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シリーズ平成の本音―オリンピック新国立競技場、お手盛りの無責任な浪費!

2015-07-23 | Weblog
シリーズ平成の本音―オリンピック新国立競技場、お手盛りの無責任な浪費!
7月7日、東京オリンピック2020の目玉となる新国立競技場の建設について、事業主体となる日本スポーツ振興センターは、有識者会合を開き、世論の反対や批判をよそに、キールアーチ式の巨大競技場を前提として、総工費を2,520億円とし、2019年5月の完成とすることで了承した。
 しかしオリンピックまでに開閉式屋根は間に合わない上、完成をオリンピックの前年の2019年5月とすることは、設計仕様の重要な部分を満たさず、またオリンピックの1年前に完成させる必要は何処にあるのか。
 要するに、オリンピック組織委の会長が森喜朗会元首相で、5期にわたって日本ラグビー協会の会長を務めてきているが、オリンピックの1年前の2019年にラグビー世界大会が日本で開催されることから、森会長が2019年5月完成に固執しているからに過ぎない。同氏は、6月でラグビー協会会長を辞任するとしているようだが、関与するとしている。
 もし新国立競技場が2019年5月完成するとしても、オリンピックのために建設される国立競技場を1スポーツでしかないラグビーのために使用させて良いのか。新国立競技場のこけら落としは、2020年東京オリンピックとすべきであろう。それが新競技場を作るそもそもの説明であり、その前に使用することは身勝手すぎる。ラグビー・ワールドカップは、各地のドームやラグビー場等で十分開催出来る。
 そのために、オリンピックまでに開閉式屋根の建設も間に合わず、設計からかけ離れた中途半端な建造物となる。その上、開閉式屋根は別であるので、総工費は実質3,000億円から3,500億円程度に膨らむことは確実で、費用面でも国民を騙している。著しくフェアーではない。レッドカードものだ。オリンピックには必要のないキールアーチ式開閉式屋根の競技場を建設する必要はあるのか。
 オリンピック組織委の会長は森元首相、事務局長は財務省の元事務次官であり、事業主体となる日本スポーツ振興センターは文科省などの官僚天下りポストとなる独立行政法人であるので、文部科学省や財務省に顔が利く。7日の有識者会合でも、主要委員は、予算は政府(文科省)が決めることと他人事のようなことを言っている。建設業界にダブダブと税金をつぎ込むお手盛り予算には慣れているのだろう。国民をしゃぶり尽すつもりなのだろうか。文部科学大臣や財務大臣の責任が問われる。また有識者会合と言われているが、これだけ問題が指摘されている浪費を承認する有識者とは一体何なのだろうか。スポーツのことしか分からない集団なのだろうか。どうせ国民の税金だから構わないとでも言うのだろうが、無責任過ぎる。
 総工費2,520億円、実体的には3,000億円超と言えば、現在EUと世界経済を揺るがしているギリシャの6月末での債務不履行・延滞額約2,100億円相当を大幅に上回る額だ。そもそも2004年8月のアテネ・オリンピックにおける採算を度返しした豊満な支出が今日のギリシャの債務超過、財政破たんの大きな原因の一つとなっている。
国民に2重にも3重にも税負担や福祉減額を強いる一方、議員報酬や公務員給与は事実上の引き上げ、削減も検討しない上、新国立競技場などにダブダブと浪費を続けるのは、極楽トンボどころか、国民窮乏化政策と言えないだろうか。負担は若い世代と定年後の年長者に最も強く課されることになりそうだ。
少子高齢化、人口減を考慮すると、将来の膨大な管理費を含め国民、都民の負担になることは目に見えている。このような時代に新たなガラパゴス施設を作ることは不適切だ。このような身勝手なお手盛りの浪費を許して良いのであろうか。(2015.7.8.)
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シリーズ平成の本音―オリンピック新国立競技場、お手盛りの無責任な浪費!

2015-07-23 | Weblog
シリーズ平成の本音―オリンピック新国立競技場、お手盛りの無責任な浪費!
7月7日、東京オリンピック2020の目玉となる新国立競技場の建設について、事業主体となる日本スポーツ振興センターは、有識者会合を開き、世論の反対や批判をよそに、キールアーチ式の巨大競技場を前提として、総工費を2,520億円とし、2019年5月の完成とすることで了承した。
 しかしオリンピックまでに開閉式屋根は間に合わない上、完成をオリンピックの前年の2019年5月とすることは、設計仕様の重要な部分を満たさず、またオリンピックの1年前に完成させる必要は何処にあるのか。
 要するに、オリンピック組織委の会長が森喜朗会元首相で、5期にわたって日本ラグビー協会の会長を務めてきているが、オリンピックの1年前の2019年にラグビー世界大会が日本で開催されることから、森会長が2019年5月完成に固執しているからに過ぎない。同氏は、6月でラグビー協会会長を辞任するとしているようだが、関与するとしている。
 もし新国立競技場が2019年5月完成するとしても、オリンピックのために建設される国立競技場を1スポーツでしかないラグビーのために使用させて良いのか。新国立競技場のこけら落としは、2020年東京オリンピックとすべきであろう。それが新競技場を作るそもそもの説明であり、その前に使用することは身勝手すぎる。ラグビー・ワールドカップは、各地のドームやラグビー場等で十分開催出来る。
 そのために、オリンピックまでに開閉式屋根の建設も間に合わず、設計からかけ離れた中途半端な建造物となる。その上、開閉式屋根は別であるので、総工費は実質3,000億円から3,500億円程度に膨らむことは確実で、費用面でも国民を騙している。著しくフェアーではない。レッドカードものだ。オリンピックには必要のないキールアーチ式開閉式屋根の競技場を建設する必要はあるのか。
 オリンピック組織委の会長は森元首相、事務局長は財務省の元事務次官であり、事業主体となる日本スポーツ振興センターは文科省などの官僚天下りポストとなる独立行政法人であるので、文部科学省や財務省に顔が利く。7日の有識者会合でも、主要委員は、予算は政府(文科省)が決めることと他人事のようなことを言っている。建設業界にダブダブと税金をつぎ込むお手盛り予算には慣れているのだろう。国民をしゃぶり尽すつもりなのだろうか。文部科学大臣や財務大臣の責任が問われる。また有識者会合と言われているが、これだけ問題が指摘されている浪費を承認する有識者とは一体何なのだろうか。スポーツのことしか分からない集団なのだろうか。どうせ国民の税金だから構わないとでも言うのだろうが、無責任過ぎる。
 総工費2,520億円、実体的には3,000億円超と言えば、現在EUと世界経済を揺るがしているギリシャの6月末での債務不履行・延滞額約2,100億円相当を大幅に上回る額だ。そもそも2004年8月のアテネ・オリンピックにおける採算を度返しした豊満な支出が今日のギリシャの債務超過、財政破たんの大きな原因の一つとなっている。
国民に2重にも3重にも税負担や福祉減額を強いる一方、議員報酬や公務員給与は事実上の引き上げ、削減も検討しない上、新国立競技場などにダブダブと浪費を続けるのは、極楽トンボどころか、国民窮乏化政策と言えないだろうか。負担は若い世代と定年後の年長者に最も強く課されることになりそうだ。
少子高齢化、人口減を考慮すると、将来の膨大な管理費を含め国民、都民の負担になることは目に見えている。このような時代に新たなガラパゴス施設を作ることは不適切だ。このような身勝手なお手盛りの浪費を許して良いのであろうか。(2015.7.8.)
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シリーズ平成の本音―オリンピック新国立競技場、お手盛りの無責任な浪費!

2015-07-23 | Weblog
シリーズ平成の本音―オリンピック新国立競技場、お手盛りの無責任な浪費!
7月7日、東京オリンピック2020の目玉となる新国立競技場の建設について、事業主体となる日本スポーツ振興センターは、有識者会合を開き、世論の反対や批判をよそに、キールアーチ式の巨大競技場を前提として、総工費を2,520億円とし、2019年5月の完成とすることで了承した。
 しかしオリンピックまでに開閉式屋根は間に合わない上、完成をオリンピックの前年の2019年5月とすることは、設計仕様の重要な部分を満たさず、またオリンピックの1年前に完成させる必要は何処にあるのか。
 要するに、オリンピック組織委の会長が森喜朗会元首相で、5期にわたって日本ラグビー協会の会長を務めてきているが、オリンピックの1年前の2019年にラグビー世界大会が日本で開催されることから、森会長が2019年5月完成に固執しているからに過ぎない。同氏は、6月でラグビー協会会長を辞任するとしているようだが、関与するとしている。
 もし新国立競技場が2019年5月完成するとしても、オリンピックのために建設される国立競技場を1スポーツでしかないラグビーのために使用させて良いのか。新国立競技場のこけら落としは、2020年東京オリンピックとすべきであろう。それが新競技場を作るそもそもの説明であり、その前に使用することは身勝手すぎる。ラグビー・ワールドカップは、各地のドームやラグビー場等で十分開催出来る。
 そのために、オリンピックまでに開閉式屋根の建設も間に合わず、設計からかけ離れた中途半端な建造物となる。その上、開閉式屋根は別であるので、総工費は実質3,000億円から3,500億円程度に膨らむことは確実で、費用面でも国民を騙している。著しくフェアーではない。レッドカードものだ。オリンピックには必要のないキールアーチ式開閉式屋根の競技場を建設する必要はあるのか。
 オリンピック組織委の会長は森元首相、事務局長は財務省の元事務次官であり、事業主体となる日本スポーツ振興センターは文科省などの官僚天下りポストとなる独立行政法人であるので、文部科学省や財務省に顔が利く。7日の有識者会合でも、主要委員は、予算は政府(文科省)が決めることと他人事のようなことを言っている。建設業界にダブダブと税金をつぎ込むお手盛り予算には慣れているのだろう。国民をしゃぶり尽すつもりなのだろうか。文部科学大臣や財務大臣の責任が問われる。また有識者会合と言われているが、これだけ問題が指摘されている浪費を承認する有識者とは一体何なのだろうか。スポーツのことしか分からない集団なのだろうか。どうせ国民の税金だから構わないとでも言うのだろうが、無責任過ぎる。
 総工費2,520億円、実体的には3,000億円超と言えば、現在EUと世界経済を揺るがしているギリシャの6月末での債務不履行・延滞額約2,100億円相当を大幅に上回る額だ。そもそも2004年8月のアテネ・オリンピックにおける採算を度返しした豊満な支出が今日のギリシャの債務超過、財政破たんの大きな原因の一つとなっている。
国民に2重にも3重にも税負担や福祉減額を強いる一方、議員報酬や公務員給与は事実上の引き上げ、削減も検討しない上、新国立競技場などにダブダブと浪費を続けるのは、極楽トンボどころか、国民窮乏化政策と言えないだろうか。負担は若い世代と定年後の年長者に最も強く課されることになりそうだ。
少子高齢化、人口減を考慮すると、将来の膨大な管理費を含め国民、都民の負担になることは目に見えている。このような時代に新たなガラパゴス施設を作ることは不適切だ。このような身勝手なお手盛りの浪費を許して良いのであろうか。(2015.7.8.)
