承久の乱の張本公卿として南足柄市で処刑された藤原範茂。
その墓のある範茂史跡公園から北に1.5キロほど、
朝日観音堂の敷地に範茂の従者の墓と伝わる宝篋印塔があります。
小田原山北道を西に入りアサヒビール神奈川工場と南足柄球場の間くらい。
徐々に山深くなり民家がまばらになっていく道路沿いに
おもむろにデンッと建ってるので最初は少々驚いてしまいました。
朝日観音堂の歴史は古く、
かつては沢沿いを数百メートル西、足柄古道に近い場所にあり、そこは朝日がよくあたる場所だったといわれてます。
山津波などで被災してこの地に移転されました。
現在の建物は江戸時代中期のもの。
以前は向かいの平等寺の持堂でしたが、今は上怒田自治会の管理。
昭和48年に朝日観音堂とその土壇が南足柄市の文化財に指定されています。
茅葺がもうヤバいですね。
最後に葺いたのはいつなのか。
建物もあちこち痛みが進んでるようで立ち入り禁止のロープが張られてます。
市の文化財にしか指定されてないので全て修復できるのか心配です。
これが亀腹と呼ばれる土壇。
床下の土を盛り上げることにより雨水の侵入を防ぐなどの効果があるらしい。
実際に建物と土壇が残されてるのを間近で見たのは初めてかもしれない。
土壇だけ残されているのは見たことがあって(平泉の毛越寺など)
この盛り上がりの上に柱を立てたのかな?なんて間違った想像してました。
宝形造の美しさが際立つ裏側。
てっぺんの煙出しがよく見えます。
観音堂の裏にある藤原範茂の従者の墓。
範茂に殉死した従者の墓です。
この宝篋印塔も南足柄市の文化財に指定されてます。
戦前は木刀がたくさん供えられていたと。
木刀といえば源義朝の墓が有名ですが、ここも何かわけあって木刀なのでしょうか。
従者とだけで、名前もなく人数さえ分からず。
古の世の習いとはいえ悲しいことです。
主人範茂の宝篋印塔より状態がよく綺麗です。
範茂史跡公園の宝篋印塔は実は誰を供養したのか確証はないので、
もしかしたらこちらが範茂の墓なのかも
という疑問も沸々と。
でも刀剣で処刑されるのを嫌がってた人に
木刀を供えるってちょっと変かな。
朝日観音堂にあった聖観音菩薩(平安仏)、左右の兜跋毘沙門天像ともう1体肩や(平安仏)、および小仏像13体は神奈川県の指定文化財。
現在は境内の収蔵庫に保管されています。
兜跋毘沙門天像はとてもユニークな仏像で、関東ではとても珍しいです。
聖観音
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通常は17年に一度のご開帳ですが、
事前に連絡すると見せてくれるそうです。
お地蔵さまや庚申塔など
道路脇に名号塔もありました。
よく見る唯念さんの字とは違う気がする。
安政6年のもの。