ジュニア・マガジンの記事(ブラジル、2010)
Mika in Junior Magazine
MIKAがブラジルで2枚のアルバムとシングル・ヒットを出すのに4年かかった。待つ価値はあった。彼はPlaneta Terra Festival 2010を遊び心と色に溢れたステージで彼の色に染め、ファンで会場を埋め尽くした。彼の声は会場をダンス・ビートで踊らせ、歌詞は青春期の悩みを抱える若者たちへの啓示だ。MIKAは1千年紀のフレディ・マーキュリーなのだ。彼の歌は私たちの包容力を鍛え、同時にセクシャリティーに悩む事の無い者をも楽しませる。
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インタビューへ向かうタクシーの中で私は最初の質問は何にしようかと考えていた・・・そして君にある出来事を知ってもらうのがベストだと思ったんだ。この話題はインタビューの方向性を決めるだろう。君のファーストアルバムは私にとって特別だったんだ、2006/2007年のあの頃、あの時期、私はフランスに住み、自分がゲイである事を初めて自然に感じる事が出来た時代だった。自分が自分である事を恥じず、初めて自分を誇りに思うことが出来たんだ。
それはいいスタートだね。それを聞いて嬉しいよ。それは僕のアルバムの存在理由って言ってもいい。その為に作ったんだ。面白いよね、あのころ20代だった連中が君と同じ事言ってるんだ。彼らは辛い時期を過ごしていて、その時僕のアルバムを聴いて変わったって。もっと・・・
強くなれた?
いや、強さって言うのは違うんだ。それはまるで小鳥が君のシャツの袖を引っ張って君の方向を変えるような感じかな。ほんの小さな後押しさ。実際にその通りなんだろうって認めるよ、僕はある目的の為に曲を書いたんだから。僕自身の人生をより良く感じる為に書いたんだ。僕の曲は僕以外の人の事を歌っているようだけど、深いところでは僕自身のことなんだ。性格を際立たせる事で人々が理解しやすくしている。僕には効果的だったんだよ、何もかもひどい状態の時でさえ。だから他の人にも同じ効果があるんじゃないかな。
音楽をやる以前の事を教えてくれる?君を見てると、沢山の創作物に埋まった部屋を持つ子供が見える。そんな感じだったの?
僕の部屋はワークショップだったけど、いつも何か作っていた訳でもない。僕はおもちゃで物語を作って世界を作るのが好きだった。音楽も沢山聴いたし、服も作った。自分の世界を作る事が好きな子供だったんだ。ママは僕を変わってるって思ってたな、小さなブラシで壁を綺麗にしてる僕を捕まえてたから。僕は壁を真っ白にしたかった。だけど数年が経つと、ママは心配しだした・・・自分の世界を作って遊ぶのは7歳の子供なら普通かもしれないけど、13歳になったら消えるものだろ。でも僕の場合はさらにひどくなって来た。15歳の頃にはもっとひどくなって、ママは僕に何か他の事をやらせないとって決心したんだ。自分の世界に引きこもってたせいで学校を追放されて、ママは僕に音楽を習わせることにした。辛いレッスンだったな、ロシア人の先生で何時間も練習させられて。嫌いだった。でもどんどん上達して劇場とオペラハウスの仕事をする事になった。で、学校へ行って、劇場の仕事してって自分の時間を分ける様になった。相変わらず学校はひどい所だったな、除け者にされてゲイ嫌いのいじめにあった。
学校ではどうだったの?
ひどかった。成長するってことは簡単じゃない。いじめをする連中もそれを否定する者も、それからホモフォビアの問題も。でも僕は何かそれに釣り合いの取れる「良いもの」を見つけたんだ・・音楽をね。音楽があったから、自由といじめに屈しない強い意思が持てたんだと思う。でも攻撃してくる者へ親切にする必要は無い。あいつらボコボコにしてやりたかったな。
君は上手く切り抜けたようだね。
僕は取り憑かれてたな。頭が何かそれしか考えられない様になってるって感じ。今思えば何をしていたか理解出来るけどね。いつも僕はいろいろなレッテル貼られてさ、そういうなにか決めつけられるのが大嫌いでいつも否定していた。60年代のアメリカの公民権獲得運動とはちょっとニュアンスが違うかな。それとは正反対で、僕は若く、人とは違う属性で、寛容力のボーダーラインを意識させられていたって訳なのかな。寛容さは重要だよ。レッテルを貼るって、何かをカテゴリ分けする事に人生を頼ってる連中には必要なんだ。北アフリカでツアーした時、その国は圧政的な政治と同性愛への否定的スタンスで悪名高かったんだけど、4万6千人が“Billy Brown”を合唱した。これは寛容力だろ。政治でもないしレッテルを貼るってこととも関係ない。僕は演劇を研究したんだけど、マイケル・ハッチェンス(INXS)に刺激を受けた。彼はポップミュージックを語る上で重要な男性なんだけど、彼は女みたいに肩を動かすんだ、でも男っぽくね。僕がステージで女っぽく踊る時、僕は寛容力を引き出してるんだって思う。もし同じ動きをバーや街頭でしたとしたら、たぶん誰かに声をかけられるだろう。僕は観客がストレートだろうがゲイだろうが何だろうが同じ動きをする。皆最後には僕と同じ動きをするんだ。芝居がかってる事は僕には重要なんだ。僕のやり方なんだ。誰でも自分のやり方を持ってる。もちろんセクシャリティは僕のアルバムに表現されてる。世界中のどんなアーティストより僕はセクシャリティについて語るよ、ただし全然そんなこと考えもしない連中をだますようなやり方でね。僕の音楽に政治は関係ないんだ。不意打ちみたいなものさ。
でも政治に関わる事は、法律的な権利を獲得する上で重要だよね?
