シリーズ平成の本音―専横化する自・公政権に国の将来を任せられるのか?
6月25日、自民党の新保守主義系の中堅・若手議員などによる「文化芸術懇話会」の‘勉強会’が行われ、参加議員やゲストの作家百田尚樹氏の発言が報道の自由等を抑制するような発言として、新聞、テレビだけでなく、与野党の議員、有識者から批判されていることは広く知られている。
発言の中には、‘マスコミを懲らしめるために広告収入をなくす’とか‘沖縄の考え方はおかしい、言うべきことは言うべし’などがあったと伝えられている。更にゲストの百田氏は、‘沖縄の2紙は潰さなくてはいけない’との趣旨を述べたとされ、マスコミ界からは主として報道威圧、報道抑制として批判されている。
この「懇話会」には、首相に近い議員を含め30数名参加したと伝えられているが、9月の自民党総裁選を前にして、集団的自衛権問題を含め、‘安倍応援団’とも見られている。他方、ハト派議員で構成する「‘分厚い保守政治’を目指す若手議員の会」は、講師予定者が安保法制に批判的と分かり、それでなくても党内、マスコミ保守層から問題視されていたことから勉強会を中止したと言われている。
この問題は、マスコミにより報道威圧、報道抑制として批判されているが、報道の自由以上に、自由で民主的な民主主義の将来にとって基本的な問題であり、同党がそれに逆行し、より専横化する深刻な側面を持っていることではないだろうか。連合国占領下の憲法や諸制度、即ち‘戦後レジーム’から脱却し、戦前の専制国家主義的な国家へ戻すという新保守主義の思想や価値観、理念が背後に見て取れる。「文化芸術懇話会」として一見柔らかい印象を与えているが、そこには文化芸術面でも価値観や理念を復古主義的な方向に変えるという意図があるのだろう。正に新保守修正主義と言える。現政権の基本目標である‘戦後レジーム’からの脱却は、戦前レジームへの復帰を意味する。「懇話会」の代表であった同党青年局長が更迭され、3議員に厳重注意の措置が取られ、首相が党総裁として国会で詫びているが、根底は変わらないであろう。
‘マスコミを懲らしめる’とか‘沖縄の考え方はおかしい’などと言うこと自体は、言論は自由であり、マスコミの論調が商業化、保守化する中で常に正しいとも言えないので、批判することはあっても良いところであろう。しかし公務に携わる国会議員の発言としては穏当を欠く上、このような意見が次々と出されるということは、マスコミや国民の言うことに耳を貸さない専横的、独善的な色彩が強いということを意味している。
2014年11月、12月の沖縄県の知事選や衆院選挙の4つの1人区、及び名護市長選等では、自・公両党はいずれも敗北し、米海兵隊基地の辺野古移設に反対する翁長候補が当選している。仲井間前知事については、安倍政権側が年間3,000億円の助成(5年間)を約束したのを受けて、辺野古移設に賛成して再選に臨んだが落選した。沖縄ではどの選挙でも自・公両党は負けている。それが県民の民意であるので、‘それがおかしい’、‘2紙を潰す’などと言うのは自民党自体が変で、民意を聞かない専横的姿勢と映る。中央政府が地方の有権者が示した民意を尊重しないのでは、地方自治などは空口上でしかない。
将来を担うであろう自民党の中堅・若手議員がこのような専横的、独善的考え方であることは非常に残念であり、このような議員を抱える自民党に、安全保障を含め、将来の日本を託すことは難しいところがある。
有権者の1票の格差問題でも、最高裁が選挙のある毎に、衆参両院とも“違憲状態”とし、2012年12月の衆院総選挙では下級審で“違憲”とされているにも拘わらず、長期に耐える抜本的な是正を怠り、有権者の基本的な権利や司法を軽視して来ている。それは憲法軽視でもある。“違憲状態”であって“違憲”ではないとするような司法軽視の身勝手な解釈は許されない。“違憲”は“違憲”であり、その状態が継続しているからこそ司法は是正を勧告している。有権者の1票の重みは、数値化されるので、国民の平等性を最も分かり易く示す指標と言えよう。有権者の1票の重みが1対1に近く(少なくても1対1.3以内)に是正されなければ、その他の分野を含め、平等が確保されているなどとは言えない。長い間憲法違反の歪んだ選挙制度が継続していることにより、与野党を問わず、国会に送られてはならない議員が存在することが、このような発言をする議員が出る土壌を作っているとも言えそうだ。自民党は、関係議員を厳重注意し、若手議員のテレビ出演を禁じる措置を取ったが、国民に説明責任を果たせないような議員が存在することを示している。
また現在国会で審議されている‘存立危機’などに対応するための安保法制でも、確かに東アジア、特に極東の情勢は悪化しているが、その大きな原因を作っているのは自・公政権自身である上、‘集団的自衛権’の行使については、自民党が推薦した憲法学者を含め、大層の憲法学者が‘憲法違反’としているにも拘わらず、多数を利して押し切ろうとしている。
自・公政権は、憲法を軽視し、司法をも軽視している。もっとも司法が行政や立法に対し独立の役割を十分に果たしていないことにも問題があろうが、憲法や司法を軽視する政権に日本の将来を託すことは難しい。今回の同党議員の発言はそのような同党の姿勢、理念の中から出てきているものであろう。(2015.7.2.)(All Rights Reserved.)
