久方ぶりに夜中の2時まで飲んだ。
さすがに二日酔いで翌日はポンコツだ。
今から30年ほど前に映像がフィルムから
ビデオにとって変わろうとしていたビデオ創世期に
忽然と現れた「フォーカス」という
プロダクションの残党達が集う飲み会が久方ぶりに行われた。
「フォーカス」は、フィルムを経験した人間が
立ち上げた会社ではなく、ビデオ世代の若者逹が
フィルムの悪しきやり方だけでなくいい面をも壊すべく
現れたような会社で、フォーカスのやり方は、
ハチャメチャではあったが、くしくもビデオ制作会社の原型を
形作ってしまった。
社員全員がバイタリティーにあふれ、チャレンジ精神があり、
わずか数年で本社ビルまでおったてて、
その数年後には空中分解するという
これまたハチャメチャな岡本喜八風ヤカラ集団であった。
しかし、そこで育った若者たちは大阪の映像業界で
いまだに生き延びている。
絶対に死なない、中には業界の牽引車になっている者もいる。
ほぼ毎年飲み会が行われているが、
幹事は「フォーカス」のナンバー2であり、
電通あがりのプロデューサーだった湯浅正人氏だ。
湯浅氏と私は同学年だったこともあってか、
人伝に私を知っただけなのに、
若干25歳のフリー監督だった私をよく起用してくれた。
今では考えられないが、20代のフリー監督が
年収1000万円越えできたのも
湯浅氏からのオーダーが利いている。
その湯浅氏が不治の病に倒れて2年。
幹事だった湯浅氏の参加はないが、
今でも湯浅氏の近況を話ながら飲んでいる。
今回の参加は、フォーカス残党の
フリーカメラマン・田中氏
フリーCM監督・行田氏、
プロデューサー・網野氏、
そして当時付き合いのあった
スタジオマックス・増南氏(録音)、
グッドジョブ・小林氏(編集)と私の計6名だ。
あれから30年経ち、皆さん50代、
四捨五入すると60歳だから、
ボチボチ引退の年齢を迎えている。
ビデオ創世期の映像屋ではあるが、今では絶滅危惧種だ。
映画作りなんて所詮遊び。だから徹夜も平気だったし、
楽しかった。遊びだから一生懸命やったとも言える。
創世期だったからこそ、遊びでもお金がもらえたし、
特別うまい人間が年収1000万円越えもできた。
だけどそれはいつまでも続かない。
30年経ったにもかかわらず、ギャラは下がっている。
フリーが生き残るには、よほど実力を供え持ち、かつ、
資本主義的発想と、商業主義的対応力がないと無理だ。
そして何よりも遊びが好きなヤカラであることが重要だ。
口実はもっともらしいが、心は遊び人。
世の中の大人は「将来を見据えて」とか
「中長期的に見て」なんて言うけど、
世の中の大人はきっと遠視なので近すぎる幸せは見えにくいんだ。
でも俺達はド近眼なので見えるんですよ、近くにある一瞬の喜びが。
俺達の心はまだまだ子供で、厭きっぽいが、
まだまだ遊び足りない。
夕暮れまでまだ少し、次は何して遊ぶ!?
さすがに二日酔いで翌日はポンコツだ。
今から30年ほど前に映像がフィルムから
ビデオにとって変わろうとしていたビデオ創世期に
忽然と現れた「フォーカス」という
プロダクションの残党達が集う飲み会が久方ぶりに行われた。
「フォーカス」は、フィルムを経験した人間が
立ち上げた会社ではなく、ビデオ世代の若者逹が
フィルムの悪しきやり方だけでなくいい面をも壊すべく
現れたような会社で、フォーカスのやり方は、
ハチャメチャではあったが、くしくもビデオ制作会社の原型を
形作ってしまった。
社員全員がバイタリティーにあふれ、チャレンジ精神があり、
わずか数年で本社ビルまでおったてて、
その数年後には空中分解するという
これまたハチャメチャな岡本喜八風ヤカラ集団であった。
しかし、そこで育った若者たちは大阪の映像業界で
いまだに生き延びている。
絶対に死なない、中には業界の牽引車になっている者もいる。
ほぼ毎年飲み会が行われているが、
幹事は「フォーカス」のナンバー2であり、
電通あがりのプロデューサーだった湯浅正人氏だ。
湯浅氏と私は同学年だったこともあってか、
人伝に私を知っただけなのに、
若干25歳のフリー監督だった私をよく起用してくれた。
今では考えられないが、20代のフリー監督が
年収1000万円越えできたのも
湯浅氏からのオーダーが利いている。
その湯浅氏が不治の病に倒れて2年。
幹事だった湯浅氏の参加はないが、
今でも湯浅氏の近況を話ながら飲んでいる。
今回の参加は、フォーカス残党の
フリーカメラマン・田中氏
フリーCM監督・行田氏、
プロデューサー・網野氏、
そして当時付き合いのあった
スタジオマックス・増南氏(録音)、
グッドジョブ・小林氏(編集)と私の計6名だ。
あれから30年経ち、皆さん50代、
四捨五入すると60歳だから、
ボチボチ引退の年齢を迎えている。
ビデオ創世期の映像屋ではあるが、今では絶滅危惧種だ。
映画作りなんて所詮遊び。だから徹夜も平気だったし、
楽しかった。遊びだから一生懸命やったとも言える。
創世期だったからこそ、遊びでもお金がもらえたし、
特別うまい人間が年収1000万円越えもできた。
だけどそれはいつまでも続かない。
30年経ったにもかかわらず、ギャラは下がっている。
フリーが生き残るには、よほど実力を供え持ち、かつ、
資本主義的発想と、商業主義的対応力がないと無理だ。
そして何よりも遊びが好きなヤカラであることが重要だ。
口実はもっともらしいが、心は遊び人。
世の中の大人は「将来を見据えて」とか
「中長期的に見て」なんて言うけど、
世の中の大人はきっと遠視なので近すぎる幸せは見えにくいんだ。
でも俺達はド近眼なので見えるんですよ、近くにある一瞬の喜びが。
俺達の心はまだまだ子供で、厭きっぽいが、
まだまだ遊び足りない。
夕暮れまでまだ少し、次は何して遊ぶ!?
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