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シリーズ平成の本音―専横化する自・公政権に国の将来を任せられるのか?

2015-07-23 | Weblog
シリーズ平成の本音―専横化する自・公政権に国の将来を任せられるのか?
 6月25日、自民党の新保守主義系の中堅・若手議員などによる「文化芸術懇話会」の‘勉強会’が行われ、参加議員やゲストの作家百田尚樹氏の発言が報道の自由等を抑制するような発言として、新聞、テレビだけでなく、与野党の議員、有識者から批判されていることは広く知られている。
 発言の中には、‘マスコミを懲らしめるために広告収入をなくす’とか‘沖縄の考え方はおかしい、言うべきことは言うべし’などがあったと伝えられている。更にゲストの百田氏は、‘沖縄の2紙は潰さなくてはいけない’との趣旨を述べたとされ、マスコミ界からは主として報道威圧、報道抑制として批判されている。
 この「懇話会」には、首相に近い議員を含め30数名参加したと伝えられているが、9月の自民党総裁選を前にして、集団的自衛権問題を含め、‘安倍応援団’とも見られている。他方、ハト派議員で構成する「‘分厚い保守政治’を目指す若手議員の会」は、講師予定者が安保法制に批判的と分かり、それでなくても党内、マスコミ保守層から問題視されていたことから勉強会を中止したと言われている。
 この問題は、マスコミにより報道威圧、報道抑制として批判されているが、報道の自由以上に、自由で民主的な民主主義の将来にとって基本的な問題であり、同党がそれに逆行し、より専横化する深刻な側面を持っていることではないだろうか。連合国占領下の憲法や諸制度、即ち‘戦後レジーム’から脱却し、戦前の専制国家主義的な国家へ戻すという新保守主義の思想や価値観、理念が背後に見て取れる。「文化芸術懇話会」として一見柔らかい印象を与えているが、そこには文化芸術面でも価値観や理念を復古主義的な方向に変えるという意図があるのだろう。正に新保守修正主義と言える。現政権の基本目標である‘戦後レジーム’からの脱却は、戦前レジームへの復帰を意味する。「懇話会」の代表であった同党青年局長が更迭され、3議員に厳重注意の措置が取られ、首相が党総裁として国会で詫びているが、根底は変わらないであろう。
 ‘マスコミを懲らしめる’とか‘沖縄の考え方はおかしい’などと言うこと自体は、言論は自由であり、マスコミの論調が商業化、保守化する中で常に正しいとも言えないので、批判することはあっても良いところであろう。しかし公務に携わる国会議員の発言としては穏当を欠く上、このような意見が次々と出されるということは、マスコミや国民の言うことに耳を貸さない専横的、独善的な色彩が強いということを意味している。
2014年11月、12月の沖縄県の知事選や衆院選挙の4つの1人区、及び名護市長選等では、自・公両党はいずれも敗北し、米海兵隊基地の辺野古移設に反対する翁長候補が当選している。仲井間前知事については、安倍政権側が年間3,000億円の助成(5年間)を約束したのを受けて、辺野古移設に賛成して再選に臨んだが落選した。沖縄ではどの選挙でも自・公両党は負けている。それが県民の民意であるので、‘それがおかしい’、‘2紙を潰す’などと言うのは自民党自体が変で、民意を聞かない専横的姿勢と映る。中央政府が地方の有権者が示した民意を尊重しないのでは、地方自治などは空口上でしかない。
将来を担うであろう自民党の中堅・若手議員がこのような専横的、独善的考え方であることは非常に残念であり、このような議員を抱える自民党に、安全保障を含め、将来の日本を託すことは難しいところがある。
有権者の1票の格差問題でも、最高裁が選挙のある毎に、衆参両院とも“違憲状態”とし、2012年12月の衆院総選挙では下級審で“違憲”とされているにも拘わらず、長期に耐える抜本的な是正を怠り、有権者の基本的な権利や司法を軽視して来ている。それは憲法軽視でもある。“違憲状態”であって“違憲”ではないとするような司法軽視の身勝手な解釈は許されない。“違憲”は“違憲”であり、その状態が継続しているからこそ司法は是正を勧告している。有権者の1票の重みは、数値化されるので、国民の平等性を最も分かり易く示す指標と言えよう。有権者の1票の重みが1対1に近く(少なくても1対1.3以内)に是正されなければ、その他の分野を含め、平等が確保されているなどとは言えない。長い間憲法違反の歪んだ選挙制度が継続していることにより、与野党を問わず、国会に送られてはならない議員が存在することが、このような発言をする議員が出る土壌を作っているとも言えそうだ。自民党は、関係議員を厳重注意し、若手議員のテレビ出演を禁じる措置を取ったが、国民に説明責任を果たせないような議員が存在することを示している。
また現在国会で審議されている‘存立危機’などに対応するための安保法制でも、確かに東アジア、特に極東の情勢は悪化しているが、その大きな原因を作っているのは自・公政権自身である上、‘集団的自衛権’の行使については、自民党が推薦した憲法学者を含め、大層の憲法学者が‘憲法違反’としているにも拘わらず、多数を利して押し切ろうとしている。
自・公政権は、憲法を軽視し、司法をも軽視している。もっとも司法が行政や立法に対し独立の役割を十分に果たしていないことにも問題があろうが、憲法や司法を軽視する政権に日本の将来を託すことは難しい。今回の同党議員の発言はそのような同党の姿勢、理念の中から出てきているものであろう。(2015.7.2.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―専横化する自・公政権に国の将来を任せられるのか?

2015-07-23 | Weblog
シリーズ平成の本音―専横化する自・公政権に国の将来を任せられるのか?
 6月25日、自民党の新保守主義系の中堅・若手議員などによる「文化芸術懇話会」の‘勉強会’が行われ、参加議員やゲストの作家百田尚樹氏の発言が報道の自由等を抑制するような発言として、新聞、テレビだけでなく、与野党の議員、有識者から批判されていることは広く知られている。
 発言の中には、‘マスコミを懲らしめるために広告収入をなくす’とか‘沖縄の考え方はおかしい、言うべきことは言うべし’などがあったと伝えられている。更にゲストの百田氏は、‘沖縄の2紙は潰さなくてはいけない’との趣旨を述べたとされ、マスコミ界からは主として報道威圧、報道抑制として批判されている。
 この「懇話会」には、首相に近い議員を含め30数名参加したと伝えられているが、9月の自民党総裁選を前にして、集団的自衛権問題を含め、‘安倍応援団’とも見られている。他方、ハト派議員で構成する「‘分厚い保守政治’を目指す若手議員の会」は、講師予定者が安保法制に批判的と分かり、それでなくても党内、マスコミ保守層から問題視されていたことから勉強会を中止したと言われている。
 この問題は、マスコミにより報道威圧、報道抑制として批判されているが、報道の自由以上に、自由で民主的な民主主義の将来にとって基本的な問題であり、同党がそれに逆行し、より専横化する深刻な側面を持っていることではないだろうか。連合国占領下の憲法や諸制度、即ち‘戦後レジーム’から脱却し、戦前の専制国家主義的な国家へ戻すという新保守主義の思想や価値観、理念が背後に見て取れる。「文化芸術懇話会」として一見柔らかい印象を与えているが、そこには文化芸術面でも価値観や理念を復古主義的な方向に変えるという意図があるのだろう。正に新保守修正主義と言える。現政権の基本目標である‘戦後レジーム’からの脱却は、戦前レジームへの復帰を意味する。「懇話会」の代表であった同党青年局長が更迭され、3議員に厳重注意の措置が取られ、首相が党総裁として国会で詫びているが、根底は変わらないであろう。
 ‘マスコミを懲らしめる’とか‘沖縄の考え方はおかしい’などと言うこと自体は、言論は自由であり、マスコミの論調が商業化、保守化する中で常に正しいとも言えないので、批判することはあっても良いところであろう。しかし公務に携わる国会議員の発言としては穏当を欠く上、このような意見が次々と出されるということは、マスコミや国民の言うことに耳を貸さない専横的、独善的な色彩が強いということを意味している。
2014年11月、12月の沖縄県の知事選や衆院選挙の4つの1人区、及び名護市長選等では、自・公両党はいずれも敗北し、米海兵隊基地の辺野古移設に反対する翁長候補が当選している。仲井間前知事については、安倍政権側が年間3,000億円の助成(5年間)を約束したのを受けて、辺野古移設に賛成して再選に臨んだが落選した。沖縄ではどの選挙でも自・公両党は負けている。それが県民の民意であるので、‘それがおかしい’、‘2紙を潰す’などと言うのは自民党自体が変で、民意を聞かない専横的姿勢と映る。中央政府が地方の有権者が示した民意を尊重しないのでは、地方自治などは空口上でしかない。
将来を担うであろう自民党の中堅・若手議員がこのような専横的、独善的考え方であることは非常に残念であり、このような議員を抱える自民党に、安全保障を含め、将来の日本を託すことは難しいところがある。
有権者の1票の格差問題でも、最高裁が選挙のある毎に、衆参両院とも“違憲状態”とし、2012年12月の衆院総選挙では下級審で“違憲”とされているにも拘わらず、長期に耐える抜本的な是正を怠り、有権者の基本的な権利や司法を軽視して来ている。それは憲法軽視でもある。“違憲状態”であって“違憲”ではないとするような司法軽視の身勝手な解釈は許されない。“違憲”は“違憲”であり、その状態が継続しているからこそ司法は是正を勧告している。有権者の1票の重みは、数値化されるので、国民の平等性を最も分かり易く示す指標と言えよう。有権者の1票の重みが1対1に近く(少なくても1対1.3以内)に是正されなければ、その他の分野を含め、平等が確保されているなどとは言えない。長い間憲法違反の歪んだ選挙制度が継続していることにより、与野党を問わず、国会に送られてはならない議員が存在することが、このような発言をする議員が出る土壌を作っているとも言えそうだ。自民党は、関係議員を厳重注意し、若手議員のテレビ出演を禁じる措置を取ったが、国民に説明責任を果たせないような議員が存在することを示している。
また現在国会で審議されている‘存立危機’などに対応するための安保法制でも、確かに東アジア、特に極東の情勢は悪化しているが、その大きな原因を作っているのは自・公政権自身である上、‘集団的自衛権’の行使については、自民党が推薦した憲法学者を含め、大層の憲法学者が‘憲法違反’としているにも拘わらず、多数を利して押し切ろうとしている。
自・公政権は、憲法を軽視し、司法をも軽視している。もっとも司法が行政や立法に対し独立の役割を十分に果たしていないことにも問題があろうが、憲法や司法を軽視する政権に日本の将来を託すことは難しい。今回の同党議員の発言はそのような同党の姿勢、理念の中から出てきているものであろう。(2015.7.2.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―専横化する自・公政権に国の将来を任せられるのか?
