記憶の中のメキシコ

1979年の最初にメキシコを訪れそれから何度となく渡航していましたが、最後に訪れてから早10年が過ぎてしまいました。

リカルド・レゴレッタ氏設計のオフィスビル

2006-07-19 | リカルド・レゴレッタ

レゴレッタ氏には2回お会いいたしました。1回目は15年ぐらい前ですが、日大が主催の講演会で、一番前の席にいたら、ちょうどレゴレッタさんの家族の方らしい人がいらしたので、「私、○○の事務所にいた者ですが、ちょっとご挨拶したいのですが・・・」とメキシコ的にお願いしたら、快くOKしていただき、控え室まで案内していただきました。

 

レゴレッタさんは講演会が終わり、司会を努められた磯崎新さんとおられましたが、そんな所へいきなり入っていって、「BANAMEXのファイナンシャルセンター、建築中に見せてもらいましたが、一生忘れられない衝撃を受けました。」と伝えると、気さくに返答されて、「来月、モンテレー行くから、私が元気でいること○○に伝えておくよ。」とおっしゃって下さいました。 今でも忘れられない思い出で残っています。

 

何か、巨匠たちの事を書くと突然敬語になり始めたりして、おかしな文に変わっていってしまいます。 書いてる時も、突然正座したりなんかして。


建築家 リカルド・レゴレッタ氏設計のオフィスビル

2006-07-19 | リカルド・レゴレッタ

マクロ・プラサのモニュメントの東側に現代美術館がありますが、その建築もメキシコの誇る世界的建築家リカルド・レゴレッタ氏の設計によるものです。
モンテレーにある彼設計の建築物は他に、コロニアル・バージェにあるバナメックスのフィナンシャルセンター、モンテレー図書館、TECの経済大学の建物、他写真に紹介するオフィス・ビルがあります。

 

私がモンテレーに行くと、運がいいのかいつも彼の建築物が建築途中なのです。建築期間が長いせいもあるのかも知れませんが、幸いにしてすべて見れるので、嬉しいことです。このオフィスビルも、十数年前に建築中レゴレッタ氏の作品と知らず前を通りました。その時は、何か面白そうな建物を建てているなと見ていましたが、後でレゴレッタと聞き、やっぱり・・・と関心しました。

 

聞いた話ですが、セントロの現代美術館って個人の持ち物だそうです。 エーッ!!!  聞いた時、ビックリしました。でも L.Aのゲッティーセンターも個人の所蔵で出来たし、まぁ、それもありという事で納得です。  で、このオフィスビルは、現代美術館の所有者のオフィスビルだそうです。


バラガン展のポストカード

2006-07-18 | ルイス・バラガン
arq.バラガンのモニュメントの事で、書き加えなければいけないのは、このモニュメント夜になると絵のように、空に向かって光を出すことです。このポストカードはそんな様子を描いたたものですが、ちょっとニュアンスは伝わらないかも。

写真の方が実際の様子がわかると思うので、時間のあるときに探してみます。

arq. ルイス・バラガンのモニュメント

2006-07-18 | ルイス・バラガン
arq. バラガンのモニュメントとしては、シウダー・サテリテにある三角のタワーが有名ですが、写真のようなものも北部の都市モンテレーで創っています。

82年か83年頃建築していました。高さは約70mあります。建築中には、デザイン:ルイス・バラガン、構造:ラウル・フェレーラと書かれた看板が下にでていました。付けたしですが、横にある建物は、モンテレーの市庁舎です。

arq. ルイス・バラガン自邸のルーツ

2006-07-16 | ルイス・バラガン
arq. ルイス・バラガンの故郷はハリスコ州グアダラハラ、裕福な領主の家に生まれ育ちました。その頃の領主の家はアシエンダと呼ばれ、彼もこの写真の様なアシエンダで暮らしていたのでしょう。 細かく桟で仕切られた大きな窓、壁に付いた巾の狭い階段、ピッチの狭い梁で支えられた天井、これが彼の自邸のルーツです。

ルイス バラガン自邸

2006-07-16 | 暮らし
屋上。 壁の塗料が剥がれています。アルキテクト バラガンが亡くなったのは1988年ですから、この写真を撮る6年前です。その頃から塗装は塗りなおされていなかったみたいです。 言わば、彼の意思で塗った最後の塗装です。


それから、彼の作品で馬の水飲み場(las arboledasのこと)を知っている人も多いと思いますが、そこに行く途中に彼の作品がほぼ廃墟状態にあるのを多くの人は知りません。とっても寂しいことです。説明によれば、お金が無いからとの事。何とかしたいものです。