株式会社プランシードのブログ

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その144.2014年5月3日、祭り前夜

2014-05-11 07:17:49 | 制作会社社長の憂い漫遊記
日本中に様々な祭りがあるが、私にとって最大の祭りといえば
本住吉神社例大祭に行われるだんじり祭りである。
なぜなら私自身が参加しているからだ。
祭りは見るものではなく出るものだ。

この祭りを平たく言えば、
本住吉神社の祭る神さんが5月5日に住吉の町に降臨し、
町中に幸せを運んでくれる。
降臨いだだいた時の神さん用のハイヤーが「神輿」であり、
神さんは御輿に乗って町内を巡り、幸せを運んでくれる。
降臨から道中の間、そして再び昇天するまでの
お囃子=楽団に当たるのが「地車(じぐるま、だんじり)」である。
従って、だんだんには鐘や太鼓などが装備されいる。
神輿が神社の所有物であるのに対し、だんだんは氏子の所有物となる。
つまり神輿は神のルールから生まれた産物なので
どの神社の御輿も作りはほぼ同じだが、
だんだんは人の発想で生まれた楽団というかなりベタな産物なので
形状も大きさも装飾も各地で異なる。一般的には山車(だし)ともいわれる。
京都の祇園祭では山鉾(やまぼこ)となり、
姫路ではヤッサに形を変えるが、楽団としての機能は変わらない。
製作に当たっては一応のルールはあるが、
だんじりが数台あれば氏子の見栄の張り合いが起こる。
いわば何でもありなので、財力さえあれば改築の度に次第に大きく、
そして派手になっていく。
だんだんのルーツは祇園祭だが、
淡路島から神戸、芦屋、西宮、尼崎、堺、岸和田と、
大阪湾一帯に約800台のだんじりがあり、
うち国生みの神話が残る淡路島には約300台ものだんじりがある。
まさに大阪湾一帯は「わくわく、だんじり王国」なのである。

私が今でも毎年5月4日~5日に参加しているのが、
神戸市東灘区の本住吉神社のだんじり祭である。
本住吉神社は「もとすみよしじんじゃ」と読むが、
「本」をつけて、本家の意味合いのある名前がついているのは
大阪の通称「すみよっさん(住吉大社)」よりも約10年古い建立だからだ。
といっても今から1800年以上前の話になるので定かではないが…。
本住吉神社には表筒男命(うわつつおう)・中筒男命(なかつつおう)・
底筒男命(そこつつおう)・神功皇后(じんぐうこうごう)の
4体が祭られている。


  神戸市東灘区JR住吉駅南側にある本住吉神社のお札。
  だんじりをモチーフにしている。

今を遡ること1810年ほど前、
神功皇后が三韓征伐(新羅・高句麗・百済)の帰り、
難波の港近くに来ると船が急に動かなくなった。
困って占ってみると、表筒男命・中筒男命・底筒男命の三体の神さんが
海からニョキニョキと出てきて
「大津のぬ名倉(ぬなくら)の長峡(ながお)に
私たちを祭れば航海を守ってあげよう」と安保条約を突きつけてきた。
それを神功皇后は受け入れ、社を建てて祭ると海は静まり無事帰還できた。
大阪にある「すみよっさん(住吉大社)」は、
本住吉神社の宮司によると
「のちに、ここから大阪に移されたもので、
以来ここを本住吉神社と呼ぶようになった」と言うが、
我が国屈指の国学者・本居宣長(1730~1801年)も
この説を支持している。
さすが大阪は商売の街だけあり本家より商売熱心、
今では本住吉神社が本家だと叫んでみても手遅れというものだ。
それでも平成13年に1800年祭が、
大阪の住吉大社よりも10年早くとり行われた。
ついでに記すと、
所在地の「大津のぬ名倉(ぬなくら)の長峡(ながお)」であるが、
我が町・住吉の浜に呉田(ごでん)という地区がある。
その呉田幼稚園の園庭には神功皇后が船をくくりつけた松が
「長峡の松」として残っていた。
残念ながら今では埋め立てが進み、ここからは海は見えない。
唯一、防波堤跡が東西に続き、かっての海岸線だとわかる。

ちなみに神功皇后は百歳まで生きられた方で、
女帝ながらその武勇から室町期まで武家にとって
戰神(いくさがみ)として崇められた。
日本書記では、邪耶台国の女帝=卑弥呼=神功天皇ということになっている。
まぁ百歳まで生きたというのだから卑弥呼説も眉唾っぽいが、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)は25万歳まで生き、
伊那岐神(いざなぎのかみ)は2万3040歳、
初代天皇の神武天皇は137歳だから、
いくらなんでも25万歳はあり得ないが
100歳なら…あり得ない話でもない。
本住吉神社のだんじりを曳く私としては卑弥呼説を信じたいところである。


   駅前の提灯

その本住吉神社の氏子が作っただんじりだが、現存するのは7台あり、
私はその中で最も大きいだんじりを有する「空區(そらく)」に属している。
ちなみに區(く)は本住吉神社のショバ内の区画の単位で、
例えるなら住吉町●●村という単位かな…
今の時代にだんじりを新調しようとすると5億円以上の財力と
10年近くの歳月を、●●村という小さな集落の住民で、
かつ本住吉神社の氏子たちで用意しなければならない。
更に最大の難関となるのが100人近くの曳き手と、
その曳き手を取りまとめるためのオキテを作り、
區内に浸透させのばならない。
お金は宝くじが当たれば何とかなるが、
組織とオキテ作りとなると至難の業である。
中途半端な男女雇用均等法を持つ中途半端な民主国家の我が国では、
これからだんだんを新調し巡行するのはほとんど不可能というか、可能性0だ。
だから先人がコツコツと作り上げてきただんじりと、
だんじり祭りが生む地域のコミュニティを大切にして
私たちも後世に継いでいかねばならない。

というわけで今夜は宵寝をしなければならないのだが、
まるで遠足前夜の小学生の如く興奮しており寝られたものではない。
仕方なく携帯でブログ用の文章を打っている。
そして大酒呑みの私が祭りに備え、祭り前夜にもかかわらず休肝日。
ちなみに祭りでの私の役割は、だんじりを曳く綱持ちの子供たち担当。
従って安全面からもだんじりを曳いている間は、酒を一滴も呑まない。
ベビー酒呑みなのにである。エライ!
祭の2日間だんじりを曳いている間は禁酒を約30年間守っている。エライ!
しかしだんじりが夜22時に小屋に収まると、約2時間かけて呑みまくる。
しかもお神酒である日本酒オンリー。
近頃の若者は日本酒ではなく、
酎ハイ缶やハイボール缶を片手に祭りの夜をすごすが、
日本男児たるもの、祭りの夜は日本酒でしょ!!
明日の今頃は日本酒好きの15名ほどが一塊になって
ヘベレケになっていることだろう。
てなことで、おやすみなさい。

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