 6月25日、自民党の新保守主義系の中堅・若手議員などによる「文化芸術懇話会」の‘勉強会’が行われ、参加議員やゲストの作家百田尚樹氏の発言が報道の自由等を抑制するような発言として、新聞、テレビだけでなく、与野党の議員、有識者から批判されていることは広く知られている。
 発言の中には、‘マスコミを懲らしめるために広告収入をなくす’とか‘沖縄の考え方はおかしい、言うべきことは言うべし’などがあったと伝えられている。更にゲストの百田氏は、‘沖縄の2紙は潰さなくてはいけない’との趣旨を述べたとされ、マスコミ界からは主として報道威圧、報道抑制として批判されている。
 この「懇話会」には、首相に近い議員を含め30数名参加したと伝えられているが、9月の自民党総裁選を前にして、集団的自衛権問題を含め、‘安倍応援団’とも見られている。他方、ハト派議員で構成する「‘分厚い保守政治’を目指す若手議員の会」は、講師予定者が安保法制に批判的と分かり、それでなくても党内、マスコミ保守層から問題視されていたことから勉強会を中止したと言われている。
 この問題は、マスコミにより報道威圧、報道抑制として批判されているが、報道の自由以上に、自由で民主的な民主主義の将来にとって基本的な問題であり、同党がそれに逆行し、より専横化する深刻な側面を持っていることではないだろうか。連合国占領下の憲法や諸制度、即ち‘戦後レジーム’から脱却し、戦前の専制国家主義的な国家へ戻すという新保守主義の思想や価値観、理念が背後に見て取れる。「文化芸術懇話会」として一見柔らかい印象を与えているが、そこには文化芸術面でも価値観や理念を復古主義的な方向に変えるという意図があるのだろう。正に新保守修正主義と言える。現政権の基本目標である‘戦後レジーム’からの脱却は、戦前レジームへの復帰を意味する。「懇話会」の代表であった同党青年局長が更迭され、3議員に厳重注意の措置が取られ、首相が党総裁として国会で詫びているが、根底は変わらないであろう。
 ‘マスコミを懲らしめる’とか‘沖縄の考え方はおかしい’などと言うこと自体は、言論は自由であり、マスコミの論調が商業化、保守化する中で常に正しいとも言えないので、批判することはあっても良いところであろう。しかし公務に携わる国会議員の発言としては穏当を欠く上、このような意見が次々と出されるということは、マスコミや国民の言うことに耳を貸さない専横的、独善的な色彩が強いということを意味している。
2014年11月、12月の沖縄県の知事選や衆院選挙の4つの1人区、及び名護市長選等では、自・公両党はいずれも敗北し、米海兵隊基地の辺野古移設に反対する翁長候補が当選している。仲井間前知事については、安倍政権側が年間3,000億円の助成(5年間)を約束したのを受けて、辺野古移設に賛成して再選に臨んだが落選した。沖縄ではどの選挙でも自・公両党は負けている。それが県民の民意であるので、‘それがおかしい’、‘2紙を潰す’などと言うのは自民党自体が変で、民意を聞かない専横的姿勢と映る。中央政府が地方の有権者が示した民意を尊重しないのでは、地方自治などは空口上でしかない。
将来を担うであろう自民党の中堅・若手議員がこのような専横的、独善的考え方であることは非常に残念であり、このような議員を抱える自民党に、安全保障を含め、将来の日本を託すことは難しいところがある。
有権者の1票の格差問題でも、最高裁が選挙のある毎に、衆参両院とも“違憲状態”とし、2012年12月の衆院総選挙では下級審で“違憲”とされているにも拘わらず、長期に耐える抜本的な是正を怠り、有権者の基本的な権利や司法を軽視して来ている。それは憲法軽視でもある。“違憲状態”であって“違憲”ではないとするような司法軽視の身勝手な解釈は許されない。“違憲”は“違憲”であり、その状態が継続しているからこそ司法は是正を勧告している。有権者の1票の重みは、数値化されるので、国民の平等性を最も分かり易く示す指標と言えよう。有権者の1票の重みが1対1に近く(少なくても1対1.3以内)に是正されなければ、その他の分野を含め、平等が確保されているなどとは言えない。長い間憲法違反の歪んだ選挙制度が継続していることにより、与野党を問わず、国会に送られてはならない議員が存在することが、このような発言をする議員が出る土壌を作っているとも言えそうだ。自民党は、関係議員を厳重注意し、若手議員のテレビ出演を禁じる措置を取ったが、国民に説明責任を果たせないような議員が存在することを示している。
また現在国会で審議されている‘存立危機’などに対応するための安保法制でも、確かに東アジア、特に極東の情勢は悪化しているが、その大きな原因を作っているのは自・公政権自身である上、‘集団的自衛権’の行使については、自民党が推薦した憲法学者を含め、大層の憲法学者が‘憲法違反’としているにも拘わらず、多数を利して押し切ろうとしている。
自・公政権は、憲法を軽視し、司法をも軽視している。もっとも司法が行政や立法に対し独立の役割を十分に果たしていないことにも問題があろうが、憲法や司法を軽視する政権に日本の将来を託すことは難しい。今回の同党議員の発言はそのような同党の姿勢、理念の中から出てきているものであろう。(2015.7.2.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―専横化する自・公政権に国の将来を任せられるのか?
 6月25日、自民党の新保守主義系の中堅・若手議員などによる「文化芸術懇話会」の‘勉強会’が行われ、参加議員やゲストの作家百田尚樹氏の発言が報道の自由等を抑制するような発言として、新聞、テレビだけでなく、与野党の議員、有識者から批判されていることは広く知られている。
 発言の中には、‘マスコミを懲らしめるために広告収入をなくす’とか‘沖縄の考え方はおかしい、言うべきことは言うべし’などがあったと伝えられている。更にゲストの百田氏は、‘沖縄の2紙は潰さなくてはいけない’との趣旨を述べたとされ、マスコミ界からは主として報道威圧、報道抑制として批判されている。
 この「懇話会」には、首相に近い議員を含め30数名参加したと伝えられているが、9月の自民党総裁選を前にして、集団的自衛権問題を含め、‘安倍応援団’とも見られている。他方、ハト派議員で構成する「‘分厚い保守政治’を目指す若手議員の会」は、講師予定者が安保法制に批判的と分かり、それでなくても党内、マスコミ保守層から問題視されていたことから勉強会を中止したと言われている。
 この問題は、マスコミにより報道威圧、報道抑制として批判されているが、報道の自由以上に、自由で民主的な民主主義の将来にとって基本的な問題であり、同党がそれに逆行し、より専横化する深刻な側面を持っていることではないだろうか。連合国占領下の憲法や諸制度、即ち‘戦後レジーム’から脱却し、戦前の専制国家主義的な国家へ戻すという新保守主義の思想や価値観、理念が背後に見て取れる。「文化芸術懇話会」として一見柔らかい印象を与えているが、そこには文化芸術面でも価値観や理念を復古主義的な方向に変えるという意図があるのだろう。正に新保守修正主義と言える。現政権の基本目標である‘戦後レジーム’からの脱却は、戦前レジームへの復帰を意味する。「懇話会」の代表であった同党青年局長が更迭され、3議員に厳重注意の措置が取られ、首相が党総裁として国会で詫びているが、根底は変わらないであろう。
 ‘マスコミを懲らしめる’とか‘沖縄の考え方はおかしい’などと言うこと自体は、言論は自由であり、マスコミの論調が商業化、保守化する中で常に正しいとも言えないので、批判することはあっても良いところであろう。しかし公務に携わる国会議員の発言としては穏当を欠く上、このような意見が次々と出されるということは、マスコミや国民の言うことに耳を貸さない専横的、独善的な色彩が強いということを意味している。
2014年11月、12月の沖縄県の知事選や衆院選挙の4つの1人区、及び名護市長選等では、自・公両党はいずれも敗北し、米海兵隊基地の辺野古移設に反対する翁長候補が当選している。仲井間前知事については、安倍政権側が年間3,000億円の助成(5年間)を約束したのを受けて、辺野古移設に賛成して再選に臨んだが落選した。沖縄ではどの選挙でも自・公両党は負けている。それが県民の民意であるので、‘それがおかしい’、‘2紙を潰す’などと言うのは自民党自体が変で、民意を聞かない専横的姿勢と映る。中央政府が地方の有権者が示した民意を尊重しないのでは、地方自治などは空口上でしかない。
将来を担うであろう自民党の中堅・若手議員がこのような専横的、独善的考え方であることは非常に残念であり、このような議員を抱える自民党に、安全保障を含め、将来の日本を託すことは難しいところがある。
有権者の1票の格差問題でも、最高裁が選挙のある毎に、衆参両院とも“違憲状態”とし、2012年12月の衆院総選挙では下級審で“違憲”とされているにも拘わらず、長期に耐える抜本的な是正を怠り、有権者の基本的な権利や司法を軽視して来ている。それは憲法軽視でもある。“違憲状態”であって“違憲”ではないとするような司法軽視の身勝手な解釈は許されない。“違憲”は“違憲”であり、その状態が継続しているからこそ司法は是正を勧告している。有権者の1票の重みは、数値化されるので、国民の平等性を最も分かり易く示す指標と言えよう。有権者の1票の重みが1対1に近く(少なくても1対1.3以内)に是正されなければ、その他の分野を含め、平等が確保されているなどとは言えない。長い間憲法違反の歪んだ選挙制度が継続していることにより、与野党を問わず、国会に送られてはならない議員が存在することが、このような発言をする議員が出る土壌を作っているとも言えそうだ。自民党は、関係議員を厳重注意し、若手議員のテレビ出演を禁じる措置を取ったが、国民に説明責任を果たせないような議員が存在することを示している。
また現在国会で審議されている‘存立危機’などに対応するための安保法制でも、確かに東アジア、特に極東の情勢は悪化しているが、その大きな原因を作っているのは自・公政権自身である上、‘集団的自衛権’の行使については、自民党が推薦した憲法学者を含め、大層の憲法学者が‘憲法違反’としているにも拘わらず、多数を利して押し切ろうとしている。
自・公政権は、憲法を軽視し、司法をも軽視している。もっとも司法が行政や立法に対し独立の役割を十分に果たしていないことにも問題があろうが、憲法や司法を軽視する政権に日本の将来を託すことは難しい。今回の同党議員の発言はそのような同党の姿勢、理念の中から出てきているものであろう。(2015.7.2.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―甘い情勢認識と‘積極的平和主義’の代償   (総合編)

2015-07-23 | Weblog
シリーズ平成の本音―甘い情勢認識と‘積極的平和主義’の代償   (総合編)

