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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの    (その3)

2014-03-08 | Weblog
シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの    (その3)(再掲)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
 1、現行の日本憲法は否定されるのか?                (その1で掲載)
 2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇            (その2で掲載)
 3、占領下の「東京裁判」も否定される!?
 連合国は、1946年に極東国際軍事裁判所(通称東京裁判)を設置し、大東亜戦争から太平洋戦争に至る軍人中枢の他、首相、大臣等を戦争犯罪人として裁判した。
 東京裁判は、昭和天皇の誕生日である同年4月29日に開始され、東郷英機首相(当時、軍人出身)はじめ25名の主要責任者が1948年11月に死刑(A級戦犯)或いは終身刑等として判決され、同年12月23日(現天皇誕生日、皇太子殿下当時)に処刑された。今回、講和条約の発行をもって日本の主権が回復したことを表明したことは、占領下で行われた東京裁判も押しつけであり、日本の意思ではないことを意味するのだろう。従って、大東亜戦争や太平洋戦争を主導した“A級戦犯”なども戦犯として処刑されるべきではなかったとの意見が出ることになろう。戦犯の復権であり、保守リビジョにスト(保守修正主義)の台頭となる。
 4月に麻生副首相兼財務相、古屋国家公安委員長兼拉致問題担当相他2閣僚が、また高市自民党政調会長など与党を中心とする168議員が、東郷英機などA級戦犯を多くの旧帝国軍人などと共に合祀している靖国神社を参拝した。国のために命を落とした方々の慰霊をお参りするのは当然のことであり、個人の自由というのが理由である。確かに個人として参拝するのは自由である。しかし靖国神社は、日本を戦争に導いた責任者(A級戦犯)が合祀されている。その上、戦争終盤には燃料不足のため片道だけの燃料を積んで米国艦船に突っ込んで行った戦闘機(通称神風特攻隊)などの武器が展示されてある戦争博物館(遊就館)があり、一般の神社とは異なるので、公人としての立場がある者が参拝することは、旧帝国軍隊による戦争やその責任者を容認、擁護するとの意味合いを持つので、私人の参拝とは異なる。韓国や中国が靖国参拝に反発しているのもそのような意味合いがあるからだろう。もっとも中、韓両国にも、信条、信仰の自由は民主主義社会では国際的に広く確立している基本的な自由であることを理解するよう期待したい。
 東京裁判の裁判官や検察官は連合国側から派遣されたものであり、裁判は公平ではなかったとして、東京裁判の判決を尊重しないとすると、太平洋戦争の責任は誰にあったのか。
 東京裁判を否定するのであれば、日本人自身が太平洋戦争の責任をきちんと総括し、判断を下すべきであろう。連合国が被った被害は東京裁判で裁かれたが、日本側にも大きな被害があった。日本人は、太平洋戦争において、この地域の戦地で兵士など約240万人死亡していると言われている。更に本土でも、沖縄では民間人を含め18万人前後、東京の空爆により10万人内外、そして広島、長崎の原爆による15万~20万人など、民間人を中心として約70万人が死亡したと言われ、東京や広島、長崎などを焦土とした。対外的な被害は被害として真摯に受け止めるべきであろうが、自国民にこれだけの被害を強いる結果となったので、このような惨劇を繰り返さないためにも責任を精査する必要があろう。
 また連合国側も、沖縄や東京等の多数の民間人や民間施設等に甚大な犠牲や被害を与えており、民間人(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、また広島、長崎両市への原爆という大量破壊兵器での大量殺戮(ジェノサイド)は戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否を問われても良いのであろう。それは今後の世界において、軍事戦略や戦術の論理だけでなく、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点からも考え、戦争法規のあり方や核兵器や化学兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止などを考える上でも必要であろう。
 歴史に“もし”ということはないのだが、戦後もし世界が広島、長崎の一般人、施設等の大量殺戮や大量破壊を原子爆弾による大量殺戮(ジェノサイド)として責任を問い、国際的な処罰をしていれば、現在の核兵器国の核保有や北朝鮮など一部諸国による核兵器開発などは禁止されていたのであろう。
 歴史は後ろには戻せないが、占領下の連合国による東京裁判や戦争犯罪人の処罰を否定するのであれば、戦勝国、敗戦国双方につき戦争の責任を問い直すことは出来るのであろう。
(2013.4.28.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの    (その3)

2014-03-08 | Weblog
シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの    (その3)(再掲)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
 1、現行の日本憲法は否定されるのか?                (その1で掲載)
 2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇            (その2で掲載)
 3、占領下の「東京裁判」も否定される!?
