ロンドン、11月10日の朝。何千人もの英国の学生達が大学授業料値上げに対するデモを行った。2012年に年間授業料を1万ユーロへ値上げするという政府の授業料値上げ法案に対してだ。この法案が発表された時、国際的に大して話題にはならなかった。しかしほんの2~3窓が割られ、どちらかというとお粗末な手製爆弾が火を吹くと、このストーリーはあのウォール・ストリート・ジャーナルの1面を飾るようになったんだ。ここ数ヶ月僕たちは、政府による財源削減への抗議をどう行うかでそれぞれの国の国民性の違いを知る事になった。
最近のフランスのデモの規模やギリシャでの暴徒化に比べれば、英国の学生による抗議運動は軟弱と言ってもいいだろう。事実、公共での暴徒による流血沙汰や抗議活動は英国には無かった。これは重要な事だ。この2年間で初めてストイックで冷静な英国人の堪忍袋の緒が切れたんだ。あのシュワルツネッガーだって褒めた位だ、英国民は正しい方法で犠牲を受け入れ、痛みに対処する民のよい見本だと。基本的に僕たちは何も言わないで来た。これこそ典型的英国気質。
今までヨーロッパでは数国だけが財源削減への異なる反応を見せていた。まるでシリーズ化された小説みたいに、フランス、ギリシャと英国がメインの登場人物だ。しかし、イタリアはどこに配役されてるんだ?イタリアだって他のヨーロッパの国々と同様に経済的に苦しい状況なのは明らかなのに。なぜフランス人ばかりが注目され、世界の注目を浴びる事が可能なんだ?答えは団結力だ。フランス人は自分たちがおかしいと思う何かに対して団結するすべを知っている。英国人達が不満を自分たちの中に溜めて来ていたとして、イタリア人はこの件に関して何一つ行動していない様に見える。
国の一部の地域で生徒達がクラスの生徒数超過のため自分の椅子を持ってくる様に言われることは珍しく無い。余分な課外授業は削られ、大学の教授達は今よりもっと将来が明るい他の業界に持っていかれる。
ボローニャの大学は中世に創立されたにも関わらず、世界のトップ大学ランキング200位以内にイタリアの大学は入っていない。もし同じ様な問題が英国の小学校で発生したら、不満はすぐに全土に広がり抗議運動が起り、トップニュースとして報道されるはずだ。それは暴力を伴わず、英国人独自の尺度で計られる。僕のミラノの友人はイタリアに存在するそんな問題についてよく話してくれる・・でも彼は一度も抗議活動に加わった事は無いと言う。なぜ?と聞くと「ただ、やった事無いから」と答える。
問題が公になる事は決して恥ずかしい事ではない。じゃなきゃ、どうやって自分たちの問題を解決するんだい?ベルルスコーニが「ゲイになるより女の子に熱心な方が良い」発言をした時、そのミラノの友人は怒って僕にメールして来たんだ。僕は思ったね、こんな発言を一国の首相がして、責任を逃れられるってことなんかあり得ないだろうって。他の国だったら辞職だよ。笑い事じゃない、これは真面目に言ってるんだ、これは救い様が無い愚かな発言だ。で、僕の友人は何もしなかった、僕に怒りのメールを送った以外は。どう考えてもこの発言には他のイタリア人だって怒ってるはずだ、教育問題と同じにね。
何を持ってすれば彼らの不満を表に引き出す事が出来る?イタリア統一150年記念のパレードはただそれを祝うための物ではなく、より良い国の主導者を求めるものになるかもしれない。しかしそれにはイタリア人自らが自分の主張を伝えることが必要だ。
最近のフランスのデモの規模やギリシャでの暴徒化に比べれば、英国の学生による抗議運動は軟弱と言ってもいいだろう。事実、公共での暴徒による流血沙汰や抗議活動は英国には無かった。これは重要な事だ。この2年間で初めてストイックで冷静な英国人の堪忍袋の緒が切れたんだ。あのシュワルツネッガーだって褒めた位だ、英国民は正しい方法で犠牲を受け入れ、痛みに対処する民のよい見本だと。基本的に僕たちは何も言わないで来た。これこそ典型的英国気質。
今までヨーロッパでは数国だけが財源削減への異なる反応を見せていた。まるでシリーズ化された小説みたいに、フランス、ギリシャと英国がメインの登場人物だ。しかし、イタリアはどこに配役されてるんだ?イタリアだって他のヨーロッパの国々と同様に経済的に苦しい状況なのは明らかなのに。なぜフランス人ばかりが注目され、世界の注目を浴びる事が可能なんだ?答えは団結力だ。フランス人は自分たちがおかしいと思う何かに対して団結するすべを知っている。英国人達が不満を自分たちの中に溜めて来ていたとして、イタリア人はこの件に関して何一つ行動していない様に見える。
国の一部の地域で生徒達がクラスの生徒数超過のため自分の椅子を持ってくる様に言われることは珍しく無い。余分な課外授業は削られ、大学の教授達は今よりもっと将来が明るい他の業界に持っていかれる。
ボローニャの大学は中世に創立されたにも関わらず、世界のトップ大学ランキング200位以内にイタリアの大学は入っていない。もし同じ様な問題が英国の小学校で発生したら、不満はすぐに全土に広がり抗議運動が起り、トップニュースとして報道されるはずだ。それは暴力を伴わず、英国人独自の尺度で計られる。僕のミラノの友人はイタリアに存在するそんな問題についてよく話してくれる・・でも彼は一度も抗議活動に加わった事は無いと言う。なぜ?と聞くと「ただ、やった事無いから」と答える。
問題が公になる事は決して恥ずかしい事ではない。じゃなきゃ、どうやって自分たちの問題を解決するんだい?ベルルスコーニが「ゲイになるより女の子に熱心な方が良い」発言をした時、そのミラノの友人は怒って僕にメールして来たんだ。僕は思ったね、こんな発言を一国の首相がして、責任を逃れられるってことなんかあり得ないだろうって。他の国だったら辞職だよ。笑い事じゃない、これは真面目に言ってるんだ、これは救い様が無い愚かな発言だ。で、僕の友人は何もしなかった、僕に怒りのメールを送った以外は。どう考えてもこの発言には他のイタリア人だって怒ってるはずだ、教育問題と同じにね。
何を持ってすれば彼らの不満を表に引き出す事が出来る?イタリア統一150年記念のパレードはただそれを祝うための物ではなく、より良い国の主導者を求めるものになるかもしれない。しかしそれにはイタリア人自らが自分の主張を伝えることが必要だ。
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