 1月20日午後(日本時間)、“日本政府及び日本国民へ”として「イスラム国」(ISIS)からと見られるビデオメッセージがインターネット動画YouYubeに投稿され、人質としている日本人2名(湯川、後藤両氏)をひざまずかせ、“身代金2億ドルを72時間以内に支払わなければ殺害する”旨表明した。動画に映る男は、背丈や、左手にナイフを持ち、拳銃をホールダーに吊るしており、手の動きや、喋る時に首を左右にかしげる仕草、英語のなまりなどから、昨年米国人や英国人を前にして同様の通告をし、その後殺害した人物と酷似している。営利目的にせよ、政治的な目的にせよ、許し難い国際犯罪行為だ。
 この戦闘員姿の人物は、“日本の首相よ”と呼び掛け、“「イスラム国」から8500キロ以上も離れているのに、自ら進んでイスラム国に対するこの十字軍に参加した”としつつ、2人の命は2億ドルとした。更に日本国民に呼び掛け、“日本政府はイスラム国に対する戦いに2億ドルを払うという愚かな選択をした”とし、命を救うための金額を2億ドルをとした理由に言及しつつ、期限は72時間などと迫った。
 安倍首相は、1月16日から1月21日までの予定でエジプト、イスラエル、パレスチナ等の中東諸国を訪問中であった。そして1月17日、最初の訪問国エジプトの経済合同委員会において演説し、「中東全体を視野に入れ、人道支援、インフラ整備など非軍事の分野で、25億ドル相当の支援」を新たに実施することを表明すると共に、イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISIL(イスラム国)がもたらす脅威を少しでも食い止めるためとしつつ、「人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援」することを約束した。
 その2日後に、「イスラム国」側から首相に宛てた2人の日本人人質に対する上記の身代金要求と殺害予告が行われた。
 そして「イスラム国」(ISIS)側は期限までに身代金は支払わられないとの心証を得たのだろうか、1月24日、後藤氏が湯川氏の遺体と見られる写真を持つ映像をインターネット動画サイトで公開しつつ、後藤氏が英語で、身代金ではなく、ヨルダンの首都アンマンで連続ホテル自爆テロ事件に関わった‘サジダ・リシャウィ死刑囚’を釈放するようにとの「イスラム国」側の要求を伝えた。次いで1月27日午後11時頃、後藤氏が2014年12月にISの捕虜となったヨルダン軍パイロットと見られる男性の写真を手にし、“私には24時間しか残されていない”と述べ、‘リシャウィ死刑囚の釈放’を求めた。1月29日、「イスラム国」側は、リシャウィ死刑囚(ヨルダンで収監中)を29日日没(現地時間)までにトルコとIS支配地域との境界に連れてくるよう要求する声明をインターネットに公開した。しかしヨルダン政府側は、捕虜となっている同国パイロットとの交換を優先しつつ、同パイロットの安否の確認が得られない限り応じないとしていた。しかし2月1日午前5時過ぎ、「イスラム国」側は、“日本政府へのメッセージ”として、最初に登場した戦闘員と見られる男が“日本が有志連合に加担していること”を非難した後、後藤氏を殺害したとする映像をインターネットに公開した。そして男は、“日本の愚かな決定”により後藤氏は死ぬが、“今後日本の国民は何処にいても殺戮されるだろう”と結んだ。日本は今回の事件の対応で、2人の尊い命を失った上、世界における日本人の安全を著しく低下させる結果となった。
日本人2名の「イスラム国」側による人質事件は、大変残念ながらこうして最悪の結末となった。
 このような犯罪行為が許されて良いものではない。しかし同時に次のような課題もある。
 1、甘い国際情勢認識と危機管理意識の欠如
 昨年8月に湯川氏がいわゆる“イスラム国”領内で捕まっていることや米国や英国のジャーナリストが捕まり、米、英が要求に応じなかったため処刑されたことなどは広く知られていたところであり、また、その救出のために昨年10月に後藤氏が“イスラム国”領内入って捕まり、11月頃より家族に対し10億円、或いは20億円にのぼる身代金を要求されていたことも外務、首相官邸サイドは知っていたとしている。
 このような状況にありながら、首相が中東に出向き、いわば“イスラム国”の面前で「ISIL(“イスラム国”)と闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援」することを約束すれば、“イスラム国”を刺激し、人質となっている2人の日本人の命を危うくすることは十分想定出来たはずである。
 日本が、国際テロとの戦いに各国と協力することは当然であろう。しかし“イスラム国”に対し、米、英両国を始めジョルダンなど50カ国近くの有志連合が“イスラム国”掃討のため連日のように空爆している最中に、日本が米国との同盟関係を強化し、集団的自衛権行使の実現を推進すると共に、中東での反“イスラム国”諸国を支援することを表明すればどのような結果を招くかを十分認識すべきであろう。
 事前の地域情勢判断の甘さと危機管理意識の欠如を指摘されても仕方がない。
更に後藤氏殺害の映像を受けて、安倍首相は安保関係閣僚会議の後、記者団に対し、これを非難すると共に、「テロリストたちを決して許さない。罪を償わせるために国際社会と連携する」としつつ、「食糧支援、医療支援などの中東への人道支援を更に拡充する」とした。テロを容認出来ないことについては全く同感であるが、「イスラム国」側が、後藤氏を殺害した後、“今後日本の国民は何処にいても殺戮されるだろう”としており、日本人への危険が高まっている時に、「中東への支援を拡充する」との趣旨を何故この時点で表明するのだろうか。日本は今回の事件の対応で、2人の尊い命を失った上、世界における日本人の安全を著しく低下させる結果となった。もう少ししたかな熟慮があって良いのかもしれない。世界における日本人の安全確保において政府首脳の言動が大きな影響を与えるものと予想され、日本が今後どのように外交を展開し、対外説明して行くのかなど、課題が残った。
 2、「積極的平和主義」等の犠牲と代償
 安倍政権は、ベトナムからインド、トルコに至る諸国を‘自由と繁栄の弧’とし、これら諸国との関係を増進すると共に、世界の平和と安定に積極的に貢献するという‘積極的平和主義’を推進しようとしている。今回の中東訪問もその一環と見られ、これら諸国に総額25億ドルの支援を表明すると共に、「ISIL(イスラム国)と闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度の支援」を約束した。
 このような外交姿勢は日本にとって一つの選択肢であろうが、‘積極的平和主義’には国民の大きな犠牲や代償が必要となることを国民は認識すべきであろう。今回の事件からそれが国民の目に明らかになった。
 また安倍政権は、日米同盟関係の強化を図り、更に集団的自衛権の行使を可能にし、海外での軍事行動には参加しないまでも、世界の平和と安全に米国と行動を共にし、‘積極的平和主義’を推進する方針としている。日米同盟関係の強化も日本にとって選択肢の一つであろうが、そのような対外姿勢により、日本は米国の外交、安全保障政策と同一視され、犠牲や代償を強いられることになろう。国民はそれを十分に認識すべきであろう。それ以上に、自・公政権は、このような国家目的の遂行のために、国民に犠牲、代償を強いることがあることを説明する責任があろう。同時に国民の生命、財産に大きな犠牲を強いる以上、政権側には結果責任を取る覚悟が必要であろう。
 そして日本がどのような対外姿勢をとるかは、最終的には国民が選択することになるので、国民の一人一人が日本の取るべき道を選択し、明らかにする必要があろう。
 なお、1月20日に“イスラム国”側から身代金要求がなされてから、日本政府は米国を含む関係各国と連絡を取り合ったが、米国が早い段階から‘テロとの戦いに日本と連携し対応する’旨表明する一方、国務省報道官が‘イスラム国側の要求に応じるべきではない’ことを再三にわたり内外に表明していたことは、心強かった反面、自国民なら兎も角、日本国民の生命が掛かっている時に、他国の手を縛り、日本人の命を危うくするような言動を表明することは踏み込み過ぎではなかろうか。日本側が、「イスラム国」が“有志連合による十字軍”と非難し、敵対関係にある諸国に協力や情報提供を求めることは良いとしても、それを公にし、米国が‘連携’を約束することにより、日本の反「イスラム国」色が際立つ結果となったと言えよう。
 またシリア、イラクに隣接し、日本と友好関係にあるヨルダンに現地対策室を設けたことは一見適切のように見えるが、ヨルダンが‘有志連合’による空爆に参加しており、「イスラム国」にとっては敵対国であるので、情勢判断の甘さが指摘されても仕方がないであろう。
 3、国民の側の危機管理意識と自己責任
 同時に、“イスラム国”の支配地域に足を踏み入れた2人の日本人についても、地域情勢の認識の甘さや危機管理意識の欠如、安易さが指摘されると共に、後藤氏自身が同地域に向かう前にビデオで表明していた通り、無謀な行為に対する自己責任意識をより強く持つことが望まれる。
 今回犠牲になられた日本人及びそのご遺族には、心から哀悼の意を表したい。このような残虐な国際犯罪を遂行する“イスラム国”の行為を容認することは出来ない。
 しかし“イスラム国”域内は内戦やテロ活動が続く一方、米英などの‘有志連合’による空爆が連日のように行われている戦闘地域であり、著しく危険な地域であることは分りきっていることである。そのような地に赴く行動の責任は重く、今回のような行為は容認出来ないが、残念ながらその結果は本人自身が受けていることを認識すべきであろう。
 なお、湯川氏が設立した‘民間軍事会社’とは一体どのような目的があるのか疑問だ。湯川氏自身も、自動小銃を保持して“イスラム国”領内に入り捕虜となったと見られている。民間戦闘要員や民兵の派遣・訓練、軍事物資の提供を“イスラム国”などに行うためなのか。警備会社ならともかく、‘民間軍事’事業の内容如何では非社会性も疑われるところであり、日本において認めて良いのか疑問は多い。また後藤氏については、家族へ身代金要求が来ているなどが明らかにされているが、湯川氏については‘民間軍事会社’へのこのような要求があったのか、或いは昨年8月以降救出のための努力はなされていたのかなど一切明らかにされていない。会社側に説明責任があるのではなかろうか。
 4、余り語られないもう一方の攻撃
 “イスラム国”の残酷、非人道的な犯罪行為を容認できない。世界のイスラム教信者は13億とも16億人とも言われているが、多くのイスラム教信者は‘公正’を尊重し、このような行為を支持はしていないと考えている。
 他方、殺戮行為は“イスラム国”やイスラム過激派だけが行っているものではない。米国を中心とする有志連合は、“イスラム国”支配地域を‘2000回以上空爆した’としており、空爆により多くの一般市民を殺傷し、各種の非軍事施設を破壊したと見られている。しかしその詳細はほとんど報道されておらず、知られていない。
 “イスラム国”圏外においても、アルカイーダ・グループなどの米国を中心とする‘国際テロとの戦争(War against Terror)’は行われている。2001年の米国での9.11同時多発テロ以降、主としてアフガニスタン、パキスタン北部、イラク、イエメンなど、イスラム過激派への攻撃は続けられて来た。