 連合国は、1946年に極東国際軍事裁判所(通称東京裁判)を設置し、大東亜戦争から太平洋戦争に至る軍人中枢の他、首相、大臣等を戦争犯罪人として裁判した。
 東京裁判は、昭和天皇の誕生日である同年4月29日に開始され、東郷英機首相(当時、軍人出身)はじめ25名の主要責任者が1948年11月に死刑(A級戦犯)或いは終身刑等として判決され、同年12月23日(現天皇誕生日、皇太子殿下当時)に処刑された。今回、講和条約の発行をもって日本の主権が回復したことを表明したことは、占領下で行われた東京裁判も押しつけであり、日本の意思ではないことを意味するのだろう。従って、大東亜戦争や太平洋戦争を主導した“A級戦犯”なども戦犯として処刑されるべきではなかったとの意見が出ることになろう。戦犯の復権であり、保守リビジョにスト(保守修正主義)の台頭となる。
 4月に麻生副首相兼財務相、古屋国家公安委員長兼拉致問題担当相他2閣僚が、また高市自民党政調会長など与党を中心とする168議員が、東郷英機などA級戦犯を多くの旧帝国軍人などと共に合祀している靖国神社を参拝した。国のために命を落とした方々の慰霊をお参りするのは当然のことであり、個人の自由というのが理由である。確かに個人として参拝するのは自由である。しかし靖国神社は、日本を戦争に導いた責任者(A級戦犯)が合祀されている。その上、戦争終盤には燃料不足のため片道だけの燃料を積んで米国艦船に突っ込んで行った戦闘機(通称神風特攻隊)などの武器が展示されてある戦争博物館(遊就館)があり、一般の神社とは異なるので、公人としての立場がある者が参拝することは、旧帝国軍隊による戦争やその責任者を容認、擁護するとの意味合いを持つので、私人の参拝とは異なる。韓国や中国が靖国参拝に反発しているのもそのような意味合いがあるからだろう。もっとも中、韓両国にも、信条、信仰の自由は民主主義社会では国際的に広く確立している基本的な自由であることを理解するよう期待したい。
 東京裁判の裁判官や検察官は連合国側から派遣されたものであり、裁判は公平ではなかったとして、東京裁判の判決を尊重しないとすると、太平洋戦争の責任は誰にあったのか。
 東京裁判を否定するのであれば、日本人自身が太平洋戦争の責任をきちんと総括し、判断を下すべきであろう。連合国が被った被害は東京裁判で裁かれたが、日本側にも大きな被害があった。日本人は、太平洋戦争において、この地域の戦地で兵士など約240万人死亡していると言われている。更に本土でも、沖縄では民間人を含め18万人前後、東京の空爆により10万人内外、そして広島、長崎の原爆による15万~20万人など、民間人を中心として約70万人が死亡したと言われ、東京や広島、長崎などを焦土とした。対外的な被害は被害として真摯に受け止めるべきであろうが、自国民にこれだけの被害を強いる結果となったので、このような惨劇を繰り返さないためにも責任を精査する必要があろう。
 また連合国側も、沖縄や東京等の多数の民間人や民間施設等に甚大な犠牲や被害を与えており、民間人(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、また広島、長崎両市への原爆という大量破壊兵器での大量殺戮(ジェノサイド)は戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否を問われても良いのであろう。それは今後の世界において、軍事戦略や戦術の論理だけでなく、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点からも考え、戦争法規のあり方や核兵器や化学兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止などを考える上でも必要であろう。
 歴史に“もし”ということはないのだが、戦後もし世界が広島、長崎の一般人、施設等の大量殺戮や大量破壊を原子爆弾による大量殺戮(ジェノサイド)として責任を問い、国際的な処罰をしていれば、現在の核兵器国の核保有や北朝鮮など一部諸国による核兵器開発などは禁止されていたのであろう。
 歴史は後ろには戻せないが、占領下の連合国による東京裁判や戦争犯罪人の処罰を否定するのであれば、戦勝国、敗戦国双方につき戦争の責任を問い直すことは出来るのであろう。
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの    (その3)

2014-03-08 | Weblog
シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの    (その3)(再掲)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
 1、現行の日本憲法は否定されるのか?                (その1で掲載)
 2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇            (その2で掲載)
 3、占領下の「東京裁判」も否定される!?
