何ヶ月か前、クリスマスの直前だったかな、僕はスタジオからベニー・ベニッシと働くのがどれほど楽しいかってことを何度かツイートした。それは暫くツイートしていなかった僕の久しぶりのツイートだったんだけど、ファンから帰って来たツイートは予想外だった。僕にもっとツイートして欲しい、もっとコミュニケーションを取って欲しいって、落胆してたファンからの怒りのツイートが殺到したんだ。彼らは僕にもっと正直な、もっと頻繁なツイートを望んでいた。僕はツイッターをないがしろにしてたって言われても仕方がない。
以前は僕もツイッターでいろいろ楽しんでいたんだ。ある日の午後、2枚目のアルバムが出る直前、ファンをパブに招いて発売直前記念パーティをしたらいいんじゃないかって思った。その日のうちに僕はそのパーティの場所のヒントをツイートした。皆、僕は狂ってるって思ったらしい・・・結果はもう滅茶苦茶だった。600人がパブに来て僕と一緒に夜11時まで飲んでテーブルの上で踊った。僕のおごりで。ロンドンの街角の発売直前パーティ・・・すべて完璧だった。嫌なやつなんて一人も居なかった。ペレス・ヒルトンと一緒にL.Aのロキシーのフリーギグ招待をツイートしたことさえある。ペレスと僕はチケットを配るアイスクリーム販売トラックの場所のヒントをツイートしたんだけど、僕たちの予想300人を超える2000人近くが集まったんだ。
ツイッターは人々を動かす最も強力なツールの一つだ。新聞やテレビの情報は編集者や政治的監視を経ている。でもツイッターの情報は個人的で選別されていない。君がツイッターから情報を受け取る時、それはまるで君個人に向けられたかの様に感じるだろう。ジャーナリストの持つ力は君に託され、そしてその情報は皆に共有される。急を要するニュースが人々の間にこれほどの速さで伝えられるなんて事は今までは無かった。たとえば去年、エジプト反政府運動を取材していた若いフォトジャーナリストのジェームス・バックが投獄された時、たった一言のツイートが彼を救った。彼は捕まった後すぐ「逮捕された」とだけツイートした。数秒後にはアメリカの彼の同僚やブロガーはなにが起こったのかを知ったんだ。
中東情勢における情報伝達手段としてのツイッターにはめざましいものがある。初めて僕たちはコントロールされていない情報と人々の生の意見を知ることが出来る様になった。ツイートから直接民衆個人の恐れを感じとることが出来るなんて、今まで決してなかったことだ。ツイッターは戦争に人間性の存在を付加した第2次世界大戦後の1950年代の小説と同じなのかもしれない。冷静で決して揺らがない30年代BBCの戦況報告とは大きな隔たりがある。
僕の問題は、ツイッターを毎日の様に使えないってことにある。僕の場合1週間ツイッター無しで過ごした後、10分で10ツイートしてしまう。僕は本当に必要な何か皆と共有したい重要な事しかツイートしたく無い。つまらない事をツイートをすると気分が悪いんだ。皆がそれを読んでどう思うかって事だけじゃなくて、その言葉に必要性を感じないから。140字しか使えないって言うのに毎日の僕の感情や日常をツイートするのは全くの無駄、君が朝ご飯に何を食べたかって情報を知る事が気持ち悪いっていうか・・どうでもいい情報だって思うのは僕だけかな?
