シリーズ平成の本音―争点先送り、上手な施政方針演説! (その4)
1月28日、通常国会が開会し、安倍首相の施政方針演説が行われ、国会論戦の火蓋が切られた。第一次安倍内閣の際とは異なり、その後不遇の経験を積み、見識を広めたこともあり、堂々としたスピーチであり、首相としての風格も備え心強い限りである。今後の健闘に期待したい。
演説では、冒頭で日本経済の危機、東日本震災からの復興の危機、安全保障・外交の危機、教育の危機の4つの危機に直面しているとして危機感を煽った上で、各分野での取り組みを表明している。
これらの分野は財界を含め国民受けする課題である。特に、経済分野ではドル高、円安方向に為替の是正が始まり、輸出産業や関連裾の産業を中心として株価が上がり、回復への動きが既に出てきているので、いわば受けの良い課題を全面に出しつつ、危機を煽り、与野党、国民の団結を訴えるという巧みな課題選択とアッピールであると言えよう。
しかし日本経済の危機等はバブル経済崩壊後先送りされて来た危機である一方、国民の最大の不安である年金不安、国の借金依存の財政危機、少子高齢化による統治機構の危機、地方過疎化の危機、公共事業の不誠実執行、沖縄の不安など、国民の日常生活や消費活動に密接に関係する問題にほとんど言及がなく、奇異である。7月の参議院選挙まではTPPへの交渉参加問題を含め、争点を先送る姿勢とも受け取られかねない。政治的には巧みであろうが、国民が何となく割り切れない印象を受けているのはそのような争点先送りのスピーチであるからではなかろうか。本格的な国会審議でこのような争点は表面化して来よう。
1、日本経済の危機、今に始まったことではない (その1で掲載)
2、東日本震災からの復興の危機とは何か (その2で掲載)
3、安全保障・外交の危機、煽るのは国益に反する (その3で掲載)
4、教育の危機、家庭教育の欠如か中央統制的教育の弊害?
教育の危機であり、教育改革が必要としているが、一体教育の危機とは何なのだろう。いじめの問題や教育の場での暴力的な体罰の問題がクローズアップされている。しかしそれは以前からあったことで、今に始まったことでもない。そもそもいじめは教育の場だけてはなく、会社や団体など一般社会にも見られる。スポーツ界やマスコミ自体にもある。その面での改善は教育界だけでなく、社会全体として取り組まなければ子供達の模範とはならない。
それが政治に出来るのだろうか。現在国会は、2009年8月の総選挙においても、2012年12月の総選挙においても有権者の「1票の格差」において違憲であり、2国会連続で違憲状態にある。裁判所は、選挙は違憲だが、無効とはしていないが、それは司法として立法府での責任を尊重し、抜本的な改革を促しているということであり、深刻な政治責任は残る。
政府与党は、選挙は無効ではないとしてそのままにしようとしている。だが国民を代表する国会がこのような憲法違反の状態では正当な国民の代表ではないということであり、今後4年間近く衆議院を継続することは有り得ない。
また現在1票を格差を是正すべく、区割り等の検討が行われている。政府与党内には「1票の格差」の是正は、2倍以内なら良いというような認識があるようだ。憲法上の平等原則は、基本的には票の重さが1対1ということであり、その状態に近づけることが期待されている。2倍以内なら良い、1.5倍以内なら良いというような恣意的な判断は適正ではなく、技術的な困難さがあるとしても1.1倍程度、最大でも1.2 倍以内に収める努力が不可欠である。憲法上の平等原則さえ正しく理解できず、1対1であるべきことを、1対2.0以内なら良いというようなずさんで数字も理解出来ないような政府や国会が、教育改革を議論する資格はないと言えないだろうか。ましてや憲法改正など論じる資格はない。
教育改革や憲法改正を論じる前に速やかに出直し選挙を行い、国会を合憲状態にすることが先決のようだ。
(2013.02.01.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
1月28日、通常国会が開会し、安倍首相の施政方針演説が行われ、国会論戦の火蓋が切られた。第一次安倍内閣の際とは異なり、その後不遇の経験を積み、見識を広めたこともあり、堂々としたスピーチであり、首相としての風格も備え心強い限りである。今後の健闘に期待したい。
演説では、冒頭で日本経済の危機、東日本震災からの復興の危機、安全保障・外交の危機、教育の危機の4つの危機に直面しているとして危機感を煽った上で、各分野での取り組みを表明している。
これらの分野は財界を含め国民受けする課題である。特に、経済分野ではドル高、円安方向に為替の是正が始まり、輸出産業や関連裾の産業を中心として株価が上がり、回復への動きが既に出てきているので、いわば受けの良い課題を全面に出しつつ、危機を煽り、与野党、国民の団結を訴えるという巧みな課題選択とアッピールであると言えよう。
しかし日本経済の危機等はバブル経済崩壊後先送りされて来た危機である一方、国民の最大の不安である年金不安、国の借金依存の財政危機、少子高齢化による統治機構の危機、地方過疎化の危機、公共事業の不誠実執行、沖縄の不安など、国民の日常生活や消費活動に密接に関係する問題にほとんど言及がなく、奇異である。7月の参議院選挙まではTPPへの交渉参加問題を含め、争点を先送る姿勢とも受け取られかねない。政治的には巧みであろうが、国民が何となく割り切れない印象を受けているのはそのような争点先送りのスピーチであるからではなかろうか。本格的な国会審議でこのような争点は表面化して来よう。
1、日本経済の危機、今に始まったことではない (その1で掲載)
2、東日本震災からの復興の危機とは何か (その2で掲載)
3、安全保障・外交の危機、煽るのは国益に反する (その3で掲載)
4、教育の危機、家庭教育の欠如か中央統制的教育の弊害?
教育の危機であり、教育改革が必要としているが、一体教育の危機とは何なのだろう。いじめの問題や教育の場での暴力的な体罰の問題がクローズアップされている。しかしそれは以前からあったことで、今に始まったことでもない。そもそもいじめは教育の場だけてはなく、会社や団体など一般社会にも見られる。スポーツ界やマスコミ自体にもある。その面での改善は教育界だけでなく、社会全体として取り組まなければ子供達の模範とはならない。
それが政治に出来るのだろうか。現在国会は、2009年8月の総選挙においても、2012年12月の総選挙においても有権者の「1票の格差」において違憲であり、2国会連続で違憲状態にある。裁判所は、選挙は違憲だが、無効とはしていないが、それは司法として立法府での責任を尊重し、抜本的な改革を促しているということであり、深刻な政治責任は残る。
政府与党は、選挙は無効ではないとしてそのままにしようとしている。だが国民を代表する国会がこのような憲法違反の状態では正当な国民の代表ではないということであり、今後4年間近く衆議院を継続することは有り得ない。
また現在1票を格差を是正すべく、区割り等の検討が行われている。政府与党内には「1票の格差」の是正は、2倍以内なら良いというような認識があるようだ。憲法上の平等原則は、基本的には票の重さが1対1ということであり、その状態に近づけることが期待されている。2倍以内なら良い、1.5倍以内なら良いというような恣意的な判断は適正ではなく、技術的な困難さがあるとしても1.1倍程度、最大でも1.2 倍以内に収める努力が不可欠である。憲法上の平等原則さえ正しく理解できず、1対1であるべきことを、1対2.0以内なら良いというようなずさんで数字も理解出来ないような政府や国会が、教育改革を議論する資格はないと言えないだろうか。ましてや憲法改正など論じる資格はない。
教育改革や憲法改正を論じる前に速やかに出直し選挙を行い、国会を合憲状態にすることが先決のようだ。
(2013.02.01.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)