現在、私は大阪市此花区に住んでいるが、
生まれは神戸市灘区、結婚してからは神戸市東灘区に暮らしていた。
つまり約40年間は神戸市民だったのだ。
神戸といえばお洒落なイメージだが日本でのソース発祥の地でもある。
生まれた灘区には「プリンセスソース」、
育った東灘区には「阪神ソース㈱(商品名:日ノ出ソース)」と
「神戸・宝ソース食品㈱」がある。
ちなみに宝ソースは私が毎年曳くだんじりで前を通過する。
昨年、コロナでだんじりは中止になったので
宝ソース前を通過するこはなかったが、
2020年10月10日、宝ソースは終業してしまった。
さてウスターソースの誕生であるが、19世紀の初め、
英国ウスター市に住む主婦が、余った野菜や果実の切れ端を
有効に利用しようと香辛料をふりかけ、
腐敗しないように塩や酢を加えてツボに貯蔵。
それが長い時間をかけて熟成され、液体ソースになった。
日本では医師の安井敬七郎先生が明治になって兵庫区に
安井舎蜜工業所(現阪神ソース)を創業したのが日本最古。
大正2年には吉田商店(二見ソース本舗:2003年廃業)が長田に、
大正12年には道満調味料研究所(オリバーソース)が
兵庫区に創業した。
滋養強壮の健康食品として、当初、薬局に卸されていたらしい。
神戸がソース発祥の地というとベタな感じだが、
医師が滋養強壮薬として作り始めたとなると、
急に「神戸感」がでる(笑)
ちなみにJAS規格では、ウスターソース、中濃ソース、
濃厚ソースの3つに分けている。
私が高校の時に衝撃的な出会いとなったのは
和田岬にあったお好み焼き屋さんのドロソース。
お好み焼きに塗るとまるで土壁のようにザラザラ感があり
まさに見た目は「ソース色の泥」だった。
濃厚で甘酸っぱい。喉元を過ぎると辛さに襲われるが
そのさらに奥底にコクがある。
ドロドロに塗って、青のりをかけると最高にうまかった。
当時はマヨネーズをかける文化はなかったし
いまでも私はお好み焼きのマヨネーズは邪道だと思っている。
「お好み焼きはソースで決まる!」のだ。
ちなみに広島のオタフクソースは甘い。だから「広島焼き」にあう。
岡山のカキオコソースは「牡蠣のお好み焼き」にあう。
しかし私の欲しいソースではない。
スーパーでは地ソースは流通していないので
道の駅などで販売している地ソースを買ったりしたが、
あの青春のソースに出くわすことがなかった。
▲牡蠣のお好み焼きにあう日生もん「カキオコ」
▲広島焼きには必需品の「おたふく」
阪神淡路大震災で神戸市は酒蔵だけでなく、
ソースや醤油・味噌産業も壊滅的打撃を受けた。
さらに2020年、中国武漢から始まったコロナでとどめを刺した。
しかし「会いたい」「君に会いたい」。
特に大阪で働きだして大阪のお好み焼き屋さんに
通うようになってからというもの「あのソースがあれば・・」と
嘆き続けてきた。
以来このドロソースを求める旅は始まった。
そして2021年。
半ばあきらめかけていた時、ひょんな拍子に、
お好み焼き屋のおばちゃんが
「このソースは長田で買てる」と言う言葉を思い出したのだ。
まさに天の声が今頃降りてきたのだ。
ならばと神戸市長田にあるソース卸の「ユリア」に行ってみた。
▲「ユリア」では神戸もん、大阪もんをはじめ様々な地ソースを販売
ユリアの大将と話してみると
「ドロソースはオリバーの商標なので他のメーカーは名乗れない」
「他メーカーは澱(おり)ソースと呼んでいる」
「澱ソースはウスターソースの沈殿物」などなど。
さらに大将は「ニッポンソースじゃないか」という。
ニッポンソースでも、ドロソースとは名乗れないので
「澱(おり)ソース」という名で販売しているとのこと。
ユリアでも好評のソースで、一升瓶を900ミリリットルの瓶に
わざわざユリアが詰め替えて販売しているのだという。
ダメもとで購入。
ついでにとんかつソースも購入。
▲900ml瓶入り「澱ソース」 ▲300ml瓶入り「とんかつソース」
▲澱ソースはウスターソースの沈殿物
早速お好み焼きを作り、
ニッポンソースの澱ソースを「これでもか!」と投入。
フライパンから溢れたソースが焦げる。ジュジュ~。
「これや、この香りや!」
食べてみた。
「これや。間違いない・・ニッポンソースの澱ソースだっ!」
学生時代によく行っていたお好み焼き屋さんの
ドロソース、もとい「ウスターソースの沈殿物」
もとい「澱ソース」をついに見つけたのだ。
▲新長田復興のシンボル「鉄人28号」
阪神淡路大震災で長田は焼け落ちた。
だからあきらめていたのだが、この味についに再会できた。
君の名は・・ニッポンソース。
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