たぶん僕は重要なポイントを見逃してるのかも。つまらないツイートでもそれがやがて他の何万と言うツイートと一緒になることで歴史研究にとても重要な意味と発見を与えてくれるんだ。2010年、ツイッター社はすべてのツイートを集めたアーカイブをアメリカ議会図書館へ寄付した。このライブラリは世界で最も大きく、将来大変に価値ある資料になる。これは歴史家たちにとって大きな出来事に対する個人の反応を知ることが出来るだけじゃなく、トレンドや出来事がどのようにして形成されていったのかを知る事が出来る資料でもある。ナチス台頭の時代のヨーロッパにツイッターがあったらって想像してみよう。アーカイブから得られる情報は最悪の思想や政治的勢力が社会の中でいかに勢いを増し、歴史を形作っていったかを理解する手助けになるはずだ。
結局すべてのツイートはバベルの塔のレンガの1つだってだけじゃなく、将来社会を語る重要なツールの一つなのかもしれない。たぶん無駄なツイートなんて存在しないのかも。朝ご飯何食べたかってツイートでさえ百年後には興味深いものになってるのかも・・・
元記事:
http://www.mikafans.net/archives/1852
以前は僕もツイッターでいろいろ楽しんでいたんだ。ある日の午後、2枚目のアルバムが出る直前、ファンをパブに招いて発売直前記念パーティをしたらいいんじゃないかって思った。その日のうちに僕はそのパーティの場所のヒントをツイートした。皆、僕は狂ってるって思ったらしい・・・結果はもう滅茶苦茶だった。600人がパブに来て僕と一緒に夜11時まで飲んでテーブルの上で踊った。僕のおごりで。ロンドンの街角の発売直前パーティ・・・すべて完璧だった。嫌なやつなんて一人も居なかった。ペレス・ヒルトンと一緒にL.Aのロキシーのフリーギグ招待をツイートしたことさえある。ペレスと僕はチケットを配るアイスクリーム販売トラックの場所のヒントをツイートしたんだけど、僕たちの予想300人を超える2000人近くが集まったんだ。
ツイッターは人々を動かす最も強力なツールの一つだ。新聞やテレビの情報は編集者や政治的監視を経ている。でもツイッターの情報は個人的で選別されていない。君がツイッターから情報を受け取る時、それはまるで君個人に向けられたかの様に感じるだろう。ジャーナリストの持つ力は君に託され、そしてその情報は皆に共有される。急を要するニュースが人々の間にこれほどの速さで伝えられるなんて事は今までは無かった。たとえば去年、エジプト反政府運動を取材していた若いフォトジャーナリストのジェームス・バックが投獄された時、たった一言のツイートが彼を救った。彼は捕まった後すぐ「逮捕された」とだけツイートした。数秒後にはアメリカの彼の同僚やブロガーはなにが起こったのかを知ったんだ。
中東情勢における情報伝達手段としてのツイッターにはめざましいものがある。初めて僕たちはコントロールされていない情報と人々の生の意見を知ることが出来る様になった。ツイートから直接民衆個人の恐れを感じとることが出来るなんて、今まで決してなかったことだ。ツイッターは戦争に人間性の存在を付加した第2次世界大戦後の1950年代の小説と同じなのかもしれない。冷静で決して揺らがない30年代BBCの戦況報告とは大きな隔たりがある。
僕の問題は、ツイッターを毎日の様に使えないってことにある。僕の場合1週間ツイッター無しで過ごした後、10分で10ツイートしてしまう。僕は本当に必要な何か皆と共有したい重要な事しかツイートしたく無い。つまらない事をツイートをすると気分が悪いんだ。皆がそれを読んでどう思うかって事だけじゃなくて、その言葉に必要性を感じないから。140字しか使えないって言うのに毎日の僕の感情や日常をツイートするのは全くの無駄、君が朝ご飯に何を食べたかって情報を知る事が気持ち悪いっていうか・・どうでもいい情報だって思うのは僕だけかな?
たぶん僕は重要なポイントを見逃してるのかも。つまらないツイートでもそれがやがて他の何万と言うツイートと一緒になることで歴史研究にとても重要な意味と発見を与えてくれるんだ。2010年、ツイッター社はすべてのツイートを集めたアーカイブをアメリカ議会図書館へ寄付した。このライブラリは世界で最も大きく、将来大変に価値ある資料になる。これは歴史家たちにとって大きな出来事に対する個人の反応を知ることが出来るだけじゃなく、トレンドや出来事がどのようにして形成されていったのかを知る事が出来る資料でもある。ナチス台頭の時代のヨーロッパにツイッターがあったらって想像してみよう。アーカイブから得られる情報は最悪の思想や政治的勢力が社会の中でいかに勢いを増し、歴史を形作っていったかを理解する手助けになるはずだ。
結局すべてのツイートはバベルの塔のレンガの1つだってだけじゃなく、将来社会を語る重要なツールの一つなのかもしれない。たぶん無駄なツイートなんて存在しないのかも。朝ご飯何食べたかってツイートでさえ百年後には興味深いものになってるのかも・・・
元記事:
http://www.mikafans.net/archives/1852
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