記憶の中のメキシコ

1979年の最初にメキシコを訪れそれから何度となく渡航していましたが、最後に訪れてから早10年が過ぎてしまいました。

コロンビアの民族舞踊

2018-06-13 | コロンビア
最初のメキシコ旅行は遺跡と民芸品を見るのが目的でしたが、それ以上に現地の人たちの生活に衝撃をうけました。

それは子供、また母親と子供の乞食が多い事。小さな子供がお金をせがむのは何ともやるせない気持ちになります。
それに小さな子供が、路上で木の箱の上にボタンを5、6個置いて売っているのです。買う人はボタンが欲しくて買う事はまず無くて、その子にお金をあげる為に買うのでしょう。

小さいながらに毎日を必死に生きている様子は忘れられなく、後の私の生活にも大きな影響を与えました。

コロンビアの民族舞踊

2018-06-13 | コロンビア
英語が話せないのにどうしてそんな施設にと聞かれると、スペイン語はテレビとラジオと友人がら少し勉強したので片言スペイン語で通じました。
お金が無い学生時代でしたから、旅行費用を貯めるだけでとても語学学校へ行けるようなお金が無かったのです。

NHKのスペイン語講座がまだ白黒の時代でした。寿里順平先生のスペイン語講座が面白くて良く勉強させてもらいました。

コロンビアの民族舞踊

2018-06-13 | コロンビア
ラテンアメリカ、コロンビアだよりというタイトルになっていますが、最初に訪れたラテンアメリカは1979年に1ヶ月間メキシコの貧乏旅行でした。

名古屋から成田、成田からソウル、ソウルからホノルル、ホノルルからLA、LAに2泊してモンテレィと云う飛行機も初めての旅行。
LAからモンテレィまでいつ便があるのか、どこから出るのか全く知らないで行ったのです。
LAのホテルは一泊分のみ予約してあったのですが、2日泊まる事になり新興宗教の宿泊所にタダで泊めてもらう事となりました。
そしてその宗教施設の偉い人から、「あなたは良い人だからここにいなさい。」と勧められるも、メキシコに行かないといけないからとお断りしたのです。

今の様にインターネットも無く海外の航空便情報も無い時代に英語も話せない若僧が海外行くのは、全くの冒険旅行でした。