 連合国は、1946年に極東国際軍事裁判所(通称東京裁判)を設置し、大東亜戦争から太平洋戦争に至る軍人中枢の他、首相、大臣等を戦争犯罪人として裁判した。
 東京裁判は、昭和天皇の誕生日である同年4月29日に開始され、東郷英機首相(当時、軍人出身)はじめ25名の主要責任者が1948年11月に死刑(A級戦犯)或いは終身刑等として判決され、同年12月23日(現天皇誕生日、皇太子殿下当時)に処刑された。今回、講和条約の発行をもって日本の主権が回復したことを表明したことは、占領下で行われた東京裁判も押しつけであり、日本の意思ではないことを意味するのだろう。従って、大東亜戦争や太平洋戦争を主導した“A級戦犯”なども戦犯として処刑されるべきではなかったとの意見が出ることになろう。戦犯の復権であり、保守リビジョにスト(保守修正主義)の台頭となる。
 4月に麻生副首相兼財務相、古屋国家公安委員長兼拉致問題担当相他2閣僚が、また高市自民党政調会長など与党を中心とする168議員が、東郷英機などA級戦犯を多くの旧帝国軍人などと共に合祀している靖国神社を参拝した。国のために命を落とした方々の慰霊をお参りするのは当然のことであり、個人の自由というのが理由である。確かに個人として参拝するのは自由である。しかし靖国神社は、日本を戦争に導いた責任者(A級戦犯)が合祀されている。その上、戦争終盤には燃料不足のため片道だけの燃料を積んで米国艦船に突っ込んで行った戦闘機(通称神風特攻隊)などの武器が展示されてある戦争博物館(遊就館)があり、一般の神社とは異なるので、公人としての立場がある者が参拝することは、旧帝国軍隊による戦争やその責任者を容認、擁護するとの意味合いを持つので、私人の参拝とは異なる。韓国や中国が靖国参拝に反発しているのもそのような意味合いがあるからだろう。もっとも中、韓両国にも、信条、信仰の自由は民主主義社会では国際的に広く確立している基本的な自由であることを理解するよう期待したい。
 東京裁判の裁判官や検察官は連合国側から派遣されたものであり、裁判は公平ではなかったとして、東京裁判の判決を尊重しないとすると、太平洋戦争の責任は誰にあったのか。
 東京裁判を否定するのであれば、日本人自身が太平洋戦争の責任をきちんと総括し、判断を下すべきであろう。連合国が被った被害は東京裁判で裁かれたが、日本側にも大きな被害があった。日本人は、太平洋戦争において、この地域の戦地で兵士など約240万人死亡していると言われている。更に本土でも、沖縄では民間人を含め18万人前後、東京の空爆により10万人内外、そして広島、長崎の原爆による15万~20万人など、民間人を中心として約70万人が死亡したと言われ、東京や広島、長崎などを焦土とした。対外的な被害は被害として真摯に受け止めるべきであろうが、自国民にこれだけの被害を強いる結果となったので、このような惨劇を繰り返さないためにも責任を精査する必要があろう。
 また連合国側も、沖縄や東京等の多数の民間人や民間施設等に甚大な犠牲や被害を与えており、民間人(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、また広島、長崎両市への原爆という大量破壊兵器での大量殺戮(ジェノサイド)は戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否を問われても良いのであろう。それは今後の世界において、軍事戦略や戦術の論理だけでなく、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点からも考え、戦争法規のあり方や核兵器や化学兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止などを考える上でも必要であろう。
 歴史に“もし”ということはないのだが、戦後もし世界が広島、長崎の一般人、施設等の大量殺戮や大量破壊を原子爆弾による大量殺戮(ジェノサイド)として責任を問い、国際的な処罰をしていれば、現在の核兵器国の核保有や北朝鮮など一部諸国による核兵器開発などは禁止されていたのであろう。
 歴史は後ろには戻せないが、占領下の連合国による東京裁判や戦争犯罪人の処罰を否定するのであれば、戦勝国、敗戦国双方につき戦争の責任を問い直すことは出来るのであろう。
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2014-03-08 | Weblog
シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの    (その3) (再掲)
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
 1、現行の日本憲法は否定されるのか?                (その1で掲載)
 2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇            (その2で掲載)
 3、占領下の「東京裁判」も否定される!?
