が明らかにしてくださると楽しみにしています。



最近は北条関連はゆうき先生に頼りっぱなし。