 その詳細は余り伝えられていないが、多くの子供を含む民間人が巻き込まれ、殺害されている。米、英の民間組織が情報を集め、公表している。
 ロンドンのジャーナリズム検証事務局(BIJ)によると、2015年1月現在、米国の無人飛行機による爆撃は413回、死者は2,438から 3,942人、その内民間人の死者は416から959人で、168から204人の子供が含まれるとしている。
 アフガニスタンでは、米国の無人飛行機による爆撃は2002年以降1000 回以上行われており、民間人も巻き添えになっていたため、当時のカルザイ大統領は懸念を表明した。最近でも、2014年6月にパキスタン北部を無人飛行機が2度に亘り爆撃し、モスレム戦闘員とされる少なくても16人が死亡したとされるが、いずれも詳細は明らかにされていない。
 またイエメンでは、2014年11月、米国の無人飛行機による爆撃により、シャブワ州の訓練サイトとされる場所より戻っていたトラックが破壊され、アルカイダ戦闘員と疑われる10人と3人の労働者が殺害され、他2名が負傷したとされる。イエメンには、アルカイダ・アラビア半島グループ(AQAP)が存在し、戦闘員訓練センターがあるとされるが、トラックの乗員を確認し、民間人の被害を避けることが困難など問題が指摘されている。
 このように米国を中心とする多国籍軍や有志連合によるイスラム過激派に対する攻撃は各地で行われており、民間人や子供が巻き込まれて多くの死傷者が出ていることも事実であり、イスラム過激派にも言い分があるのであろう。またアフガニスタンなどで捕らえられたアルカイーダ分子などが、キューバにある米国のグアンタナモ刑務所に収容され、取り調べを受けていたが、その間各種の屈辱行為が行われたと報道されており、これに対する批判等があっても仕方がない。テロ行為を容認する気は毛頭ないが、過激派によるテロ行為や暴力は許さないが、欧米等による空爆や無人機爆撃により民間人、子供を巻き込んで殺傷するは容認するということであれば、心情論は別として、フェアーさを欠く。空爆等による被害内容の詳細はほとんど伝えられていない。ジャーナリズムを含め、物事を見る時は、或いは物事を解決しようとする場合は、双方の状況を見極めないと公正な見方や解決策とはなり難い。
 中東の情勢は、歴史的にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という3つの宗教と部族集団が絡み、そしてフランス、イギリスの植民地支配を経て今日に至っており、複雑な歴史的背景がある。また一方で石油という戦略物資が存在し、他方で長期化するイスラエル、パレスチナ間の中東紛争を抱えており、経済的にも政治的にも国際情勢に全体に大きな影響を与えている地域である。
 従って「イスラム国」の問題は、第一義的には周辺のイスラム教諸国の問題であろう。これら諸国のイスラム教最高指導者レベルが会合し、イスラム教はこのような残虐なテロ行為や暴力を容認しないことを表明すれば、世界のイスラム教への誤解をとけるだろう。
 このような中で、米国は2001年9月の同時多発テロの後、アフガニスタンのタリバンとその庇護下にあったアルカイーダに対するいわゆる‘テロとの戦争’を開始した。また化学兵器など大量破壊兵器を保持しているとの情報に基づき(その後この情報は誤情報と判明)、サダムフセイン政権下のイラクに侵攻したが、米、英両国を中心とする多国籍軍の10年以上の軍事行動や支援にも拘らず、アフガニスタンについてもイラクについても樹立された政権が未だに全土を掌握出来る状況にない。更にイラクについては、シーア派(多数派)を中心とする政権を樹立させたものの、処刑されたサダムフセイン大統領の出身母体であるスンニ派(少数派)の支配地域(バクダッド以北)からシリア北部に掛けて「イスラム国」の出現を許している。
 また当初から恐れていた通り、アルカイーダなどのイスラム過激派は、イエメンやアフリカ中央部等に拡散している。またチュニジアからエジプトに掛けての‘アラブの春’と言われた民主化の波も、リビア、エジプトなどではイスラム過激派が浸透しており、安定していない。
 このようにイスラム過激派は中東、アフリカを中心として世界に拡散し、ボーダーレスの脅威となっている。また欧米諸国には第2世代の過激派や共鳴者も出現しており、米国、英国、フランスなどでテロ行為が行われている。
 2001年末から開始された‘国際テロとの戦争(War against Terror)’は、14年間継続され、アフガンとイラクに政権を樹立したものの、過激派テロ集団は押さえ込みに成功はしておらず、逆に世界各地に拡散、拡大しているのが現実だろう。
 一定の軍事行動による抑止と制圧は必要ではあるが、これまでのような軍事力と武力による制圧だけで良いのであろうか。アフガニスタンとイラクだけでも10年以上の月日を費やし、未だに先が見えないのに、更に「イスラム国」壊滅に向けて戦争を継続するのだろうか。テロ分子は世界各地に拡散しており、これから何年、何十年このような武力と暴力の連鎖を続けることになるのだろうか。
 「イスラム国」の問題は、まず周辺のイスラム教諸国の問題だ。中東情勢は、歴史的、宗教的、政治的に複雑で、周辺諸国を除けば、英、仏など旧植民地国、及びイスラエル、パレスチナ問題と石油資本に深く関わってきた米国等がより良く知っているだろう。従ってこれら欧米諸国と周辺イスラム教諸国と協議して、今後の対応を進めることが望まれる。
 日本は、石油をこの地域に依存してはいるが、歴史的に中東に足を踏み入れたことは無く、また人口の70%以上がブッダ教関係であり、神道を含めると宗教的にもイスラム教諸国との接点は少ない。しかし人道支援や難民支援を行うのは良いが、今回の事件の対応の仕方で、日本は欧米諸国を中心とする反「イスラム国」‘十字軍’に加担している国とのラベルを貼られてしまった。この地域での石油関連ビジネスもこれまで以上に危険にさらされることになるので、石油の確保、エネルギーの安全保障にも反するマイナスとなった。
国連の動きも鈍い。安保理は「イスラム国」の残虐な行為を非難したが、事務総長は仲介努力をしようともしていない。シリアのアサド大統領政府と反政府グループとの仲介も中途半端で放棄し、その後も難民問題を含め注目すべき動きはない。関係国に任せており、機能不全のようにも見える。国連事務総長の役割が課題となろう。
 いずれにしても米国により始められた‘国際テロとの戦争(War against Terror)’は、一定の効果はあり、心情的には成功を祈りたいが、国際テロの根絶どころか縮小にも成功していない。これまでの軍事力や武力に頼る政策から、イスラム教諸国との対話や協議を通じ一層の信頼醸成を図ると共に、法に基づく公正な対応も考えて行くべきではなかろうか。
(2015.2.5.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―甘い情勢認識と‘積極的平和主義’の代償   (総合編)

2015-07-23 | Weblog
シリーズ平成の本音―甘い情勢認識と‘積極的平和主義’の代償   (総合編)

 1月20日午後(日本時間)、“日本政府及び日本国民へ”として「イスラム国」(ISIS)からと見られるビデオメッセージがインターネット動画YouYubeに投稿され、人質としている日本人2名(湯川、後藤両氏)をひざまずかせ、“身代金2億ドルを72時間以内に支払わなければ殺害する”旨表明した。動画に映る男は、背丈や、左手にナイフを持ち、拳銃をホールダーに吊るしており、手の動きや、喋る時に首を左右にかしげる仕草、英語のなまりなどから、昨年米国人や英国人を前にして同様の通告をし、その後殺害した人物と酷似している。営利目的にせよ、政治的な目的にせよ、許し難い国際犯罪行為だ。
 この戦闘員姿の人物は、“日本の首相よ”と呼び掛け、“「イスラム国」から8500キロ以上も離れているのに、自ら進んでイスラム国に対するこの十字軍に参加した”としつつ、2人の命は2億ドルとした。更に日本国民に呼び掛け、“日本政府はイスラム国に対する戦いに2億ドルを払うという愚かな選択をした”とし、命を救うための金額を2億ドルをとした理由に言及しつつ、期限は72時間などと迫った。
 安倍首相は、1月16日から1月21日までの予定でエジプト、イスラエル、パレスチナ等の中東諸国を訪問中であった。そして1月17日、最初の訪問国エジプトの経済合同委員会において演説し、「中東全体を視野に入れ、人道支援、インフラ整備など非軍事の分野で、25億ドル相当の支援」を新たに実施することを表明すると共に、イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISIL(イスラム国)がもたらす脅威を少しでも食い止めるためとしつつ、「人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援」することを約束した。
 その2日後に、「イスラム国」側から首相に宛てた2人の日本人人質に対する上記の身代金要求と殺害予告が行われた。
 そして「イスラム国」(ISIS)側は期限までに身代金は支払わられないとの心証を得たのだろうか、1月24日、後藤氏が湯川氏の遺体と見られる写真を持つ映像をインターネット動画サイトで公開しつつ、後藤氏が英語で、身代金ではなく、ヨルダンの首都アンマンで連続ホテル自爆テロ事件に関わった‘サジダ・リシャウィ死刑囚’を釈放するようにとの「イスラム国」側の要求を伝えた。次いで1月27日午後11時頃、後藤氏が2014年12月にISの捕虜となったヨルダン軍パイロットと見られる男性の写真を手にし、“私には24時間しか残されていない”と述べ、‘リシャウィ死刑囚の釈放’を求めた。1月29日、「イスラム国」側は、リシャウィ死刑囚(ヨルダンで収監中)を29日日没(現地時間)までにトルコとIS支配地域との境界に連れてくるよう要求する声明をインターネットに公開した。しかしヨルダン政府側は、捕虜となっている同国パイロットとの交換を優先しつつ、同パイロットの安否の確認が得られない限り応じないとしていた。しかし2月1日午前5時過ぎ、「イスラム国」側は、“日本政府へのメッセージ”として、最初に登場した戦闘員と見られる男が“日本が有志連合に加担していること”を非難した後、後藤氏を殺害したとする映像をインターネットに公開した。そして男は、“日本の愚かな決定”により後藤氏は死ぬが、“今後日本の国民は何処にいても殺戮されるだろう”と結んだ。日本は今回の事件の対応で、2人の尊い命を失った上、世界における日本人の安全を著しく低下させる結果となった。
日本人2名の「イスラム国」側による人質事件は、大変残念ながらこうして最悪の結末となった。
 このような犯罪行為が許されて良いものではない。しかし同時に次のような課題もある。
 1、甘い国際情勢認識と危機管理意識の欠如
