11月29日、サンパウロ市パライゾ区の松原ホテルで、兄で東京ヴェルディ1969監督の三浦泰年(以下ヤス、48、静岡)とともに記者会見に臨んだ横浜FCの三浦知良(以下カズ、46、静岡)。会見後、ブラジルサッカー界に最も名を残した日本人選手と言えるであろうカズに、ブラジル時代のエピソードから現在のサッカーへの考え方、あるいはW杯について話を聞いた。
今回のカズの来伯は、永住権ビザの更新のためと事前に情報があった。しかし一部日本の報道では、CBF(ブラジルサッカー協会)が来年のW杯に向けてカズに極東担当理事を要請するとの情報もあった。来伯の目的にこれも関係しているのかを聞くと、カズは「いや、そういうことは何も聞いてないですよ。ビザの更新です」とすぐに返答した。
カズはビザの更新で2年ごとに来伯しているが、サッカー留学のために来伯したのは1982年、15歳の時だった。その後プロデビューも果たし、90年までブラジルでプレーしたが、来伯当初は困難もあったのだろうか。
カズは「サッカーを頑張ることしか考えてなかったね」と話すと、「つらかったけれど日系社会が今より大きくて、おじちゃんおばちゃんがご飯を食べさせてくれたり、世話をしてくれてね。助けられましたね」と続けた。
カズはブラジルを離れてからも、長年懇意にしていた理髪店に足を運ぶなど、有名になった今でも日系社会とのつながりを忘れていない。サッカーがそれほど人気ではない日系社会において、今なおカズが慕われ続けるゆえんだろう。
日系社会と言えば、ある日系人から「カズはブラジルで『カズ』と発音してもらえず、『カズハル』と呼ばれていた」と聞いたことがあった。真偽を確かめると、「いや、『カズオ』ね。ポ語の男性名詞は『О』が付くからじゃないかな。全然『カズ』と言ってくれないから『カズー』って語尾を伸ばして名乗ることにしたんだよ」と正した。
著者などでカズは、ブラジルで培ったハングリー精神がサッカーへの意欲の源だと語っている。では成功した今でも現役を続けるモチベーションは何なのか。カズは言う。「成功したとは言わないけど、モチベーションは27年前にプロになった時から、むしろもっと前の子供の時から全く変わっていないんですよ。同じなの。試合に出られなかったり、交代させられたら、最後までやりたくて悔しくてたまらなくなる。今でも明日には解雇されるかもしれない危機感を持っているし。年長だから試合に出られなくてもいいなどと思ったことは一度もない。だから続けているんだろうね」
カズは今年、自身の持つJリーグの最年長ゴール記録を46歳8カ月8日に更新した。その原動力は、今も変わらぬゴールへの貪欲な姿勢なのだろう。
また来年はブラジルでW杯が開催される。W杯と言えば今年は、94年W杯出場があと一歩でかなわなかった、いわゆる「ドーハの悲劇」から20年目の年だった。カズはドーハでの出来事をどう振り返るのか。
「ドーハはいい思い出だね。もう20年たつんだね」。カズは「悲劇」ととらえずに前向きな見方をした。続けてサッカー人生の分岐点なのかを尋ねると、「分岐点はどんなことでも分岐点。でも、あえて言うなら僕の中で一番の分岐点はクロアチアへ移籍した時(99年)なんですよ」と語った。
来年、カズをW杯の日本代表に推す声もある。思い出の地ブラジルでのW杯については「代表は、あこがれだよね。ブラジルだからとかじゃなくて、いつだってそこを目指してプレーしているよ」と語った。
ヤスは記者会見で、「環境を言い訳にせずに全力を尽くし、人を喜ばせる選手がプロで、弟はプロだ」と話した。もし、プロになる前で、ブラジルにやってきたばかりの15歳のカズに、「なぜサッカーを続けるのか」と質問できたら何と答えたのか。おそらく今と同じ答えが返ってきたのではないかと記者は思う。(おわり、夏目祐介記者、敬称略)
サンパウロ新聞
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