6月25日、自民党の新保守主義系の中堅・若手議員などによる「文化芸術懇話会」の‘勉強会’が行われ、参加議員やゲストの作家百田尚樹氏の発言が報道の自由等を抑制するような発言として、新聞、テレビだけでなく、与野党の議員、有識者から批判されていることは広く知られている。
発言の中には、‘マスコミを懲らしめるために広告収入をなくす’とか‘沖縄の考え方はおかしい、言うべきことは言うべし’などがあったと伝えられている。更にゲストの百田氏は、‘沖縄の2紙は潰さなくてはいけない’との趣旨を述べたとされ、マスコミ界からは主として報道威圧、報道抑制として批判されている。
この「懇話会」には、首相に近い議員を含め30数名参加したと伝えられているが、9月の自民党総裁選を前にして、集団的自衛権問題を含め、‘安倍応援団’とも見られている。他方、ハト派議員で構成する「‘分厚い保守政治’を目指す若手議員の会」は、講師予定者が安保法制に批判的と分かり、それでなくても党内、マスコミ保守層から問題視されていたことから勉強会を中止したと言われている。
この問題は、マスコミにより報道威圧、報道抑制として批判されているが、報道の自由以上に、自由で民主的な民主主義の将来にとって基本的な問題であり、同党がそれに逆行し、より専横化する深刻な側面を持っていることではないだろうか。連合国占領下の憲法や諸制度、即ち‘戦後レジーム’から脱却し、戦前の専制国家主義的な国家へ戻すという新保守主義の思想や価値観、理念が背後に見て取れる。「文化芸術懇話会」として一見柔らかい印象を与えているが、そこには文化芸術面でも価値観や理念を復古主義的な方向に変えるという意図があるのだろう。正に新保守修正主義と言える。現政権の基本目標である‘戦後レジーム’からの脱却は、戦前レジームへの復帰を意味する。「懇話会」の代表であった同党青年局長が更迭され、3議員に厳重注意の措置が取られ、首相が党総裁として国会で詫びているが、根底は変わらないであろう。
‘マスコミを懲らしめる’とか‘沖縄の考え方はおかしい’などと言うこと自体は、言論は自由であり、マスコミの論調が商業化、保守化する中で常に正しいとも言えないので、批判することはあっても良いところであろう。しかし公務に携わる国会議員の発言としては穏当を欠く上、このような意見が次々と出されるということは、マスコミや国民の言うことに耳を貸さない専横的、独善的な色彩が強いということを意味している。
2014年11月、12月の沖縄県の知事選や衆院選挙の4つの1人区、及び名護市長選等では、自・公両党はいずれも敗北し、米海兵隊基地の辺野古移設に反対する翁長候補が当選している。仲井間前知事については、安倍政権側が年間3,000億円の助成(5年間)を約束したのを受けて、辺野古移設に賛成して再選に臨んだが落選した。沖縄ではどの選挙でも自・公両党は負けている。それが県民の民意であるので、‘それがおかしい’、‘2紙を潰す’などと言うのは自民党自体が変で、民意を聞かない専横的姿勢と映る。中央政府が地方の有権者が示した民意を尊重しないのでは、地方自治などは空口上でしかない。
将来を担うであろう自民党の中堅・若手議員がこのような専横的、独善的考え方であることは非常に残念であり、このような議員を抱える自民党に、安全保障を含め、将来の日本を託すことは難しいところがある。
有権者の1票の格差問題でも、最高裁が選挙のある毎に、衆参両院とも“違憲状態”とし、2012年12月の衆院総選挙では下級審で“違憲”とされているにも拘わらず、長期に耐える抜本的な是正を怠り、有権者の基本的な権利や司法を軽視して来ている。それは憲法軽視でもある。“違憲状態”であって“違憲”ではないとするような司法軽視の身勝手な解釈は許されない。“違憲”は“違憲”であり、その状態が継続しているからこそ司法は是正を勧告している。有権者の1票の重みは、数値化されるので、国民の平等性を最も分かり易く示す指標と言えよう。有権者の1票の重みが1対1に近く(少なくても1対1.3以内)に是正されなければ、その他の分野を含め、平等が確保されているなどとは言えない。長い間憲法違反の歪んだ選挙制度が継続していることにより、与野党を問わず、国会に送られてはならない議員が存在することが、このような発言をする議員が出る土壌を作っているとも言えそうだ。自民党は、関係議員を厳重注意し、若手議員のテレビ出演を禁じる措置を取ったが、国民に説明責任を果たせないような議員が存在することを示している。
また現在国会で審議されている‘存立危機’などに対応するための安保法制でも、確かに東アジア、特に極東の情勢は悪化しているが、その大きな原因を作っているのは自・公政権自身である上、‘集団的自衛権’の行使については、自民党が推薦した憲法学者を含め、大層の憲法学者が‘憲法違反’としているにも拘わらず、多数を利して押し切ろうとしている。
自・公政権は、憲法を軽視し、司法をも軽視している。もっとも司法が行政や立法に対し独立の役割を十分に果たしていないことにも問題があろうが、憲法や司法を軽視する政権に日本の将来を託すことは難しい。今回の同党議員の発言はそのような同党の姿勢、理念の中から出てきているものであろう。(2015.7.2.)(All Rights Reserved.)