72章【1】
1.言え。「私に啓示された。幽精(ジン)の一団が(私のクルアーンの読誦を)聞いて言った、『まことに、われらは驚くべきクルアーンを聞いた』」。
2.『それ(クルアーン)は正導に導く。それでわれらはそれを信じ、われらはわれらの主になにものをも同位に配さない』。
この章は、ジンの世界にまつわる多くの先入観を正し、目に見えないこの被造物の本当の姿を解明しています。預言者の時代にクルアーンが呼びかけの対象としていたアラブ人は、ジンを得体の知れない神々の一つと捉えており、人とアッラーの間に親戚関係があると考えました。クルアーンはそのことについて言っています:「また、彼らはアッラーに幽精の同意者たちをなす」(家畜章100節)また、ジンは不可視界を知っていて、尋ねられたその情報を魔術師や占い師に伝えているとも信じていました。これは、クルアーンがこの章で突き止めたことです。預言者(祝福と平安あれ)はその事実をお嫌いになり、魔術や占いを信じることを次のように言いながら禁じました:《魔術師や占い師のところに来て、彼らの言うことを信じた者は、ムハンマドに啓示されたものを背信した者である。》
さらに、ジンには地上において権力があると思われてもいたので、荒涼とした谷で一夜を明かさなければならない時は、他人に襲われないよう、大きなジンに加護を求めました。
ジンに対するこういった形の信仰は、いろいろな人間社会に広まっていました。そして今日になってもまだ、この種の伝説や思い込みは多くの地域に残っています。
「ジン」という名前は、隠れること(イジュティナーン)から派生しています。彼らは隠れており、目に見えません。クルアーンは彼らの身体の特徴について知らせています:「ジャーンヌ(ジンのこととも、ジンの太祖イブリースのこととも言われる)を火の炎から創った。」(慈悲あまねき御方章15節)マーリジュ(炎)とは、煙が邪魔しない、純粋な火を指します。
また、ジンの存在を根本的に否定する人もいます。彼らは、目に見えない存在にまつわるいかなる話もすべて神話だと言います。
そこでイスラームは、いないと信じている人たちと信じている人たちの意見の相違の元になっているこの話題に終止符を打つ言葉を齎しました。また、真実を決定し、ジンの存在を立証し、彼らの真実を解明し、彼らに関する間違った理解を正し、彼らの見えない力に対する怯えや恐れを払拭しました。クルアーンの別の箇所では、スライマーンがジンを諸事に就かせていたことをアッラーが教え給うています。
現在の科学は、私たちの手や感覚の下にあるものを否定出来ません。かつては不可視状態にあった自然の力が、開発された機械によって五感に代わって感知されるようになりましたが、現代の科学は自らが使ったすべての力を見ることが出来ないのに、どうして自らが解明したり到達出来ない物事を否定することができるというのでしょうか。
そこで尊いクルアーンは、丸ごと一つの章を使って、ジンの行動を隠し覆っていた布を剥ぎ取りました。今回はこのことを私たちは勉強していきます。章の冒頭は次のように始まります:
「言え。「私に啓示された。幽精(ジン)の一団が(私のクルアーンの読誦を)聞いて言った、『まことに、われらは驚くべきクルアーンを聞いた』」。」
預言者(祝福と平安あれ)に向けられた呼びかけです。アッラーから彼への啓示は、彼に伝授したい宗教上の教えを投げかけることであり、アッラーが彼に啓示したものの一つがこの章です。「幽精(ジン)の一団」は、3~10から成る集団です。彼らジンはクルアーンを聞いた後、自分の仲間たちのところに帰って言いました:「まことに、われらは驚くべきクルアーンを聞いた」つまり、不思議かつ驚きに値する感慨深いクルアーンを聞いた、と。それは、素晴らしい裁定、意味の深い訓戒において、他の諸典とのはっきりとした違いを持っていると。
この章が啓示された経緯としてイブン・アッバースの言葉が伝承されています。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はジンたちを見ることなく彼らにお読みになった。つまり彼らの存在に気付かないままジンたちは預言者(祝福と平安あれ)の読誦を聞いたということです。当時預言者(祝福と平安あれ)は数名の教友たちと市場に向かっているところでした。するとジンと天の情報の間が、彼らに対する流星の襲撃で隔たれてしまいます。その折にジンが言いました:何か起きたに違いない。皆、この事件の原因を知るために東と西の隅々に向かえ。彼らは出発すると、ワーディー・ナハラで教友たちとファジュルの礼拝をしている預言者(祝福と平安あれ)に遭遇しました。彼がその時に読んでいたクルアーンを聞いたジンたちは言いました:これこそが、われわれと天の情報の間を隔てたもの。その後彼らは自分の仲間の元に帰って、見て来たことを話しました。このジンたちはクルアーンを次のように描写しました:
「それ(クルアーン)は正導に導く。それでわれらはそれを信じ、われらはわれらの主になにものをも同位に配さない」
このクルアーンは真実と正しい道に導きます。この導きの自然な結果は、それがクルアーンであるとの信仰です。そのためもあって、彼らは「われらはそれを信じ」と言ったのです。クルアーンに対する信仰は、何ものも配さず、ただおひとりのみの御方アッラーを純粋に信仰することを伴います。そのため、彼らは「われらはわれらの主になにものをも同位に配さない」と言ったのです。
参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP91~93)
