以前にもこのブログで語ったが
私の家では摩耶山にお稲荷さんをお祀りしている。
摩耶ケーブル虹の駅から50m登ったあたりにある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/8d/e213601193c4ae81f04b3e0093c14acb.jpg)
その縁起は(私の家に残る手書きの文章によると)
摩耶ケーブルは摩耶鋼索鉄道により大正14年に開業したが
摩耶ケーブル開通の折り、
安全と商売繁盛を願ってお稲荷さんを祀ったのが始まりだという。
その後、摩耶鋼索鉄道と関係のあった建築設計士の香川氏が受け継ぎ、
香川氏が東京へ帰るのを期に、
香川氏に設計を依頼していた大工の親父が受け継ぎ、
大工を引退した親父に変わって
長男の私が面倒をみさせてもらっている。
阪神淡路大震災で全壊になったが、摩耶ケーブル「虹の駅」と
摩耶ロープウェイ「虹の駅」につながる山道に
「山上茶店」があり、店主の福田氏は、
ここに住みながら茶店を開いていた。
お稲荷さんの実質の面倒を見ていたのは福田氏で
掃除をしたり、ノボリを整えたりしてくれていた。
福田氏は峠茶跡前にあるお地蔵さんの面倒も見ており、
私の親父はお稲荷さんの賽銭箱(赤色)を作った時に
お地蔵さんの賽銭箱(白色)も一緒に作り寄贈した。
ちなみにお稲荷さんの賽銭箱は私の代で作り直したが
お地蔵さんの賽銭箱は今もあり、私が高校生の時に
下手な字で「寄贈」「親父の名前」「寄贈日」を
マジックで書いている。
ということで我が家の初詣は、
今もって摩耶山にあるお稲荷さんに行くのが
ナラワシとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/66/4d097d1e5d07889a52979f9d71a2bf58.jpg)
昭和50年、摩耶鋼索鉄道は六甲越有馬鉄道と合併し
六甲摩耶鉄道(阪神電鉄グループ)となったが
平成7年の阪神淡路大震災で被害を受け
7年ほど休止に追い込まれた。
その間は、多田家全員正月早々登山で初詣をしていた。
小学校に入ったばかりの私の娘たちは
飛ぶようにして摩耶山を駆け上がったが
私と親父はヒイヒイ息が上がりっぱなしだった。
その後、阪神電鉄は無償で神戸市に摩耶ケーブルを譲った。
震災から8年後の平成13年、運行が再開されてからは、
ようやくケーブルに乗っての初詣となった。
いまでも家族全員揃ってお正月に出掛けている。
親父は御年84歳、「今年でお稲荷さんに登るのも終わりかなぁ」
と言いながらも、毎年延長している。
これまたありがたいことだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/8c/30843583120f68fdc306c6ac240fa047.jpg)
さらにさかのぼること、私は神戸市葺合高校の出身だが、
葺合高校では2時間続く体育の時間があり、その授業では
決まって摩耶山天上寺まで山岳コースのマラソンが常であった。
私の友人の悪ガキの中には、そのあまりのつらさに
タクシーで摩耶ケーブル下まで行き、
ケーブルに乗って虹の駅から走るという強者もいたが
結局、先生にバレテしまい、
マラソンの朝は、ケーブル下で門番がつく事態にまで発展した。
その天上寺も昭和51年、焼け落ちてしまった。
タバコの不始末説と放火説、
さらには葺合高校生のマラノン怨念説まで
高校生の妄想は尽きることがなかった。
実は私のお祀りするお稲荷さんの掃除は、
本当に申し訳ないが、
年に1回、多くて2回しか行なえていない。
現在、私は大阪住まいだし、
親父は高齢で一人ではとても掃除に行けない。
1日飾りはNGなので12月30日に大掃除をして、
1月1日に初詣をするので、
その間、約1年間不義理をしていることになる。
だから年末の掃除に行くと
ノボリはボロボロだし、廃墟の一歩手前。
ここ最近は、心を入れなおして鳥居を新調したり、
半年に1回は掃除に行くようにしている。
と、途端に忙しくなる。
こんな横着な私を許してくれるお稲荷さんに改めて感謝。
ありがたいことだ。
ちなみに賽銭箱には鍵を付けていない。
以前、親父が賽銭箱を新調した時に賽銭泥棒が
鍵を壊して修理に大変なことになったので、以降
「バチが当たりたい人はどうぞご自由に」と鍵を外した。
2015年に私が、鳥居を新調した時に、
賽銭箱も新調したが、この時はハナから鍵は付けなかった。
そのせいか掃除に行くと
いつも賽銭箱の中はカラになっている。
少なくとも初詣と掃除の際には、
私自らが賽銭を入れるので罰当たりがいるのだろうと思う。
昨年12月に大掃除をしたが、その時に何十年も
溜まりに溜まった落ち葉をキレイにした。
次に初詣で行くと猪が餌のミミズを求めて
見事に土を掘り返しており、これまたエライメに合った。
あまり人の手を加えず、