最近は政治に興味を持ち始めてる、大人になればなるほど。イタリアの雑誌にも政治の話を書いた。ホモフォビア気味のベルルスコーニ発言についてね。(モロッコの少女にハラスメントをした疑いで追求されたベルルスコーニ首相が「ゲイになるより女の子に夢中の方がまし」と答えた件)
なんて書いたの?
首相のあんな発言がネガティブな反響を呼ぶどころか褒められるなんて、先進国の中でイタリアだけだって書いた。全然面白くもなんともない。彼と彼の支持者は全員あの発言を恥ずかしく思って当然だろ。
君の事はあまり知られてないね。どうやってメディアから私生活を隠しているんだい?
僕は謎なんだ。僕は沢山秘密があるんだ・・・良い秘密もあれば、若い頃からの恥ずかしい秘密もある。“The Boy Who Knew too Much”は、寝たふりをして実は窓から抜け出して朝の5時までクラブで遊ぶ若者のことなんだ。僕はそんな完璧じゃないけどね。
君にとって楽しい事って?
皆と同じ。外出するよ、でもカメラマンが居ないところへ。お酒飲んで、いろいろ・・ほら・・皆と一緒だよ。でも記事にならないだろ?全部教えないからさ。インタビューじゃなくて、曲に全部書いてある。朝起きて、ショーをやって曲を書いて仕事をする、自分の人生を捨てる様な事はしたくない、それって重要だと思うんだ。自分で随分この性格に助けられてると思うよ、2枚目のアルバムのツアーは最初のアルバムのツアーの3倍の規模だったけど、僕が自分自身に集中していたから可能だったんだと思う。いつの日か変わるかもしれないけれど、自分ではこのやり方に今のところ満足している。
3枚目のアルバムはどうなるのかな?
究極のポップにするんだ。2枚目よりもっと、でも1枚目とは違うやり方で。子供時代でも青春期のことでもない。それとは違うストーリー。僕の路線ではあるけれど、同時に新しい僕を見る事ができるだろうな。僕の音楽についてなんだけど、説明するのは難しい。僕は自分をクールでもクールじゃないとも、ファッショナブルだともファッショナブルじゃないとも評価しない。僕は何でもありって感じかな。僕の音楽はポップでもインディでもエレクトリックでも無い。それらに属しながら、それでいて奇妙なポジションに位置する。泡みたいな。何か良い物を作ろうとする時、出来るだけ特定の何かに関わらない様にするんだ。“Happy Ending”なんかがそう、上手くいってる。そういう音楽を作りたいんだ。豊かなメロディだけど、どんなジャンルにも属さない。直に分かるから。
Gleeは見る?
見るよ。次のアルバムはスーパーGleeさ。
Gleeは君のエピソードを作らなきゃね。
君が思うほど僕はアメリカで有名じゃないよ。
Mika in Junior Magazine
MIKAがブラジルで2枚のアルバムとシングル・ヒットを出すのに4年かかった。待つ価値はあった。彼はPlaneta Terra Festival 2010を遊び心と色に溢れたステージで彼の色に染め、ファンで会場を埋め尽くした。彼の声は会場をダンス・ビートで踊らせ、歌詞は青春期の悩みを抱える若者たちへの啓示だ。MIKAは1千年紀のフレディ・マーキュリーなのだ。彼の歌は私たちの包容力を鍛え、同時にセクシャリティーに悩む事の無い者をも楽しませる。
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インタビューへ向かうタクシーの中で私は最初の質問は何にしようかと考えていた・・・そして君にある出来事を知ってもらうのがベストだと思ったんだ。この話題はインタビューの方向性を決めるだろう。君のファーストアルバムは私にとって特別だったんだ、2006/2007年のあの頃、あの時期、私はフランスに住み、自分がゲイである事を初めて自然に感じる事が出来た時代だった。自分が自分である事を恥じず、初めて自分を誇りに思うことが出来たんだ。
それはいいスタートだね。それを聞いて嬉しいよ。それは僕のアルバムの存在理由って言ってもいい。その為に作ったんだ。面白いよね、あのころ20代だった連中が君と同じ事言ってるんだ。彼らは辛い時期を過ごしていて、その時僕のアルバムを聴いて変わったって。もっと・・・
強くなれた?