 昨年8月に湯川氏がいわゆる“イスラム国”領内で捕まっていることや米国や英国のジャーナリストが捕まり、米、英が要求に応じなかったため処刑されたことなどは広く知られていたところであり、また、その救出のために昨年10月に後藤氏が“イスラム国”領内入って捕まり、11月頃より家族に対し10億円、或いは20億円にのぼる身代金を要求されていたことも外務、首相官邸サイドは知っていたとしている。
 このような状況にありながら、首相が中東に出向き、いわば“イスラム国”の面前で「ISIL(“イスラム国”)と闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援」することを約束すれば、“イスラム国”を刺激し、人質となっている2人の日本人の命を危うくすることは十分想定出来たはずである。
 日本が、国際テロとの戦いに各国と協力することは当然であろう。しかし“イスラム国”に対し、米、英両国を始めジョルダンなど50カ国近くの有志連合が“イスラム国”掃討のため連日のように空爆している最中に、日本が米国との同盟関係を強化し、集団的自衛権行使の実現を推進すると共に、中東での反“イスラム国”諸国を支援することを表明すればどのような結果を招くかを十分認識すべきであろう。
 事前の地域情勢判断の甘さと危機管理意識の欠如を指摘されても仕方がない。
更に後藤氏殺害の映像を受けて、安倍首相は安保関係閣僚会議の後、記者団に対し、これを非難すると共に、「テロリストたちを決して許さない。罪を償わせるために国際社会と連携する」としつつ、「食糧支援、医療支援などの中東への人道支援を更に拡充する」とした。テロを容認出来ないことについては全く同感であるが、「イスラム国」側が、後藤氏を殺害した後、“今後日本の国民は何処にいても殺戮されるだろう”としており、日本人への危険が高まっている時に、「中東への支援を拡充する」との趣旨を何故この時点で表明するのだろうか。日本は今回の事件の対応で、2人の尊い命を失った上、世界における日本人の安全を著しく低下させる結果となった。もう少ししたかな熟慮があって良いのかもしれない。世界における日本人の安全確保において政府首脳の言動が大きな影響を与えるものと予想され、日本が今後どのように外交を展開し、対外説明して行くのかなど、課題が残った。
 2、「積極的平和主義」等の犠牲と代償
 安倍政権は、ベトナムからインド、トルコに至る諸国を‘自由と繁栄の弧’とし、これら諸国との関係を増進すると共に、世界の平和と安定に積極的に貢献するという‘積極的平和主義’を推進しようとしている。今回の中東訪問もその一環と見られ、これら諸国に総額25億ドルの支援を表明すると共に、「ISIL(イスラム国)と闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度の支援」を約束した。
 このような外交姿勢は日本にとって一つの選択肢であろうが、‘積極的平和主義’には国民の大きな犠牲や代償が必要となることを国民は認識すべきであろう。今回の事件からそれが国民の目に明らかになった。
 また安倍政権は、日米同盟関係の強化を図り、更に集団的自衛権の行使を可能にし、海外での軍事行動には参加しないまでも、世界の平和と安全に米国と行動を共にし、‘積極的平和主義’を推進する方針としている。日米同盟関係の強化も日本にとって選択肢の一つであろうが、そのような対外姿勢により、日本は米国の外交、安全保障政策と同一視され、犠牲や代償を強いられることになろう。国民はそれを十分に認識すべきであろう。それ以上に、自・公政権は、このような国家目的の遂行のために、国民に犠牲、代償を強いることがあることを説明する責任があろう。同時に国民の生命、財産に大きな犠牲を強いる以上、政権側には結果責任を取る覚悟が必要であろう。
 そして日本がどのような対外姿勢をとるかは、最終的には国民が選択することになるので、国民の一人一人が日本の取るべき道を選択し、明らかにする必要があろう。
 なお、1月20日に“イスラム国”側から身代金要求がなされてから、日本政府は米国を含む関係各国と連絡を取り合ったが、米国が早い段階から‘テロとの戦いに日本と連携し対応する’旨表明する一方、国務省報道官が‘イスラム国側の要求に応じるべきではない’ことを再三にわたり内外に表明していたことは、心強かった反面、自国民なら兎も角、日本国民の生命が掛かっている時に、他国の手を縛り、日本人の命を危うくするような言動を表明することは踏み込み過ぎではなかろうか。日本側が、「イスラム国」が“有志連合による十字軍”と非難し、敵対関係にある諸国に協力や情報提供を求めることは良いとしても、それを公にし、米国が‘連携’を約束することにより、日本の反「イスラム国」色が際立つ結果となったと言えよう。
 またシリア、イラクに隣接し、日本と友好関係にあるヨルダンに現地対策室を設けたことは一見適切のように見えるが、ヨルダンが‘有志連合’による空爆に参加しており、「イスラム国」にとっては敵対国であるので、情勢判断の甘さが指摘されても仕方がないであろう。
 3、国民の側の危機管理意識と自己責任
 同時に、“イスラム国”の支配地域に足を踏み入れた2人の日本人についても、地域情勢の認識の甘さや危機管理意識の欠如、安易さが指摘されると共に、後藤氏自身が同地域に向かう前にビデオで表明していた通り、無謀な行為に対する自己責任意識をより強く持つことが望まれる。
 今回犠牲になられた日本人及びそのご遺族には、心から哀悼の意を表したい。このような残虐な国際犯罪を遂行する“イスラム国”の行為を容認することは出来ない。
 しかし“イスラム国”域内は内戦やテロ活動が続く一方、米英などの‘有志連合’による空爆が連日のように行われている戦闘地域であり、著しく危険な地域であることは分りきっていることである。そのような地に赴く行動の責任は重く、今回のような行為は容認出来ないが、残念ながらその結果は本人自身が受けていることを認識すべきであろう。
 なお、湯川氏が設立した‘民間軍事会社’とは一体どのような目的があるのか疑問だ。湯川氏自身も、自動小銃を保持して“イスラム国”領内に入り捕虜となったと見られている。民間戦闘要員や民兵の派遣・訓練、軍事物資の提供を“イスラム国”などに行うためなのか。警備会社ならともかく、‘民間軍事’事業の内容如何では非社会性も疑われるところであり、日本において認めて良いのか疑問は多い。また後藤氏については、家族へ身代金要求が来ているなどが明らかにされているが、湯川氏については‘民間軍事会社’へのこのような要求があったのか、或いは昨年8月以降救出のための努力はなされていたのかなど一切明らかにされていない。会社側に説明責任があるのではなかろうか。
 4、余り語られないもう一方の攻撃
 “イスラム国”の残酷、非人道的な犯罪行為を容認できない。世界のイスラム教信者は13億とも16億人とも言われているが、多くのイスラム教信者は‘公正’を尊重し、このような行為を支持はしていないと考えている。
 他方、殺戮行為は“イスラム国”やイスラム過激派だけが行っているものではない。米国を中心とする有志連合は、“イスラム国”支配地域を‘2000回以上空爆した’としており、空爆により多くの一般市民を殺傷し、各種の非軍事施設を破壊したと見られている。しかしその詳細はほとんど報道されておらず、知られていない。
 “イスラム国”圏外においても、アルカイーダ・グループなどの米国を中心とする‘国際テロとの戦争(War against Terror)’は行われている。2001年の米国での9.11同時多発テロ以降、主としてアフガニスタン、パキスタン北部、イラク、イエメンなど、イスラム過激派への攻撃は続けられて来た。
 その詳細は余り伝えられていないが、多くの子供を含む民間人が巻き込まれ、殺害されている。米、英の民間組織が情報を集め、公表している。
 ロンドンのジャーナリズム検証事務局(BIJ)によると、2015年1月現在、米国の無人飛行機による爆撃は413回、死者は2,438から 3,942人、その内民間人の死者は416から959人で、168から204人の子供が含まれるとしている。
 アフガニスタンでは、米国の無人飛行機による爆撃は2002年以降1000 回以上行われており、民間人も巻き添えになっていたため、当時のカルザイ大統領は懸念を表明した。最近でも、2014年6月にパキスタン北部を無人飛行機が2度に亘り爆撃し、モスレム戦闘員とされる少なくても16人が死亡したとされるが、いずれも詳細は明らかにされていない。
 またイエメンでは、2014年11月、米国の無人飛行機による爆撃により、シャブワ州の訓練サイトとされる場所より戻っていたトラックが破壊され、アルカイダ戦闘員と疑われる10人と3人の労働者が殺害され、他2名が負傷したとされる。イエメンには、アルカイダ・アラビア半島グループ(AQAP)が存在し、戦闘員訓練センターがあるとされるが、トラックの乗員を確認し、民間人の被害を避けることが困難など問題が指摘されている。
 このように米国を中心とする多国籍軍や有志連合によるイスラム過激派に対する攻撃は各地で行われており、民間人や子供が巻き込まれて多くの死傷者が出ていることも事実であり、イスラム過激派にも言い分があるのであろう。またアフガニスタンなどで捕らえられたアルカイーダ分子などが、キューバにある米国のグアンタナモ刑務所に収容され、取り調べを受けていたが、その間各種の屈辱行為が行われたと報道されており、これに対する批判等があっても仕方がない。テロ行為を容認する気は毛頭ないが、過激派によるテロ行為や暴力は許さないが、欧米等による空爆や無人機爆撃により民間人、子供を巻き込んで殺傷するは容認するということであれば、心情論は別として、フェアーさを欠く。空爆等による被害内容の詳細はほとんど伝えられていない。ジャーナリズムを含め、物事を見る時は、或いは物事を解決しようとする場合は、双方の状況を見極めないと公正な見方や解決策とはなり難い。
 中東の情勢は、歴史的にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という3つの宗教と部族集団が絡み、そしてフランス、イギリスの植民地支配を経て今日に至っており、複雑な歴史的背景がある。また一方で石油という戦略物資が存在し、他方で長期化するイスラエル、パレスチナ間の中東紛争を抱えており、経済的にも政治的にも国際情勢に全体に大きな影響を与えている地域である。
 従って「イスラム国」の問題は、第一義的には周辺のイスラム教諸国の問題であろう。これら諸国のイスラム教最高指導者レベルが会合し、イスラム教はこのような残虐なテロ行為や暴力を容認しないことを表明すれば、世界のイスラム教への誤解をとけるだろう。
 このような中で、米国は2001年9月の同時多発テロの後、アフガニスタンのタリバンとその庇護下にあったアルカイーダに対するいわゆる‘テロとの戦争’を開始した。また化学兵器など大量破壊兵器を保持しているとの情報に基づき(その後この情報は誤情報と判明)、サダムフセイン政権下のイラクに侵攻したが、米、英両国を中心とする多国籍軍の10年以上の軍事行動や支援にも拘らず、アフガニスタンについてもイラクについても樹立された政権が未だに全土を掌握出来る状況にない。更にイラクについては、シーア派(多数派)を中心とする政権を樹立させたものの、処刑されたサダムフセイン大統領の出身母体であるスンニ派(少数派)の支配地域(バクダッド以北)からシリア北部に掛けて「イスラム国」の出現を許している。