少々汚れても自然と調和した程度が良いのかもしれないと悟った。
以前、親父がお稲荷さんを祈祷してもらった時に
「このお稲荷さんは摩耶山を包むように
鎮座する大きな姿をしている」と宣われた。
さもありなんの事件はこれまでもあり、
初代社長が不便だとお社を摩耶ケーブル下に移動したが、
身内に不幸が続き、再び虹の駅に戻したと聞いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/02/e2730ef8b36b07c4bfc7ef210211b68a.jpg)
私の親父は私に
「工務店が何とか経営でき、お前たちを大学に出せたのは
お稲荷さんのお陰だ」と正月には必ず語るが、
私も会社経営者として確信している。
2015年に鳥居を新調した時に、
私の仕事仲間の岡野工芸社・上田氏に
鳥居に施工や賽銭箱の制作など
アレコレお手伝いいただいたのだが、
彼もまた
「あれ以来忙しくなった。
また改装時にはお手伝いさせてください」と語る。
その摩耶ケーブル虹の駅横にあるのが、
今は廃墟となっている「摩耶観光ホテル」。
神戸市役所のロケーションサービスが協力して数年前に
映画「デスノート」のロケ地になり一躍脚光を浴びた。
その摩耶観光ホテルを近代化遺産として残そうと、
一般ピープルから寄付を募るクラウドファンディングが始まった。
目標額は500万円。
もちろん私も一口のることにしている。
同じ町内会てな感じだ。
2万円以上の寄付者にはもれなく
見学会ご招待がついてくる。
廃墟マニアにはたまらない特権だ。
NPO法人J-heritageの前畑氏と
摩耶観光ホテル所有者の三宮氏らが
近代化遺産として残すため
「摩耶観光ホテル保存プロジェクト」を立ち上げた。
先日、夕方のニュースで取り上げられたが、
前畑氏が「廃墟に魅せられたのは神子畑選鉱場跡だ」と語った。
偶然にも親父の実家は但馬で、
親父の兄貴は太平洋戦争から無事帰還したあと生野銀山で働き、
姉さんの旦那は神子畑選鉱場で働いていた。
幼少の私は一度、神子畑の社宅の真ん中にあった
コンクリート製のプールで遊だのを記憶している。
何とも不思議な縁を感じる。
ぜひ近代化遺産として残してほしいものだ。
摩耶観光ホテル保存プロジェクト
https://readyfor.jp/projects/mayakankohotel
私の家では摩耶山にお稲荷さんをお祀りしている。
摩耶ケーブル虹の駅から50m登ったあたりにある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/8d/e213601193c4ae81f04b3e0093c14acb.jpg)
その縁起は(私の家に残る手書きの文章によると)
摩耶ケーブルは摩耶鋼索鉄道により大正14年に開業したが
摩耶ケーブル開通の折り、
安全と商売繁盛を願ってお稲荷さんを祀ったのが始まりだという。
その後、摩耶鋼索鉄道と関係のあった建築設計士の香川氏が受け継ぎ、
香川氏が東京へ帰るのを期に、
香川氏に設計を依頼していた大工の親父が受け継ぎ、
大工を引退した親父に変わって
長男の私が面倒をみさせてもらっている。
阪神淡路大震災で全壊になったが、摩耶ケーブル「虹の駅」と
摩耶ロープウェイ「虹の駅」につながる山道に
「山上茶店」があり、店主の福田氏は、
ここに住みながら茶店を開いていた。
お稲荷さんの実質の面倒を見ていたのは福田氏で
掃除をしたり、ノボリを整えたりしてくれていた。
福田氏は峠茶跡前にあるお地蔵さんの面倒も見ており、
私の親父はお稲荷さんの賽銭箱(赤色)を作った時に
お地蔵さんの賽銭箱(白色)も一緒に作り寄贈した。
ちなみにお稲荷さんの賽銭箱は私の代で作り直したが
お地蔵さんの賽銭箱は今もあり、私が高校生の時に
下手な字で「寄贈」「親父の名前」「寄贈日」を
マジックで書いている。
ということで我が家の初詣は、
今もって摩耶山にあるお稲荷さんに行くのが
ナラワシとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/66/4d097d1e5d07889a52979f9d71a2bf58.jpg)
昭和50年、摩耶鋼索鉄道は六甲越有馬鉄道と合併し
六甲摩耶鉄道(阪神電鉄グループ)となったが
平成7年の阪神淡路大震災で被害を受け
7年ほど休止に追い込まれた。
その間は、多田家全員正月早々登山で初詣をしていた。
小学校に入ったばかりの私の娘たちは
飛ぶようにして摩耶山を駆け上がったが
私と親父はヒイヒイ息が上がりっぱなしだった。
その後、阪神電鉄は無償で神戸市に摩耶ケーブルを譲った。
震災から8年後の平成13年、運行が再開されてからは、
ようやくケーブルに乗っての初詣となった。
いまでも家族全員揃ってお正月に出掛けている。
