松田町にある寒田神社は相模国式内社13社のひとつ。
神奈川県西では唯一の式内社である。
境内には由緒書きなどの説明板が多い。
全部読むだけで式内社やこの神社についてかなり詳しくなれる。
上の神宝の椀はこちらにわかりやすい写真があった。
松田町の指定文化財
弥生時代というとんでもない古さのお椀。
岩山に登ってる親子の狛犬。とても微笑ましい。子供キュート。
神紋は輪宝という仏教アイテム。
如意輪観音が指先でくるくる回してるあれだ。これは剣が八本なので八剣輪宝。
ヤマトタケルが腰かけたという腰掛石。
寒田神社の祭神は「倭建命(ヤマトタケル)」「弟橘比売命」「誉田別命」「菅原道真」の四柱だが、
弟橘比売命は1400年代に、誉田別命と菅原道真は大正時代以降に合祀されているので、
元々は倭建命だけが祭られていた。
でもヤマトタケルが東征でこの地に来た時にはすでに宮があったので、祭神がヤマトタケルだけというのはおかしい。
左無多(寒田)という神が祭られていたのだろうと推測されてるが、何しろかなり古い時代のことなのでよくわからない。
篠窪の三嶋神社に元々祭られていた根渡神は合祀を重ねる内に忘れられてしまったが、
寒田神社もヤマトタケルというビッグネームが加えられたことによりそれ以前の神の影が薄くなってしまったのかもしれない。
なんとか祭神の名を留めている篠窪三嶋神社よりひどい忘れられっぷりだ。
2015年の式年大祭の祭に配られた「御創建千七百年記念誌」によると
1654年(承応3)の酒匂川大洪水で寒田神社は本殿と周囲竹木地以外ほとんどの建物や土地が流出してしまったそうだ。
たくさんの人命も失われ、神職家も断絶してしまうほどの災害だった。
もちろん古文書や宝物も失ってしまったようで(お椀は?)
古い祭神に関わる記録も語り継げる人もなくなってしまったのかもしれない。
鳥居の外にはすぐに道路が横切っていてその先は住宅地で参道らしきものは見当たらない。
由緒ある式内社らしからぬ光景だが、これも1654年の大洪水で鳥居や参道どころか土地自体が消えてしまったことによる。
洪水の前の参道はこんな様子だったそうだ。
「御創建千七百年記念誌」より
一の鳥居から三の鳥居まで290mに渡る参道があったのだ。
なお当時の酒匂川はもっと西を流れていた。
どれだけひどい洪水だったのか、想像すると恐ろしい。
境内にはかながわの名木100選の樫の木がある。
樹齢500年だから大洪水を生き延びたということになる。