 また当初から恐れていた通り、アルカイーダなどのイスラム過激派は、イエメンやアフリカ中央部等に拡散している。またチュニジアからエジプトに掛けての‘アラブの春’と言われた民主化の波も、リビア、エジプトなどではイスラム過激派が浸透しており、安定していない。
 このようにイスラム過激派は中東、アフリカを中心として世界に拡散し、ボーダーレスの脅威となっている。また欧米諸国には第2世代の過激派や共鳴者も出現しており、米国、英国、フランスなどでテロ行為が行われている。
 2001年末から開始された‘国際テロとの戦争(War against Terror)’は、14年間継続され、アフガンとイラクに政権を樹立したものの、過激派テロ集団は押さえ込みに成功はしておらず、逆に世界各地に拡散、拡大しているのが現実だろう。
 一定の軍事行動による抑止と制圧は必要ではあるが、これまでのような軍事力と武力による制圧だけで良いのであろうか。アフガニスタンとイラクだけでも10年以上の月日を費やし、未だに先が見えないのに、更に「イスラム国」壊滅に向けて戦争を継続するのだろうか。テロ分子は世界各地に拡散しており、これから何年、何十年このような武力と暴力の連鎖を続けることになるのだろうか。
 「イスラム国」の問題は、まず周辺のイスラム教諸国の問題だ。中東情勢は、歴史的、宗教的、政治的に複雑で、周辺諸国を除けば、英、仏など旧植民地国、及びイスラエル、パレスチナ問題と石油資本に深く関わってきた米国等がより良く知っているだろう。従ってこれら欧米諸国と周辺イスラム教諸国と協議して、今後の対応を進めることが望まれる。
 日本は、石油をこの地域に依存してはいるが、歴史的に中東に足を踏み入れたことは無く、また人口の70%以上がブッダ教関係であり、神道を含めると宗教的にもイスラム教諸国との接点は少ない。しかし人道支援や難民支援を行うのは良いが、今回の事件の対応の仕方で、日本は欧米諸国を中心とする反「イスラム国」‘十字軍’に加担している国とのラベルを貼られてしまった。この地域での石油関連ビジネスもこれまで以上に危険にさらされることになるので、石油の確保、エネルギーの安全保障にも反するマイナスとなった。
国連の動きも鈍い。安保理は「イスラム国」の残虐な行為を非難したが、事務総長は仲介努力をしようともしていない。シリアのアサド大統領政府と反政府グループとの仲介も中途半端で放棄し、その後も難民問題を含め注目すべき動きはない。関係国に任せており、機能不全のようにも見える。国連事務総長の役割が課題となろう。
 いずれにしても米国により始められた‘国際テロとの戦争(War against Terror)’は、一定の効果はあり、心情的には成功を祈りたいが、国際テロの根絶どころか縮小にも成功していない。これまでの軍事力や武力に頼る政策から、イスラム教諸国との対話や協議を通じ一層の信頼醸成を図ると共に、法に基づく公正な対応も考えて行くべきではなかろうか。
(2015.2.5.)(All Rights Reserved.)
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シリーズ平成の本音―甘い情勢認識と‘積極的平和主義’の代償   (総合編)

2015-07-23 | Weblog
シリーズ平成の本音―甘い情勢認識と‘積極的平和主義’の代償   (総合編)

 1月20日午後(日本時間)、“日本政府及び日本国民へ”として「イスラム国」(ISIS)からと見られるビデオメッセージがインターネット動画YouYubeに投稿され、人質としている日本人2名(湯川、後藤両氏)をひざまずかせ、“身代金2億ドルを72時間以内に支払わなければ殺害する”旨表明した。動画に映る男は、背丈や、左手にナイフを持ち、拳銃をホールダーに吊るしており、手の動きや、喋る時に首を左右にかしげる仕草、英語のなまりなどから、昨年米国人や英国人を前にして同様の通告をし、その後殺害した人物と酷似している。営利目的にせよ、政治的な目的にせよ、許し難い国際犯罪行為だ。
 この戦闘員姿の人物は、“日本の首相よ”と呼び掛け、“「イスラム国」から8500キロ以上も離れているのに、自ら進んでイスラム国に対するこの十字軍に参加した”としつつ、2人の命は2億ドルとした。更に日本国民に呼び掛け、“日本政府はイスラム国に対する戦いに2億ドルを払うという愚かな選択をした”とし、命を救うための金額を2億ドルをとした理由に言及しつつ、期限は72時間などと迫った。
 安倍首相は、1月16日から1月21日までの予定でエジプト、イスラエル、パレスチナ等の中東諸国を訪問中であった。そして1月17日、最初の訪問国エジプトの経済合同委員会において演説し、「中東全体を視野に入れ、人道支援、インフラ整備など非軍事の分野で、25億ドル相当の支援」を新たに実施することを表明すると共に、イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISIL(イスラム国)がもたらす脅威を少しでも食い止めるためとしつつ、「人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援」することを約束した。
 その2日後に、「イスラム国」側から首相に宛てた2人の日本人人質に対する上記の身代金要求と殺害予告が行われた。
 そして「イスラム国」(ISIS)側は期限までに身代金は支払わられないとの心証を得たのだろうか、1月24日、後藤氏が湯川氏の遺体と見られる写真を持つ映像をインターネット動画サイトで公開しつつ、後藤氏が英語で、身代金ではなく、ヨルダンの首都アンマンで連続ホテル自爆テロ事件に関わった‘サジダ・リシャウィ死刑囚’を釈放するようにとの「イスラム国」側の要求を伝えた。次いで1月27日午後11時頃、後藤氏が2014年12月にISの捕虜となったヨルダン軍パイロットと見られる男性の写真を手にし、“私には24時間しか残されていない”と述べ、‘リシャウィ死刑囚の釈放’を求めた。1月29日、「イスラム国」側は、リシャウィ死刑囚(ヨルダンで収監中)を29日日没(現地時間)までにトルコとIS支配地域との境界に連れてくるよう要求する声明をインターネットに公開した。しかしヨルダン政府側は、捕虜となっている同国パイロットとの交換を優先しつつ、同パイロットの安否の確認が得られない限り応じないとしていた。しかし2月1日午前5時過ぎ、「イスラム国」側は、“日本政府へのメッセージ”として、最初に登場した戦闘員と見られる男が“日本が有志連合に加担していること”を非難した後、後藤氏を殺害したとする映像をインターネットに公開した。そして男は、“日本の愚かな決定”により後藤氏は死ぬが、“今後日本の国民は何処にいても殺戮されるだろう”と結んだ。日本は今回の事件の対応で、2人の尊い命を失った上、世界における日本人の安全を著しく低下させる結果となった。
日本人2名の「イスラム国」側による人質事件は、大変残念ながらこうして最悪の結末となった。
 このような犯罪行為が許されて良いものではない。しかし同時に次のような課題もある。
 1、甘い国際情勢認識と危機管理意識の欠如
 昨年8月に湯川氏がいわゆる“イスラム国”領内で捕まっていることや米国や英国のジャーナリストが捕まり、米、英が要求に応じなかったため処刑されたことなどは広く知られていたところであり、また、その救出のために昨年10月に後藤氏が“イスラム国”領内入って捕まり、11月頃より家族に対し10億円、或いは20億円にのぼる身代金を要求されていたことも外務、首相官邸サイドは知っていたとしている。
 このような状況にありながら、首相が中東に出向き、いわば“イスラム国”の面前で「ISIL(“イスラム国”)と闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援」することを約束すれば、“イスラム国”を刺激し、人質となっている2人の日本人の命を危うくすることは十分想定出来たはずである。
 日本が、国際テロとの戦いに各国と協力することは当然であろう。しかし“イスラム国”に対し、米、英両国を始めジョルダンなど50カ国近くの有志連合が“イスラム国”掃討のため連日のように空爆している最中に、日本が米国との同盟関係を強化し、集団的自衛権行使の実現を推進すると共に、中東での反“イスラム国”諸国を支援することを表明すればどのような結果を招くかを十分認識すべきであろう。
 事前の地域情勢判断の甘さと危機管理意識の欠如を指摘されても仕方がない。
更に後藤氏殺害の映像を受けて、安倍首相は安保関係閣僚会議の後、記者団に対し、これを非難すると共に、「テロリストたちを決して許さない。罪を償わせるために国際社会と連携する」としつつ、「食糧支援、医療支援などの中東への人道支援を更に拡充する」とした。テロを容認出来ないことについては全く同感であるが、「イスラム国」側が、後藤氏を殺害した後、“今後日本の国民は何処にいても殺戮されるだろう”としており、日本人への危険が高まっている時に、「中東への支援を拡充する」との趣旨を何故この時点で表明するのだろうか。日本は今回の事件の対応で、2人の尊い命を失った上、世界における日本人の安全を著しく低下させる結果となった。もう少ししたかな熟慮があって良いのかもしれない。世界における日本人の安全確保において政府首脳の言動が大きな影響を与えるものと予想され、日本が今後どのように外交を展開し、対外説明して行くのかなど、課題が残った。
 2、「積極的平和主義」等の犠牲と代償
 安倍政権は、ベトナムからインド、トルコに至る諸国を‘自由と繁栄の弧’とし、これら諸国との関係を増進すると共に、世界の平和と安定に積極的に貢献するという‘積極的平和主義’を推進しようとしている。今回の中東訪問もその一環と見られ、これら諸国に総額25億ドルの支援を表明すると共に、「ISIL(イスラム国)と闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度の支援」を約束した。
 このような外交姿勢は日本にとって一つの選択肢であろうが、‘積極的平和主義’には国民の大きな犠牲や代償が必要となることを国民は認識すべきであろう。今回の事件からそれが国民の目に明らかになった。
 また安倍政権は、日米同盟関係の強化を図り、更に集団的自衛権の行使を可能にし、海外での軍事行動には参加しないまでも、世界の平和と安全に米国と行動を共にし、‘積極的平和主義’を推進する方針としている。日米同盟関係の強化も日本にとって選択肢の一つであろうが、そのような対外姿勢により、日本は米国の外交、安全保障政策と同一視され、犠牲や代償を強いられることになろう。国民はそれを十分に認識すべきであろう。それ以上に、自・公政権は、このような国家目的の遂行のために、国民に犠牲、代償を強いることがあることを説明する責任があろう。同時に国民の生命、財産に大きな犠牲を強いる以上、政権側には結果責任を取る覚悟が必要であろう。