 連合国は、1946年に極東国際軍事裁判所(通称東京裁判)を設置し、大東亜戦争から太平洋戦争に至る軍人中枢の他、首相、大臣等を戦争犯罪人として裁判した。
 東京裁判は、昭和天皇の誕生日である同年4月29日に開始され、東郷英機首相(当時、軍人出身)はじめ25名の主要責任者が1948年11月に死刑(A級戦犯)或いは終身刑等として判決され、同年12月23日(現天皇誕生日、皇太子殿下当時)に処刑された。今回、講和条約の発行をもって日本の主権が回復したことを表明したことは、占領下で行われた東京裁判も押しつけであり、日本の意思ではないことを意味するのだろう。従って、大東亜戦争や太平洋戦争を主導した“A級戦犯”なども戦犯として処刑されるべきではなかったとの意見が出ることになろう。戦犯の復権であり、保守リビジョにスト(保守修正主義)の台頭となる。
 4月に麻生副首相兼財務相、古屋国家公安委員長兼拉致問題担当相他2閣僚が、また高市自民党政調会長など与党を中心とする168議員が、東郷英機などA級戦犯を多くの旧帝国軍人などと共に合祀している靖国神社を参拝した。国のために命を落とした方々の慰霊をお参りするのは当然のことであり、個人の自由というのが理由である。確かに個人として参拝するのは自由である。しかし靖国神社は、日本を戦争に導いた責任者(A級戦犯)が合祀されている。その上、戦争終盤には燃料不足のため片道だけの燃料を積んで米国艦船に突っ込んで行った戦闘機(通称神風特攻隊)などの武器が展示されてある戦争博物館(遊就館)があり、一般の神社とは異なるので、公人としての立場がある者が参拝することは、旧帝国軍隊による戦争やその責任者を容認、擁護するとの意味合いを持つので、私人の参拝とは異なる。韓国や中国が靖国参拝に反発しているのもそのような意味合いがあるからだろう。もっとも中、韓両国にも、信条、信仰の自由は民主主義社会では国際的に広く確立している基本的な自由であることを理解するよう期待したい。
 東京裁判の裁判官や検察官は連合国側から派遣されたものであり、裁判は公平ではなかったとして、東京裁判の判決を尊重しないとすると、太平洋戦争の責任は誰にあったのか。
 東京裁判を否定するのであれば、日本人自身が太平洋戦争の責任をきちんと総括し、判断を下すべきであろう。連合国が被った被害は東京裁判で裁かれたが、日本側にも大きな被害があった。日本人は、太平洋戦争において、この地域の戦地で兵士など約240万人死亡していると言われている。更に本土でも、沖縄では民間人を含め18万人前後、東京の空爆により10万人内外、そして広島、長崎の原爆による15万~20万人など、民間人を中心として約70万人が死亡したと言われ、東京や広島、長崎などを焦土とした。対外的な被害は被害として真摯に受け止めるべきであろうが、自国民にこれだけの被害を強いる結果となったので、このような惨劇を繰り返さないためにも責任を精査する必要があろう。
 また連合国側も、沖縄や東京等の多数の民間人や民間施設等に甚大な犠牲や被害を与えており、民間人(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、また広島、長崎両市への原爆という大量破壊兵器での大量殺戮(ジェノサイド)は戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否を問われても良いのであろう。それは今後の世界において、軍事戦略や戦術の論理だけでなく、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点からも考え、戦争法規のあり方や核兵器や化学兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止などを考える上でも必要であろう。
 歴史に“もし”ということはないのだが、戦後もし世界が広島、長崎の一般人、施設等の大量殺戮や大量破壊を原子爆弾による大量殺戮(ジェノサイド)として責任を問い、国際的な処罰をしていれば、現在の核兵器国の核保有や北朝鮮など一部諸国による核兵器開発などは禁止されていたのであろう。
 歴史は後ろには戻せないが、占領下の連合国による東京裁判や戦争犯罪人の処罰を否定するのであれば、戦勝国、敗戦国双方につき戦争の責任を問い直すことは出来るのであろう。
