@chakudan @TAKACOOL 祖父がラジオ・エンジニアで、戦中は海軍の軍属として徴兵へ引っ張られずに済んだこともあり「技術者として手に職をつけていれば」とは言われましたねぇ。
なお、祖父は戦艦「長門」に電探を取り付けたとか聞いたことがある。昭和20年8月6日は呉にいたとも。
@ponchan1791 @TAKACOOL
うちは母方のじっちゃんが戦前から海軍に引っ張られてたそうです。
戦争始まる前は、長門の五番副砲にいたと本人から聞きました。
が、かーちゃんからは特に賛成も反対も無かったですね
@chakudan @TAKACOOL うちは母方は全く不明(たぶん従軍せず)。父方は戦前のラジオメーカー(戦後、東芝へ吸収?)の技術部長とか聞いたような。戦中に短波ラジオの所有許可を取っていて、空襲警報の前に空襲を察知していたとかも聞いたことがあるので、コネはあった模様。
JR北海道の事例を見てると、「注文する代わりに電車新造や路線改修」や「利用者増やすため増便や新駅増設」に税金投入して定着化させた福井県と富山県って、凄いことサラリとやったんだなぁと
@chakudan @TAKACOOL 実は祖父は、チハたんの生誕地「下丸子」にいたので、空襲が激しかったそうです。親父を背負った祖母が、グラマンに機銃掃射を受けながら防空壕へ逃げ込んだという話も聞いたことがあります。gkbr
@ponchan1791 @TAKACOOL うちは疎開先でオヤジを産んだとばっちゃんから聞いたので、その辺は助かったようです。
じっちゃんがどうしてたかは不明ですが、築地で頑張ってたとしたら相当な地獄を見ていたと思われます
@chakudan @ponchan1791 父方の祖父は、最初はトラックで米軍の機銃掃射で怪我をして内地に帰還。その後、満州へ行きソビエト軍に捕まるも民間人だと言い張り脱走。大連に向かうが、八路軍に捕まる。ただし、比較的対日感情の良好な八路軍だったらしく釈放。大連から帰還。
@TAKACOOL @chakudan その点では、外地へ出たと聞いたことのない私の祖父が一番平穏な経歴のように思えます。実際、祖父の腹心の部下へ来た陸軍の赤紙を、祖父が「海軍の電探製造に支障をきたす」として撤回させたと、その部下本人から聞いたことがあります。
うちの祖父の場合、昭和20年8月6日に呉にいたというのが、一番危険だったのかもしれないが、結局は海軍軍属だからなあ。