いや、強さって言うのは違うんだ。それはまるで小鳥が君のシャツの袖を引っ張って君の方向を変えるような感じかな。ほんの小さな後押しさ。実際にその通りなんだろうって認めるよ、僕はある目的の為に曲を書いたんだから。僕自身の人生をより良く感じる為に書いたんだ。僕の曲は僕以外の人の事を歌っているようだけど、深いところでは僕自身のことなんだ。性格を際立たせる事で人々が理解しやすくしている。僕には効果的だったんだよ、何もかもひどい状態の時でさえ。だから他の人にも同じ効果があるんじゃないかな。
音楽をやる以前の事を教えてくれる?君を見てると、沢山の創作物に埋まった部屋を持つ子供が見える。そんな感じだったの?
僕の部屋はワークショップだったけど、いつも何か作っていた訳でもない。僕はおもちゃで物語を作って世界を作るのが好きだった。音楽も沢山聴いたし、服も作った。自分の世界を作る事が好きな子供だったんだ。ママは僕を変わってるって思ってたな、小さなブラシで壁を綺麗にしてる僕を捕まえてたから。僕は壁を真っ白にしたかった。だけど数年が経つと、ママは心配しだした・・・自分の世界を作って遊ぶのは7歳の子供なら普通かもしれないけど、13歳になったら消えるものだろ。でも僕の場合はさらにひどくなって来た。15歳の頃にはもっとひどくなって、ママは僕に何か他の事をやらせないとって決心したんだ。自分の世界に引きこもってたせいで学校を追放されて、ママは僕に音楽を習わせることにした。辛いレッスンだったな、ロシア人の先生で何時間も練習させられて。嫌いだった。でもどんどん上達して劇場とオペラハウスの仕事をする事になった。で、学校へ行って、劇場の仕事してって自分の時間を分ける様になった。相変わらず学校はひどい所だったな、除け者にされてゲイ嫌いのいじめにあった。
学校ではどうだったの?
ひどかった。成長するってことは簡単じゃない。いじめをする連中もそれを否定する者も、それからホモフォビアの問題も。でも僕は何かそれに釣り合いの取れる「良いもの」を見つけたんだ・・音楽をね。音楽があったから、自由といじめに屈しない強い意思が持てたんだと思う。でも攻撃してくる者へ親切にする必要は無い。あいつらボコボコにしてやりたかったな。
君は上手く切り抜けたようだね。
僕は取り憑かれてたな。頭が何かそれしか考えられない様になってるって感じ。今思えば何をしていたか理解出来るけどね。いつも僕はいろいろなレッテル貼られてさ、そういうなにか決めつけられるのが大嫌いでいつも否定していた。60年代のアメリカの公民権獲得運動とはちょっとニュアンスが違うかな。それとは正反対で、僕は若く、人とは違う属性で、寛容力のボーダーラインを意識させられていたって訳なのかな。寛容さは重要だよ。レッテルを貼るって、何かをカテゴリ分けする事に人生を頼ってる連中には必要なんだ。北アフリカでツアーした時、その国は圧政的な政治と同性愛への否定的スタンスで悪名高かったんだけど、4万6千人が“Billy Brown”を合唱した。これは寛容力だろ。政治でもないしレッテルを貼るってこととも関係ない。僕は演劇を研究したんだけど、マイケル・ハッチェンス(INXS)に刺激を受けた。彼はポップミュージックを語る上で重要な男性なんだけど、彼は女みたいに肩を動かすんだ、でも男っぽくね。僕がステージで女っぽく踊る時、僕は寛容力を引き出してるんだって思う。もし同じ動きをバーや街頭でしたとしたら、たぶん誰かに声をかけられるだろう。僕は観客がストレートだろうがゲイだろうが何だろうが同じ動きをする。皆最後には僕と同じ動きをするんだ。芝居がかってる事は僕には重要なんだ。僕のやり方なんだ。誰でも自分のやり方を持ってる。もちろんセクシャリティは僕のアルバムに表現されてる。世界中のどんなアーティストより僕はセクシャリティについて語るよ、ただし全然そんなこと考えもしない連中をだますようなやり方でね。僕の音楽に政治は関係ないんだ。不意打ちみたいなものさ。
でも政治に関わる事は、法律的な権利を獲得する上で重要だよね?