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シリーズ平成の本音―やはりおかしい、NHK新会長の発言! (その2)

2014-03-08 | Weblog
シリーズ平成の本音―やはりおかしい、NHK新会長の発言! (その2)
 NHKの籾井新会長の就任記者会見での従軍慰安婦問題等についての発言については、首相官邸は‘個人的見解であり、撤回しているから問題ではない’などとしているが、本当にそれで良いのだろうか。
1、公共放送の責任者としての資質が問われる籾井新会長    (その1で掲載)
2、公共放送としての必要性が疑問視される肥大化したNHK
NHKは、2014年度事業予算として約6,500億円を掲げ、国会の承認を求めている。受信料収入は6,200億円強となっている。民放最大の日本テレビと比較すると2倍の事業規模に肥大化している。
基本的に全ての受像機保持者から、NHKを見ても見なくても受信料を徴収することとなっているが、テレビが飛躍的に普及したため、受信料収入が飛躍的に増加し、肥大化して来たと言えよう。このような飛躍的な受信料の増加に基づき、NHKは、複数のチャンネル保有し、番組を大幅に拡大してきたが、公共放送として必要な番組、事業の範囲を越えて、娯楽番組等が増加している。民放でも出ている芸能タレントによるバラエテイ番組や歌謡番組などは、民放でも数多く行っており、また衛星放送を通じ見られるものも飛躍的に増加しているので、受信料を使用して放送する事業ではないであろう。その時間帯を一定の基準で民間に貸し出すか、スポンサーを募って放送することが望ましい。
BS放送についても、NHKは複数のチャンネルを保有しているが、ムダであると共に、BS放送料を別立てで取る必要はなさそうだ。余り見ることのないBS放送に、何故総合放送料に加えBS受信料を徴収するのであろうか。現在では、民間衛星放送の受信契約が一般化している。公共放送としては、報道番組等に限定し、公共放送事業としては、現在の3分の1程度の規模とし、それ以外は時間帯の貸出やスポンサーを募り放送すべき時期であろう。一定の公共放送は必要であるが、電波の無駄、電気のムダ、受信料のムダは解消すべきであろう。
国際放送についても、強化が謳われているが、2008年4月にNHKの子会社として株式会社日本国際放送が設立されており、民放各社等も出資しているので、民間企業としての事業モデルやビジネス・モデルを開発して行けば良いことであり、一般国民の視聴料を投入する必要はなさそうだ。
従ってNHKについては、公共放送事業としては現在の1/3程度に縮小すると共に、戸別の受信料徴収を止め、TV受信機の購入に際し少額の受信料を聴取する方式に転換して良いのであろう。これにより受信料徴収のための戸別訪問に要する580億円強が節約出来ることになる。また独居者を含め各世帯からの徴収率は80%前後で推移しておいるが、TV受信機の購入に際する支払方式に転換すれば徴収率も大幅に改善するであろう。
(2014.3.06.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―やはりおかしい、NHK新会長の発言! (その2)

2014-03-08 | Weblog
シリーズ平成の本音―やはりおかしい、NHK新会長の発言! (その2)
 NHKの籾井新会長の就任記者会見での従軍慰安婦問題等についての発言については、首相官邸は‘個人的見解であり、撤回しているから問題ではない’などとしているが、本当にそれで良いのだろうか。
1、公共放送の責任者としての資質が問われる籾井新会長    (その1で掲載)
2、公共放送としての必要性が疑問視される肥大化したNHK
NHKは、2014年度事業予算として約6,500億円を掲げ、国会の承認を求めている。受信料収入は6,200億円強となっている。民放最大の日本テレビと比較すると2倍の事業規模に肥大化している。