親父は御年84歳、「今年でお稲荷さんに登るのも終わりかなぁ」
と言いながらも、毎年延長している。
これまたありがたいことだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/8c/30843583120f68fdc306c6ac240fa047.jpg)
さらにさかのぼること、私は神戸市葺合高校の出身だが、
葺合高校では2時間続く体育の時間があり、その授業では
決まって摩耶山天上寺まで山岳コースのマラソンが常であった。
私の友人の悪ガキの中には、そのあまりのつらさに
タクシーで摩耶ケーブル下まで行き、
ケーブルに乗って虹の駅から走るという強者もいたが
結局、先生にバレテしまい、
マラソンの朝は、ケーブル下で門番がつく事態にまで発展した。
その天上寺も昭和51年、焼け落ちてしまった。
タバコの不始末説と放火説、
さらには葺合高校生のマラノン怨念説まで
高校生の妄想は尽きることがなかった。
実は私のお祀りするお稲荷さんの掃除は、
本当に申し訳ないが、
年に1回、多くて2回しか行なえていない。
現在、私は大阪住まいだし、
親父は高齢で一人ではとても掃除に行けない。
1日飾りはNGなので12月30日に大掃除をして、
1月1日に初詣をするので、
その間、約1年間不義理をしていることになる。
だから年末の掃除に行くと
ノボリはボロボロだし、廃墟の一歩手前。
ここ最近は、心を入れなおして鳥居を新調したり、
半年に1回は掃除に行くようにしている。
と、途端に忙しくなる。
こんな横着な私を許してくれるお稲荷さんに改めて感謝。
ありがたいことだ。
ちなみに賽銭箱には鍵を付けていない。
以前、親父が賽銭箱を新調した時に賽銭泥棒が
鍵を壊して修理に大変なことになったので、以降
「バチが当たりたい人はどうぞご自由に」と鍵を外した。
2015年に私が、鳥居を新調した時に、
賽銭箱も新調したが、この時はハナから鍵は付けなかった。
そのせいか掃除に行くと
いつも賽銭箱の中はカラになっている。
少なくとも初詣と掃除の際には、
私自らが賽銭を入れるので罰当たりがいるのだろうと思う。
昨年12月に大掃除をしたが、その時に何十年も
溜まりに溜まった落ち葉をキレイにした。
次に初詣で行くと猪が餌のミミズを求めて
見事に土を掘り返しており、これまたエライメに合った。
あまり人の手を加えず、
少々汚れても自然と調和した程度が良いのかもしれないと悟った。
以前、親父がお稲荷さんを祈祷してもらった時に
「このお稲荷さんは摩耶山を包むように
鎮座する大きな姿をしている」と宣われた。
さもありなんの事件はこれまでもあり、
初代社長が不便だとお社を摩耶ケーブル下に移動したが、
身内に不幸が続き、再び虹の駅に戻したと聞いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/02/e2730ef8b36b07c4bfc7ef210211b68a.jpg)
私の親父は私に
「工務店が何とか経営でき、お前たちを大学に出せたのは
お稲荷さんのお陰だ」と正月には必ず語るが、
私も会社経営者として確信している。
2015年に鳥居を新調した時に、
私の仕事仲間の岡野工芸社・上田氏に
鳥居に施工や賽銭箱の制作など
アレコレお手伝いいただいたのだが、
彼もまた
「あれ以来忙しくなった。
また改装時にはお手伝いさせてください」と語る。
その摩耶ケーブル虹の駅横にあるのが、
今は廃墟となっている「摩耶観光ホテル」。
神戸市役所のロケーションサービスが協力して数年前に
映画「デスノート」のロケ地になり一躍脚光を浴びた。
その摩耶観光ホテルを近代化遺産として残そうと、
一般ピープルから寄付を募るクラウドファンディングが始まった。
目標額は500万円。
もちろん私も一口のることにしている。
同じ町内会てな感じだ。
2万円以上の寄付者にはもれなく
見学会ご招待がついてくる。
廃墟マニアにはたまらない特権だ。
NPO法人J-heritageの前畑氏と
摩耶観光ホテル所有者の三宮氏らが
近代化遺産として残すため
「摩耶観光ホテル保存プロジェクト」を立ち上げた。
先日、夕方のニュースで取り上げられたが、
前畑氏が「廃墟に魅せられたのは神子畑選鉱場跡だ」と語った。
偶然にも親父の実家は但馬で、
親父の兄貴は太平洋戦争から無事帰還したあと生野銀山で働き、
姉さんの旦那は神子畑選鉱場で働いていた。
幼少の私は一度、神子畑の社宅の真ん中にあった
コンクリート製のプールで遊だのを記憶している。
何とも不思議な縁を感じる。
ぜひ近代化遺産として残してほしいものだ。
摩耶観光ホテル保存プロジェクト
https://readyfor.jp/projects/mayakankohotel
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