最近は政治に興味を持ち始めてる、大人になればなるほど。イタリアの雑誌にも政治の話を書いた。ホモフォビア気味のベルルスコーニ発言についてね。(モロッコの少女にハラスメントをした疑いで追求されたベルルスコーニ首相が「ゲイになるより女の子に夢中の方がまし」と答えた件)
なんて書いたの?
首相のあんな発言がネガティブな反響を呼ぶどころか褒められるなんて、先進国の中でイタリアだけだって書いた。全然面白くもなんともない。彼と彼の支持者は全員あの発言を恥ずかしく思って当然だろ。
君の事はあまり知られてないね。どうやってメディアから私生活を隠しているんだい?
僕は謎なんだ。僕は沢山秘密があるんだ・・・良い秘密もあれば、若い頃からの恥ずかしい秘密もある。“The Boy Who Knew too Much”は、寝たふりをして実は窓から抜け出して朝の5時までクラブで遊ぶ若者のことなんだ。僕はそんな完璧じゃないけどね。
君にとって楽しい事って?
皆と同じ。外出するよ、でもカメラマンが居ないところへ。お酒飲んで、いろいろ・・ほら・・皆と一緒だよ。でも記事にならないだろ?全部教えないからさ。インタビューじゃなくて、曲に全部書いてある。朝起きて、ショーをやって曲を書いて仕事をする、自分の人生を捨てる様な事はしたくない、それって重要だと思うんだ。自分で随分この性格に助けられてると思うよ、2枚目のアルバムのツアーは最初のアルバムのツアーの3倍の規模だったけど、僕が自分自身に集中していたから可能だったんだと思う。いつの日か変わるかもしれないけれど、自分ではこのやり方に今のところ満足している。
3枚目のアルバムはどうなるのかな?
究極のポップにするんだ。2枚目よりもっと、でも1枚目とは違うやり方で。子供時代でも青春期のことでもない。それとは違うストーリー。僕の路線ではあるけれど、同時に新しい僕を見る事ができるだろうな。僕の音楽についてなんだけど、説明するのは難しい。僕は自分をクールでもクールじゃないとも、ファッショナブルだともファッショナブルじゃないとも評価しない。僕は何でもありって感じかな。僕の音楽はポップでもインディでもエレクトリックでも無い。それらに属しながら、それでいて奇妙なポジションに位置する。泡みたいな。何か良い物を作ろうとする時、出来るだけ特定の何かに関わらない様にするんだ。“Happy Ending”なんかがそう、上手くいってる。そういう音楽を作りたいんだ。豊かなメロディだけど、どんなジャンルにも属さない。直に分かるから。
Gleeは見る?
見るよ。次のアルバムはスーパーGleeさ。
Gleeは君のエピソードを作らなきゃね。
君が思うほど僕はアメリカで有名じゃないよ。
ありがとうございます。
やっぱりMIKAは不思議な魅力がありますね。
コメントありがとうございます。
MIKAの記事はなぜかコメントが少ないのです・・・なので嬉しいです。
このインタビューは興味深い事をいろいろ言っていたので、是非訳したいなっておもっていました。3枚目のアルバム、楽しみですね!!!
ではでは!
MIKAにハマったのがつい最近のことで
夢中でMIKAの情報を漁る毎日です。
そしてこちらに辿り着き、読ませていただいてます。
新しいアルバム、本当に楽しみですね。
2枚のCDを繰り返し聞く毎日ですが
全然飽きない! MIKAの歌って本当にステキ。
これからもお邪魔させてくださいね。
MIKAの情報漁り楽しいですよね!
彼のインタビューって大抵面白いですよね。爆笑の面白い動画も一杯あるし。ドジなところが可愛いですね。
早く3枚目が出てほしいです・・・
こんな中途半端なブログでもお役に立てれば嬉しいですw
ではでは。
私もMIKA大好きなんですが、いかんせん英語ができないもので、日本語で読むことができてとても嬉しく、助かりました!
MIKAの秘密知りたいです(笑)
イタリアのエッセイも楽しみにしています。
こちらこそはじめまして。
ちゃんと読んで頂いているなんて嬉しいです。訳は決して楽な作業ではないのですが、MIKAの英語はわかりやすいです。他のアーティストの中には文が芸術すぎてお手上げの人もいますから。
イタリアのエッセイはパロマの回が辛くてそこで止まってるんです。。。
また再開しますので期待しないで待ってて下さいね。
ではでは
ptdさま、プレッシャーに思われたらごめんなさい。あったらラッキー位でお待ちしてますのでお気になさらないでくださいね。
パロマの回は半分出来てるんですけどね・・・
今月中にはなんとかしたいです!
そうそうMIKAの秘密いろいろ知りたいですね。
ではでは