十年を一昔というなら二昔半前、
大阪でブイブイいわせていた
映像フリーランス集団「オフィス・キネティック」。
そのメンバーの重鎮・牧逸郎カメラマンが
死去した年から1~2年に一度の割りで、
オフィス・キネティックのメンバーが中心になり
「牧さんを偲ぶ会」と称した酒盛りを行っている。
今年はすでに春に神戸・三ノ宮でいつもの一堂が介したが
三重で農業を営む中川幸俊カメラマン(元かな?)が
参加できるとのことで、大渡繁男監督が再度音頭をとり、
12月6日、本年2度目となる酒盛りが神戸・三ノ宮で行われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/19/d1794e5cd44f982cf3571cc3ae81661a.jpg)
(左手前から)桜田、松山、岩崎
(右手前から)中川、大渡、私
オフィス・キネティックメンバーとして
大渡監督、中川(元)カメラマン、私。
さらに牧逸郎カメラマンを慕う桜田カメラマン、
岩崎プロデューサー、松山監督が集まった。
牧カメラマン、大渡監督、桜田カメラマン、
岩崎プロデューサーは、記録映画の老舗であった
日本映画新社(日映)出身で、
私がフリーランスになって
初めて仕事をしたのも「日映」だった。
その後、牧カメラマンと大渡監督に誘われた私と
中川カメラマンの4名で
オフィス・キネティックを立ち上げた。
時はフィルムからビデオに変わろうとする激動期で、
制作システムも少人数・社内制作・安価型に
変わろうとしている時で、
フリーランスが生きにくい時代に突入しようとしていた。
「牧さんを偲ぶ会」と称してはいるが、
牧さんの話は締めにするくらいで、
映像論や演出論、撮影論に始まり、
最近は老後の話や孫の話などとりとめない話で
時間があっという間に過ぎる。
最後は「しかし牧さんの話が今回もないですね」と私が言うと
大渡監督が「皆元気に呑んでるのを牧は一番喜んでいる」で
締めて終わる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/f8/786d4869535bcc553f9db4d6a0f484da.jpg)
会場となった三ノ宮は、
阪神淡路大震災鎮魂のためにスタートした
ルミナリエでごった返し。
思えばキネティックを発展的解消したのが、震災の前年。
私が会社を起こしたのが、震災にあった年の秋だった。
今日はルミナリエ開催の最初の土曜日とあって
人手が半端ではない。その雑踏の向こうから
鎮魂のカリオンの音が聞こえてくる。
前略、牧さん。
あなたが亡くなった歳と
あまり変わらぬ歳となってしまった老骨軍団が
今宵集い、まるで知恵熱にうなされる少年のように
映像への熱き想いを語っています。
また来年の酒盛りでお逢いしましょう。
皆さんの心の中にあなたは生きています。
大阪でブイブイいわせていた
映像フリーランス集団「オフィス・キネティック」。
そのメンバーの重鎮・牧逸郎カメラマンが
死去した年から1~2年に一度の割りで、
オフィス・キネティックのメンバーが中心になり
「牧さんを偲ぶ会」と称した酒盛りを行っている。
今年はすでに春に神戸・三ノ宮でいつもの一堂が介したが
三重で農業を営む中川幸俊カメラマン(元かな?)が
参加できるとのことで、大渡繁男監督が再度音頭をとり、
12月6日、本年2度目となる酒盛りが神戸・三ノ宮で行われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/19/d1794e5cd44f982cf3571cc3ae81661a.jpg)
(左手前から)桜田、松山、岩崎
(右手前から)中川、大渡、私
オフィス・キネティックメンバーとして
大渡監督、中川(元)カメラマン、私。
さらに牧逸郎カメラマンを慕う桜田カメラマン、
岩崎プロデューサー、松山監督が集まった。
牧カメラマン、大渡監督、桜田カメラマン、
岩崎プロデューサーは、記録映画の老舗であった
日本映画新社(日映)出身で、
私がフリーランスになって
初めて仕事をしたのも「日映」だった。
その後、牧カメラマンと大渡監督に誘われた私と
中川カメラマンの4名で
オフィス・キネティックを立ち上げた。
時はフィルムからビデオに変わろうとする激動期で、
制作システムも少人数・社内制作・安価型に
変わろうとしている時で、
フリーランスが生きにくい時代に突入しようとしていた。
「牧さんを偲ぶ会」と称してはいるが、
牧さんの話は締めにするくらいで、
映像論や演出論、撮影論に始まり、
最近は老後の話や孫の話などとりとめない話で
時間があっという間に過ぎる。
最後は「しかし牧さんの話が今回もないですね」と私が言うと
大渡監督が「皆元気に呑んでるのを牧は一番喜んでいる」で
締めて終わる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/f8/786d4869535bcc553f9db4d6a0f484da.jpg)
会場となった三ノ宮は、
阪神淡路大震災鎮魂のためにスタートした
ルミナリエでごった返し。
思えばキネティックを発展的解消したのが、震災の前年。
私が会社を起こしたのが、震災にあった年の秋だった。
今日はルミナリエ開催の最初の土曜日とあって
人手が半端ではない。その雑踏の向こうから
鎮魂のカリオンの音が聞こえてくる。
前略、牧さん。
あなたが亡くなった歳と
あまり変わらぬ歳となってしまった老骨軍団が
今宵集い、まるで知恵熱にうなされる少年のように
映像への熱き想いを語っています。
また来年の酒盛りでお逢いしましょう。
皆さんの心の中にあなたは生きています。
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