基本的に全ての受像機保持者から、NHKを見ても見なくても受信料を徴収することとなっているが、テレビが飛躍的に普及したため、受信料収入が飛躍的に増加し、肥大化して来たと言えよう。このような飛躍的な受信料の増加に基づき、NHKは、複数のチャンネル保有し、番組を大幅に拡大してきたが、公共放送として必要な番組、事業の範囲を越えて、娯楽番組等が増加している。民放でも出ている芸能タレントによるバラエテイ番組や歌謡番組などは、民放でも数多く行っており、また衛星放送を通じ見られるものも飛躍的に増加しているので、受信料を使用して放送する事業ではないであろう。その時間帯を一定の基準で民間に貸し出すか、スポンサーを募って放送することが望ましい。
BS放送についても、NHKは複数のチャンネルを保有しているが、ムダであると共に、BS放送料を別立てで取る必要はなさそうだ。余り見ることのないBS放送に、何故総合放送料に加えBS受信料を徴収するのであろうか。現在では、民間衛星放送の受信契約が一般化している。公共放送としては、報道番組等に限定し、公共放送事業としては、現在の3分の1程度の規模とし、それ以外は時間帯の貸出やスポンサーを募り放送すべき時期であろう。一定の公共放送は必要であるが、電波の無駄、電気のムダ、受信料のムダは解消すべきであろう。
国際放送についても、強化が謳われているが、2008年4月にNHKの子会社として株式会社日本国際放送が設立されており、民放各社等も出資しているので、民間企業としての事業モデルやビジネス・モデルを開発して行けば良いことであり、一般国民の視聴料を投入する必要はなさそうだ。
従ってNHKについては、公共放送事業としては現在の1/3程度に縮小すると共に、戸別の受信料徴収を止め、TV受信機の購入に際し少額の受信料を聴取する方式に転換して良いのであろう。これにより受信料徴収のための戸別訪問に要する580億円強が節約出来ることになる。また独居者を含め各世帯からの徴収率は80%前後で推移しておいるが、TV受信機の購入に際する支払方式に転換すれば徴収率も大幅に改善するであろう。
(2014.3.06.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―やはりおかしい、NHK新会長の発言! (その1)

2014-03-08 | Weblog
シリーズ平成の本音―やはりおかしい、NHK新会長の発言! (その1)
NHKの籾井新会長の就任記者会見での従軍慰安婦問題等についての発言については、首相官邸は‘個人的見解であり、撤回しているから問題ではない’などとしているが、本当にそれで良いのだろうか。
 1、公共放送の責任者としての資質が問われる籾井新会長
籾井NHK新会長は、1月の就任記者会見で記者の従軍慰安婦問題に関する質問に対し、‘会長という立場は別として’と前置きし、‘それは日本だけじゃないでしょう。他の諸国も同じでしょう’などとしてオランダの飾り窓(売春宿)を例として挙げた。また特定秘密保護法については、‘通っちゃたから仕方がない’とし、また‘政府が右と言っているのに、左とは言えないでしょう’などと述べた。
 これらの同会長の発言は、会長という立場を離れた個人の考えとして述べたもののようだが、「就任記者会見」の場での発言であるので、発言後撤回したと言えども、記録に残ると共に、報道を通じ籾井会長の信条や見解としてNHKの職員はじめ国民が知るところとなっている。従ってNHK職員としても、新会長の信条や考え方に反するような番組やプレゼンテーションは非常に難しくなろう。
 首相官邸側は、’個人的見解であり、既に発言を撤回している’とし、NHK番組については、’放送法に基づき公正公平、不偏不党で行われるべき’としているが、籾井会長の発言内容については問題視しておらず、容認しているものと理解される。籾井新会長は官邸側の意向で就任したので、そういうことなのであろう。だが’個人的見解’と言っても、籾井会長の信条や歴史観、即ち本音を述べたものであるので、放送方針や人事などの判断基準となるので、公共放送の会長としての根本的な資質が問われる。
 時の政府との関係においても、‘政府が右と言っているのに、左とは言えない’などとしているので、明らかに政権側に偏向している。これではNHKが政府広報放送になる恐れがある。建前上は放送法に従うとしても、本音は特定の考え方に偏っており、視聴者や国民には建前を言い、内部の放送事業等においては本音の信条や歴史観が反映されることになる。それでは視聴者や国民を騙すということに等しい。個人的な見解だから問題はないとは言えない。そのような見解が放送事業の判断基準になるからだ。2月に開催された経営委員会においても、籾井新会長は‘変な発言をしたのでしょうか’と発言し、世論に疑問を呈する発言をしているようだ。