1.言え。「私に啓示された。幽精(ジン)の一団が(私のクルアーンの読誦を)聞いて言った、『まことに、われらは驚くべきクルアーンを聞いた』」。
2.『それ(クルアーン)は正導に導く。それでわれらはそれを信じ、われらはわれらの主になにものをも同位に配さない』。
この章は、ジンの世界にまつわる多くの先入観を正し、目に見えないこの被造物の本当の姿を解明しています。預言者の時代にクルアーンが呼びかけの対象としていたアラブ人は、ジンを得体の知れない神々の一つと捉えており、人とアッラーの間に親戚関係があると考えました。クルアーンはそのことについて言っています:「また、彼らはアッラーに幽精の同意者たちをなす」(家畜章100節)また、ジンは不可視界を知っていて、尋ねられたその情報を魔術師や占い師に伝えているとも信じていました。これは、クルアーンがこの章で突き止めたことです。預言者(祝福と平安あれ)はその事実をお嫌いになり、魔術や占いを信じることを次のように言いながら禁じました:《魔術師や占い師のところに来て、彼らの言うことを信じた者は、ムハンマドに啓示されたものを背信した者である。》
さらに、ジンには地上において権力があると思われてもいたので、荒涼とした谷で一夜を明かさなければならない時は、他人に襲われないよう、大きなジンに加護を求めました。
ジンに対するこういった形の信仰は、いろいろな人間社会に広まっていました。そして今日になってもまだ、この種の伝説や思い込みは多くの地域に残っています。
「ジン」という名前は、隠れること(イジュティナーン)から派生しています。彼らは隠れており、目に見えません。クルアーンは彼らの身体の特徴について知らせています:「ジャーンヌ(ジンのこととも、ジンの太祖イブリースのこととも言われる)を火の炎から創った。」(慈悲あまねき御方章15節)マーリジュ(炎)とは、煙が邪魔しない、純粋な火を指します。
また、ジンの存在を根本的に否定する人もいます。彼らは、目に見えない存在にまつわるいかなる話もすべて神話だと言います。
そこでイスラームは、いないと信じている人たちと信じている人たちの意見の相違の元になっているこの話題に終止符を打つ言葉を齎しました。また、真実を決定し、ジンの存在を立証し、彼らの真実を解明し、彼らに関する間違った理解を正し、彼らの見えない力に対する怯えや恐れを払拭しました。クルアーンの別の箇所では、スライマーンがジンを諸事に就かせていたことをアッラーが教え給うています。
現在の科学は、私たちの手や感覚の下にあるものを否定出来ません。かつては不可視状態にあった自然の力が、開発された機械によって五感に代わって感知されるようになりましたが、現代の科学は自らが使ったすべての力を見ることが出来ないのに、どうして自らが解明したり到達出来ない物事を否定することができるというのでしょうか。
そこで尊いクルアーンは、丸ごと一つの章を使って、ジンの行動を隠し覆っていた布を剥ぎ取りました。今回はこのことを私たちは勉強していきます。章の冒頭は次のように始まります:
「言え。「私に啓示された。幽精(ジン)の一団が(私のクルアーンの読誦を)聞いて言った、『まことに、われらは驚くべきクルアーンを聞いた』」。」
預言者(祝福と平安あれ)に向けられた呼びかけです。アッラーから彼への啓示は、彼に伝授したい宗教上の教えを投げかけることであり、アッラーが彼に啓示したものの一つがこの章です。「幽精(ジン)の一団」は、3~10から成る集団です。彼らジンはクルアーンを聞いた後、自分の仲間たちのところに帰って言いました:「まことに、われらは驚くべきクルアーンを聞いた」つまり、不思議かつ驚きに値する感慨深いクルアーンを聞いた、と。それは、素晴らしい裁定、意味の深い訓戒において、他の諸典とのはっきりとした違いを持っていると。
この章が啓示された経緯としてイブン・アッバースの言葉が伝承されています。アッラーの使徒(祝福と平安あれ)はジンたちを見ることなく彼らにお読みになった。つまり彼らの存在に気付かないままジンたちは預言者(祝福と平安あれ)の読誦を聞いたということです。当時預言者(祝福と平安あれ)は数名の教友たちと市場に向かっているところでした。するとジンと天の情報の間が、彼らに対する流星の襲撃で隔たれてしまいます。その折にジンが言いました:何か起きたに違いない。皆、この事件の原因を知るために東と西の隅々に向かえ。彼らは出発すると、ワーディー・ナハラで教友たちとファジュルの礼拝をしている預言者(祝福と平安あれ)に遭遇しました。彼がその時に読んでいたクルアーンを聞いたジンたちは言いました:これこそが、われわれと天の情報の間を隔てたもの。その後彼らは自分の仲間の元に帰って、見て来たことを話しました。このジンたちはクルアーンを次のように描写しました:
「それ(クルアーン)は正導に導く。それでわれらはそれを信じ、われらはわれらの主になにものをも同位に配さない」
このクルアーンは真実と正しい道に導きます。この導きの自然な結果は、それがクルアーンであるとの信仰です。そのためもあって、彼らは「われらはそれを信じ」と言ったのです。クルアーンに対する信仰は、何ものも配さず、ただおひとりのみの御方アッラーを純粋に信仰することを伴います。そのため、彼らは「われらはわれらの主になにものをも同位に配さない」と言ったのです。
参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP91~93)