記憶の中のメキシコ

1979年の最初にメキシコを訪れそれから何度となく渡航していましたが、最後に訪れてから早10年が過ぎてしまいました。

プラネタリュウム

2006-07-29 | 建築
同じく古る~い写真です。27年前のモンテレーのプラネタリュウム、金属質の円柱が斜めに地面に刺さっています。このとき周りは空き地ばかり。現在はgoogle earthで見るとたくさん家が建っている。それにしても不便な所につくったものだ。数年前にも行ったのだが、タクシー拾うのにも苦労しました。

話は変わりますが、プラネタリュウムで思い出すことがあります。ある学校で教員をしている時、同僚にアントニオ・プルネダという先生がいました。他の先生と話しをしていると、この先生のことが話題に出てきたが名前が思い出せず、pu pu pu・・・・と言ってると、prof.planetario?と言われてしまいました。

行った当初は、メキシコ人の名前を覚えるのも苦労しました。セクレタリーのヘッテゥルディス、ルームメイトのメルチョールなどなど、とても一度聞いただけではわからない名前でした。


初めてのメキシコ旅行

2006-07-28 | 
写真の整理をいていたら、出てきました。27年前初めてメキシコ旅行した時の1枚です。古くなって色も褪せてきてしまいました。

この旅行中の出来事ですが、あるメキシコ人が案内してくれて、モンテレーの南にある湖まで行った時、その湖畔で男2人、女1人の3人がビールを飲んでいました。

辺りには他に人影もなく、なんで平日なのに昼間っからこんな所にいるんだろうと見ていると、気軽に声を掛けてきてビール飲まないかと誘ってくれたので、会話をしながらビールを飲む事にしました。
何処からきたとか、メキシコはどうだとか話をしていると、いきなり一人が、車から自動小銃を持ってきたのです。
「写真を撮ろう!」 こいつらなんだと思ったら、「びっくりする事はないよ、俺達警察だから。」
びっくりするよ、誰だって!警察というより、どちらかと言うとギャングに見える。

まぁ、一安心してこの写真を撮るに到ったわけです。ちなみに自動小銃は第二次大戦で使用していたものだそうです。

arq.Ricardo Legorreta in osaka

2006-07-26 | リカルド・レゴレッタ
出てきた写真の中に、大阪でお会いした時の写真もありました。大阪建築士会50周年記念事業でおこなわれたリカルド・レゴレッタ氏講演会と展覧会のため来日されました。この時はメキシコからではなく、イスラエルから来られたそうです。

前の写真の磯崎新氏とリカルド・レゴレッタ氏は、年齢が同じでよき友人同士だそうです。

93年10月13日

2006-07-26 | リカルド・レゴレッタ
写真の整理が全く出来ていない。それどころかとんでもない所から写真が出てくる。
このブログを機会に少し写真を整理しよう。


で、前にも書いた初めてarq. Ricardo Legorreta に会った時の写真が出てきました。
日付は93年10月13日、経団連会館で講演会はおこなわれました。

バラガン(展?)のカード

2006-07-25 | ルイス・バラガン
このカードは、メキシコであった展覧会のカードだと思います。

確信が無いのは、友人が「メキシコ建築を忘れないで。」と中に書いてきただけで、それ以上の事は書かれてありませんでした。2つ折りの中心には、飛び出す絵本の様に自邸の階段が立体的に出てくるものです。今このカードは手元にありませんが、いつかその写真も掲載することにします。

本に紹介されていないバラガンの晩年の作品

2006-07-22 | ルイス・バラガン
この建物がarq.バラガンの作品である事は、それを教えてくれた建築家の父親と、arq.バラガンが親しい友人であった事、またarq.バラガンの研究の第一人者と呼ばれる人と、バラガンの作品と教えてくれた建築家とも親しい友人である事から、それは間違いないと考えています。

少なくとも個人邸というのは、住む人の意見が尊重されるのは当たり前のことで、自分の家が観光地みたいになるのは、誰しも好まないのは当然の事だと思います。そんなことから、本などに紹介されないのかも知れません。

本に紹介されていないバラガンの晩年の作品

2006-07-22 | ルイス・バラガン
arq.バラガンは、Faroの建築と同時期に住宅をつくっています。
私がモンテレーに暮らしている時、建築中に見ましたが、残念ながら中までは見る事が出来ませんでした。Arq.バラガンの作品と知ったのは、友人の建築家と車で前を通りかかった時に「この建物、バラガン事務所の仕事だよ。」と言った一言でした。