 またNHKの所管官庁である総務省の新藤大臣は、安倍首相の靖国参拝問題が内外に波紋を投げかけていた1月に靖国神社を参拝している。だから籾井会長の発言も問題視しないのだろうが、NHKは国民から視聴料を取って運営されているので、時の政府の特定の見解が放送の判断基準となることは放送法の趣旨にも反すると言えよう。
 2、公共放送としての必要性が疑問視される肥大化したNHK (その2に掲載)
(2014.02.25.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―やはりおかしい、NHK新会長の発言! (その1)

2014-03-08 | Weblog
シリーズ平成の本音―やはりおかしい、NHK新会長の発言! (その1)
NHKの籾井新会長の就任記者会見での従軍慰安婦問題等についての発言については、首相官邸は‘個人的見解であり、撤回しているから問題ではない’などとしているが、本当にそれで良いのだろうか。
 1、公共放送の責任者としての資質が問われる籾井新会長
籾井NHK新会長は、1月の就任記者会見で記者の従軍慰安婦問題に関する質問に対し、‘会長という立場は別として’と前置きし、‘それは日本だけじゃないでしょう。他の諸国も同じでしょう’などとしてオランダの飾り窓(売春宿)を例として挙げた。また特定秘密保護法については、‘通っちゃたから仕方がない’とし、また‘政府が右と言っているのに、左とは言えないでしょう’などと述べた。
 これらの同会長の発言は、会長という立場を離れた個人の考えとして述べたもののようだが、「就任記者会見」の場での発言であるので、発言後撤回したと言えども、記録に残ると共に、報道を通じ籾井会長の信条や見解としてNHKの職員はじめ国民が知るところとなっている。従ってNHK職員としても、新会長の信条や考え方に反するような番組やプレゼンテーションは非常に難しくなろう。
 首相官邸側は、’個人的見解であり、既に発言を撤回している’とし、NHK番組については、’放送法に基づき公正公平、不偏不党で行われるべき’としているが、籾井会長の発言内容については問題視しておらず、容認しているものと理解される。籾井新会長は官邸側の意向で就任したので、そういうことなのであろう。だが’個人的見解’と言っても、籾井会長の信条や歴史観、即ち本音を述べたものであるので、放送方針や人事などの判断基準となるので、公共放送の会長としての根本的な資質が問われる。
 時の政府との関係においても、‘政府が右と言っているのに、左とは言えない’などとしているので、明らかに政権側に偏向している。これではNHKが政府広報放送になる恐れがある。建前上は放送法に従うとしても、本音は特定の考え方に偏っており、視聴者や国民には建前を言い、内部の放送事業等においては本音の信条や歴史観が反映されることになる。それでは視聴者や国民を騙すということに等しい。個人的な見解だから問題はないとは言えない。そのような見解が放送事業の判断基準になるからだ。2月に開催された経営委員会においても、籾井新会長は‘変な発言をしたのでしょうか’と発言し、世論に疑問を呈する発言をしているようだ。
 またNHKの所管官庁である総務省の新藤大臣は、安倍首相の靖国参拝問題が内外に波紋を投げかけていた1月に靖国神社を参拝している。だから籾井会長の発言も問題視しないのだろうが、NHKは国民から視聴料を取って運営されているので、時の政府の特定の見解が放送の判断基準となることは放送法の趣旨にも反すると言えよう。
 2、公共放送としての必要性が疑問視される肥大化したNHK (その2に掲載)
(2014.02.25.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)再掲

2014-03-08 | Weblog
シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)再掲