 そして日本がどのような対外姿勢をとるかは、最終的には国民が選択することになるので、国民の一人一人が日本の取るべき道を選択し、明らかにする必要があろう。
 なお、1月20日に“イスラム国”側から身代金要求がなされてから、日本政府は米国を含む関係各国と連絡を取り合ったが、米国が早い段階から‘テロとの戦いに日本と連携し対応する’旨表明する一方、国務省報道官が‘イスラム国側の要求に応じるべきではない’ことを再三にわたり内外に表明していたことは、心強かった反面、自国民なら兎も角、日本国民の生命が掛かっている時に、他国の手を縛り、日本人の命を危うくするような言動を表明することは踏み込み過ぎではなかろうか。日本側が、「イスラム国」が“有志連合による十字軍”と非難し、敵対関係にある諸国に協力や情報提供を求めることは良いとしても、それを公にし、米国が‘連携’を約束することにより、日本の反「イスラム国」色が際立つ結果となったと言えよう。
 またシリア、イラクに隣接し、日本と友好関係にあるヨルダンに現地対策室を設けたことは一見適切のように見えるが、ヨルダンが‘有志連合’による空爆に参加しており、「イスラム国」にとっては敵対国であるので、情勢判断の甘さが指摘されても仕方がないであろう。
 3、国民の側の危機管理意識と自己責任
 同時に、“イスラム国”の支配地域に足を踏み入れた2人の日本人についても、地域情勢の認識の甘さや危機管理意識の欠如、安易さが指摘されると共に、後藤氏自身が同地域に向かう前にビデオで表明していた通り、無謀な行為に対する自己責任意識をより強く持つことが望まれる。
 今回犠牲になられた日本人及びそのご遺族には、心から哀悼の意を表したい。このような残虐な国際犯罪を遂行する“イスラム国”の行為を容認することは出来ない。
 しかし“イスラム国”域内は内戦やテロ活動が続く一方、米英などの‘有志連合’による空爆が連日のように行われている戦闘地域であり、著しく危険な地域であることは分りきっていることである。そのような地に赴く行動の責任は重く、今回のような行為は容認出来ないが、残念ながらその結果は本人自身が受けていることを認識すべきであろう。
 なお、湯川氏が設立した‘民間軍事会社’とは一体どのような目的があるのか疑問だ。湯川氏自身も、自動小銃を保持して“イスラム国”領内に入り捕虜となったと見られている。民間戦闘要員や民兵の派遣・訓練、軍事物資の提供を“イスラム国”などに行うためなのか。警備会社ならともかく、‘民間軍事’事業の内容如何では非社会性も疑われるところであり、日本において認めて良いのか疑問は多い。また後藤氏については、家族へ身代金要求が来ているなどが明らかにされているが、湯川氏については‘民間軍事会社’へのこのような要求があったのか、或いは昨年8月以降救出のための努力はなされていたのかなど一切明らかにされていない。会社側に説明責任があるのではなかろうか。
 4、余り語られないもう一方の攻撃
 “イスラム国”の残酷、非人道的な犯罪行為を容認できない。世界のイスラム教信者は13億とも16億人とも言われているが、多くのイスラム教信者は‘公正’を尊重し、このような行為を支持はしていないと考えている。
 他方、殺戮行為は“イスラム国”やイスラム過激派だけが行っているものではない。米国を中心とする有志連合は、“イスラム国”支配地域を‘2000回以上空爆した’としており、空爆により多くの一般市民を殺傷し、各種の非軍事施設を破壊したと見られている。しかしその詳細はほとんど報道されておらず、知られていない。
 “イスラム国”圏外においても、アルカイーダ・グループなどの米国を中心とする‘国際テロとの戦争(War against Terror)’は行われている。2001年の米国での9.11同時多発テロ以降、主としてアフガニスタン、パキスタン北部、イラク、イエメンなど、イスラム過激派への攻撃は続けられて来た。
 その詳細は余り伝えられていないが、多くの子供を含む民間人が巻き込まれ、殺害されている。米、英の民間組織が情報を集め、公表している。
 ロンドンのジャーナリズム検証事務局(BIJ)によると、2015年1月現在、米国の無人飛行機による爆撃は413回、死者は2,438から 3,942人、その内民間人の死者は416から959人で、168から204人の子供が含まれるとしている。
 アフガニスタンでは、米国の無人飛行機による爆撃は2002年以降1000 回以上行われており、民間人も巻き添えになっていたため、当時のカルザイ大統領は懸念を表明した。最近でも、2014年6月にパキスタン北部を無人飛行機が2度に亘り爆撃し、モスレム戦闘員とされる少なくても16人が死亡したとされるが、いずれも詳細は明らかにされていない。
 またイエメンでは、2014年11月、米国の無人飛行機による爆撃により、シャブワ州の訓練サイトとされる場所より戻っていたトラックが破壊され、アルカイダ戦闘員と疑われる10人と3人の労働者が殺害され、他2名が負傷したとされる。イエメンには、アルカイダ・アラビア半島グループ(AQAP)が存在し、戦闘員訓練センターがあるとされるが、トラックの乗員を確認し、民間人の被害を避けることが困難など問題が指摘されている。
 このように米国を中心とする多国籍軍や有志連合によるイスラム過激派に対する攻撃は各地で行われており、民間人や子供が巻き込まれて多くの死傷者が出ていることも事実であり、イスラム過激派にも言い分があるのであろう。またアフガニスタンなどで捕らえられたアルカイーダ分子などが、キューバにある米国のグアンタナモ刑務所に収容され、取り調べを受けていたが、その間各種の屈辱行為が行われたと報道されており、これに対する批判等があっても仕方がない。テロ行為を容認する気は毛頭ないが、過激派によるテロ行為や暴力は許さないが、欧米等による空爆や無人機爆撃により民間人、子供を巻き込んで殺傷するは容認するということであれば、心情論は別として、フェアーさを欠く。空爆等による被害内容の詳細はほとんど伝えられていない。ジャーナリズムを含め、物事を見る時は、或いは物事を解決しようとする場合は、双方の状況を見極めないと公正な見方や解決策とはなり難い。
 中東の情勢は、歴史的にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という3つの宗教と部族集団が絡み、そしてフランス、イギリスの植民地支配を経て今日に至っており、複雑な歴史的背景がある。また一方で石油という戦略物資が存在し、他方で長期化するイスラエル、パレスチナ間の中東紛争を抱えており、経済的にも政治的にも国際情勢に全体に大きな影響を与えている地域である。
 従って「イスラム国」の問題は、第一義的には周辺のイスラム教諸国の問題であろう。これら諸国のイスラム教最高指導者レベルが会合し、イスラム教はこのような残虐なテロ行為や暴力を容認しないことを表明すれば、世界のイスラム教への誤解をとけるだろう。
 このような中で、米国は2001年9月の同時多発テロの後、アフガニスタンのタリバンとその庇護下にあったアルカイーダに対するいわゆる‘テロとの戦争’を開始した。また化学兵器など大量破壊兵器を保持しているとの情報に基づき(その後この情報は誤情報と判明)、サダムフセイン政権下のイラクに侵攻したが、米、英両国を中心とする多国籍軍の10年以上の軍事行動や支援にも拘らず、アフガニスタンについてもイラクについても樹立された政権が未だに全土を掌握出来る状況にない。更にイラクについては、シーア派(多数派)を中心とする政権を樹立させたものの、処刑されたサダムフセイン大統領の出身母体であるスンニ派(少数派)の支配地域(バクダッド以北)からシリア北部に掛けて「イスラム国」の出現を許している。
 また当初から恐れていた通り、アルカイーダなどのイスラム過激派は、イエメンやアフリカ中央部等に拡散している。またチュニジアからエジプトに掛けての‘アラブの春’と言われた民主化の波も、リビア、エジプトなどではイスラム過激派が浸透しており、安定していない。
 このようにイスラム過激派は中東、アフリカを中心として世界に拡散し、ボーダーレスの脅威となっている。また欧米諸国には第2世代の過激派や共鳴者も出現しており、米国、英国、フランスなどでテロ行為が行われている。
 2001年末から開始された‘国際テロとの戦争(War against Terror)’は、14年間継続され、アフガンとイラクに政権を樹立したものの、過激派テロ集団は押さえ込みに成功はしておらず、逆に世界各地に拡散、拡大しているのが現実だろう。
 一定の軍事行動による抑止と制圧は必要ではあるが、これまでのような軍事力と武力による制圧だけで良いのであろうか。アフガニスタンとイラクだけでも10年以上の月日を費やし、未だに先が見えないのに、更に「イスラム国」壊滅に向けて戦争を継続するのだろうか。テロ分子は世界各地に拡散しており、これから何年、何十年このような武力と暴力の連鎖を続けることになるのだろうか。
 「イスラム国」の問題は、まず周辺のイスラム教諸国の問題だ。中東情勢は、歴史的、宗教的、政治的に複雑で、周辺諸国を除けば、英、仏など旧植民地国、及びイスラエル、パレスチナ問題と石油資本に深く関わってきた米国等がより良く知っているだろう。従ってこれら欧米諸国と周辺イスラム教諸国と協議して、今後の対応を進めることが望まれる。
 日本は、石油をこの地域に依存してはいるが、歴史的に中東に足を踏み入れたことは無く、また人口の70%以上がブッダ教関係であり、神道を含めると宗教的にもイスラム教諸国との接点は少ない。しかし人道支援や難民支援を行うのは良いが、今回の事件の対応の仕方で、日本は欧米諸国を中心とする反「イスラム国」‘十字軍’に加担している国とのラベルを貼られてしまった。この地域での石油関連ビジネスもこれまで以上に危険にさらされることになるので、石油の確保、エネルギーの安全保障にも反するマイナスとなった。
国連の動きも鈍い。安保理は「イスラム国」の残虐な行為を非難したが、事務総長は仲介努力をしようともしていない。シリアのアサド大統領政府と反政府グループとの仲介も中途半端で放棄し、その後も難民問題を含め注目すべき動きはない。関係国に任せており、機能不全のようにも見える。国連事務総長の役割が課題となろう。
 いずれにしても米国により始められた‘国際テロとの戦争(War against Terror)’は、一定の効果はあり、心情的には成功を祈りたいが、国際テロの根絶どころか縮小にも成功していない。これまでの軍事力や武力に頼る政策から、イスラム教諸国との対話や協議を通じ一層の信頼醸成を図ると共に、法に基づく公正な対応も考えて行くべきではなかろうか。
(2015.2.5.)(All Rights Reserved.)
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