また篠窪である。
この間、書ききれなかった篠窪の三嶋神社のこと。
小田原成田から大井町あたりには三嶋神社が多くて不思議に思ってたんだけど、
上大井の三嶋神社のウェブサイトでその謎があっさり解けてしまった!
と以前書いた。
上大井の三嶋神社によると、源頼朝が深く信奉していた静岡の三嶋大社を、上大井の宮を中心に六社だか七社だか八社だか勧請したそうだ。
(現在確認できてるのが上の図の七社だがもっとあったらしい)
この中に篠窪の三嶋神社も入ってる。
篠窪の三嶋神社の由緒は
境内に書かれてるものは特にないけど、
「神奈川県神社誌」と「新編相模国風土記稿」で知ることができる。
長くなるので元の文章は載せれないが、2つの資料をまとめて要約すると
篠窪村と神山村の鎮守で、古くは宮地という所にあり(矢倉沢往還沿い、地福寺の上あたり)
根渡神社と称し武内宿祢命(あるいは思兼命)を祭神としていた。
やがて上大井の三嶋神社を模して篠窪村にも三嶋神を勧請して別に社を建てた。
そのうち根渡神社は現在の地に移り、三嶋神と八幡神(神山村にあった)を合祀。
すると徐々に根渡神への信仰は廃れてしまい、元禄14年(1701)の修理の棟札には三嶋と八幡の名称しか書かれていなかった。
明治6年に名称が三島社となり村社とされた。
合祀したことにより最も古い神が廃れる、忘れられることもあるとは興味深い。
とは言っても現在の篠窪三嶋神社の祭神は以下で、根渡神の名は言い伝えられているので安心した。
大山祇命、事代主命 (三嶋大明神の二柱)
誉田別命 (八幡神)
武内宿祢命 (根渡神)
それよりも興味深いのは篠窪の三嶋神は上大井の真似をして勧請されたということ。
源頼朝が命じたのではなかった。
篠窪以外の三嶋神社でも、少ない資料の中で源頼朝は出てこない。
おそらく頼朝が勧請したのは上大井の宮だけで、後にその威光にあやかりたくて
「うちのとこにも三嶋大明神を」「それならおらのとこにも三嶋様を」
という感じで増えていったのだろう。
私は神仏の勧請の手順についてはよく知らないが
こんな狭い地域に六社も七社も分霊することは可能なんだろうか。
もしかしたら勝手にやってしまった、なんてこともあったりして・・・
さて
篠窪にもともとあって、次第に忘れられてしまった根渡神社について。
根渡という神社は北関東から東北にかけて多く、荷渡・庭渡・二羽渡・仁和多利・見渡・新渡・鬼渡など色々な漢字を当てられている。鶏(ニワトリ)から来てるという説がある珍しい名称だ。
ニワトリ!に行きついて鳥好きの私はなんだかとても嬉しくなってしまった。(昔はインコやひよこを飼っていた)
根渡神社に名前を戻してほしくなる。
鶏は天の岩屋戸の前で鳴いて天照大神を迎えたので伊勢神宮では神使とされているから、鶏を祭った神社があってもなんの不思議もないし、狛犬ではなく狛鶏がある神社もあるらしい。
でも根渡神社の祭神は様々で、神様だけ見てると鶏との関係は無いように思える。
ニワトリは地名から来てるのか?
篠窪にあった根渡神社の祭神は武内宿祢命、もしくは思兼命。
どちらも祭神としてはあまり聞かない・・・と思う。
そもそも北関東に多い根渡神社がなぜ篠窪にあったのかが謎だ。