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか? (その1で掲載)
2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇
式典には天皇、皇后両陛下が出席された。内閣からの要請であるので出席されたのであろう。しかし、講和条約の下では奄美や小笠原と共に米国の施政権下に留まった沖縄県は、この日を“屈辱の日”とし、知事の出席は行わなかった。生活、共産、社民の3党とみどりの風も出席しなかった。沖縄や奄美では抗議集会が開催された。
 特に沖縄は、硫黄島を除き、唯一の本土決戦となったところであり、多くの一般人を含め、24万人とも言われる死者を出しているが、講和条約では米軍の施政下に置かれ、日本に返還された1972年5月15日までその状態が継続した。
 参加しなかったのはいずれも数の上では少数派であり、仕方がないと言えないこともないが、“国民統合の象徴”である天皇陛下が出席されたことは、これら少数派の意見を共有しないということであるので、“国民統合の象徴”としての役割に影を落とす形となった。
 式典の進行についても、両陛下を中央に戴き、両陛下に奏上するかのような形で行われた。天皇の機能を強化し、その下で政権の地位を固め、これに天皇が君臨するという戦前の政体を思い起こさせる。“国民統合の象徴”ではなく、特定の保守政党に支えられ、国民に君臨する天皇という印象を与えている。
それを国民が望むのであろうか。主権を回復し、占領時代以前の天皇制に戻るような憲法を作るのか。天皇制のあり方を考え直してみる機会なのかもしれない。

3、占領下の「東京裁判」も否定される!?  (その3に掲載)
 (2013.4.28.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)再掲

2014-03-08 | Weblog
シリーズ平成の本音―「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)再掲
 4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
 日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?
(その1で掲載)
2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇
式典には天皇、皇后両陛下が出席された。内閣からの要請であるので出席されたのであろう。しかし、講和条約の下では奄美や小笠原と共に米国の施政権下に留まった沖縄県は、この日を“屈辱の日”とし、知事の出席は行わなかった。生活、共産、社民の3党とみどりの風も出席しなかった。沖縄や奄美では抗議集会が開催された。
 特に沖縄は、硫黄島を除き、唯一の本土決戦となったところであり、多くの一般人を含め、24万人とも言われる死者を出しているが、講和条約では米軍の施政下に置かれ、日本に返還された1972年5月15日までその状態が継続した。
 参加しなかったのはいずれも数の上では少数派であり、仕方がないと言えないこともないが、“国民統合の象徴”である天皇陛下が出席されたことは、これら少数派の意見を共有しないということであるので、“国民統合の象徴”としての役割に影を落とす形となった。
 式典の進行についても、両陛下を中央に戴き、両陛下に奏上するかのような形で行われた。天皇の機能を強化し、その下で政権の地位を固め、これに天皇が君臨するという戦前の政体を思い起こさせる。“国民統合の象徴”ではなく、特定の保守政党に支えられ、国民に君臨する天皇という印象を与えている。
それを国民が望むのであろうか。主権を回復し、占領時代以前の天皇制に戻るような憲法を作るのか。天皇制のあり方を考え直してみる機会なのかもしれない。

3、占領下の「東京裁判」も否定される!?  (その3に掲載)
 (2013.4.28.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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