日曜日
梅の実
居神神社創建500年記念でいただいた荒次郎巾着
遊歩道ができてました
椿もそろそろおしまいですね
溜池のカモさんたちのラブリーな様子
総世寺の桜にギリギリ間に合いました
総世寺は道路挟んでお隣の鈴木ざる菊園さんの協力の下、ざる菊が有名になりましたが
総世寺は道路挟んでお隣の鈴木ざる菊園さんの協力の下、ざる菊が有名になりましたが
春の桜も迫力があり素敵です。
いつ来てもお庭が発展途上中で
完成が見えないので(特に裏庭)
もうこれは久野のサグラダファミリアなのかなと 笑
真っ赤な木瓜
梅の実
開山は安叟宗楞
開基はその甥の大森氏頼
安叟宗楞は大森頼明の子
黒衣の宰相と呼ばれ大森一族の繁栄を支えた名僧
大森氏頼は法名寄栖庵、岩原城主、小田原城主
太田道灌とともに扇ヶ谷上杉家の重臣として活躍
大森ビッグ2とも言えるこの2人が
北条氏以前の西相地区発展に大きく貢献しました。
氏頼の娘が三浦高救に嫁いで産んだ男子が義同。
三浦氏の内紛により祖父を頼り総世寺に逃れ、出家し道寸と名乗ります。
やがて道寸は三浦一族の当主となり、伊勢宗瑞(北条早雲)と戦い敗れ
三浦半島の新井城で息子義意と共に討死。
平安時代中期から続いた名門三浦氏はここで滅亡しました。
道寸の息子義意(荒次郎)は大変な巨漢で武芸に優れた人物で
北条の兵を1人で何百人も討ち取った後に首を掻き切って自害しています。
その首が小田原まで飛んできて井神の森の松に引っかかり
3年間も通行人を睨みつけ小田原を呪っていたとか。
そこで総世寺の和尚(4世忠室宗考)が供養したところ首は白骨化し
「今後はこの地を守る神となろう」
と、居神神社の祭神となり今も見守っていてくれてます。
とまあ、こんな感じで
総世寺は大森氏や三浦氏、北条氏とゆかりが深く
郷土史を考える上で興味の尽きない寺であります。
居神神社創建500年記念でいただいた荒次郎巾着
帰りに森と水の公園へ
桜の季節に訪れるのは初めてです。
見事な散り際の美しさ
見事な散り際の美しさ
遊歩道ができてました
わたしは何度かここにはまって靴をドロドロにしてたので有難い
椿もそろそろおしまいですね
溜池のカモさんたちのラブリーな様子