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70章解説【3】

2014年02月20日 | ジュズ・タバーラカ解説
23.彼らは己の礼拝を履行する者たちであり、
24.また己の財産において一定の権利(貧者の取り分)が存在する者たち、
25.乞い求める者と禁じられた者(生活手段を断たれた者)の(権利として)。
26.また、宗教(裁き)の日を真実と認める者たち、
27.彼らの主の懲罰から不安を抱く者たちである。
28.まことに、彼らの主の懲罰は安全ではない。
29.また彼ら、己の陰部を守る者たち、
30.ただし、己の妻たち、または己の右手が所有するもの(女奴隷)に対しては別である。まことに彼らは非難を免れた者である。
31.それでその先を求める者、それらの者たちは法を越えた者である。
32.また彼ら、己の信託物や約束を守る者たち、
33.また彼ら、己の証言を果たす者たち、
34.また彼ら、己の礼拝を履行する者たち。
35.それらの者たちは楽園にいて、厚遇を受けている。

続いてアッラーは、先ほど除外し給うた礼拝する者たちを描写して仰せになります:「彼らは己の礼拝を履行する者たちであり」この聖句は、五回の礼拝の履行と、畏敬やアッラーに純粋に気持ちを向けるといった礼拝の権利を全うすることを意味しています。礼拝を継続して行うことは、心を繊細にし、心がかたくなってしまうのを防ぎます。また、礼拝者を貧者を救済しようという気持ちに向けます。そのために至高なるアッラーは礼拝者たちの描写として次の言葉を続け給います:

「また己の財産において一定の権利(貧者の取り分)が存在する者たち」

聖クルアーンは、義務のザカーを「一定の権利(貧者の取り分)」と表現しました。なぜなら、信仰者はザカーがアッラーに属する権利であることを知っているため、それを履行し、それを受け取るに相応しい人たちの権利から差し引いたりすることはないからです。またクルアーンはザカーを:「乞い求める者」のものとしました。乞い求める者とは、足りないものを人々に求める者です。また「禁じられた者(生活手段を断たれた者)」のものともしました。禁じられた者とは、誰にも何も求めず、また貧しさが知られていないような控えめな貧者のことです。または、大災害に遭った結果、財産を失ってしまった者、または糧を与えられずにいる者を指します。このように、禁じられた者にもザカーにおいて乞い求める者と同等の権利があります。

クルアーンは人々の間にみじめな者や禁じられた者が残ってしまわないように、この立法によって、社会的公正と社会連帯の設立を目指します。ザカーの義務は、履行者である富者が好めば払ったり払わなかったり、というような自我の意志によって決定されるものではありません。ザカーは、アッラーが富者に与え給うたお金における貧者の権利であるため、その履行は義務なのです。そのため、預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)はザカーを回収し、追従者たちに富者からそれを集めるよう命じておられたのです。しかし彼の死後、アラブの一部がザカーの放棄を宣言したため、後継者であるアブーバクル(アッラーの御満悦あれ)が彼らが宣言を撤回するまで戦ったという歴史が残っています。

アッラーによる信仰者の描写は続きます:「また、宗教(裁き)の日を真実と認める者たち」死後の審判の日に甦りと報復が起こることを認めているということです。報復の日を真実と認めることは、人生の軸であり、それによって秤が真っすぐになります。その日を真実と認めない人は、現世の生活こそがすべてであることを基に行動するので、罪に浸り、アッラーの権利に対する怠慢や過失をなんとも思いません。代わって報復の日を真実と認める人は、この生活は死後に続く、至福となるか罰となるかの永遠に消えない命の始まりであると理解した上で、己の行動を量ります。

信仰者の特徴には次のものが挙げられます:
「彼らの主の懲罰から不安を抱く者たちである。まことに、彼らの主の懲罰は安全ではない。」

信仰者たちは、自分らの主の懲罰から「不安を抱く者たちである」つまり、怖れているということです。なぜならどんなに服従していたとしても、誰もこの懲罰から安全で居られることはないからです。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は常にアッラーに対する畏れの念を抱いておられましたが、アッラーからの慈悲なしでは己の行為のみで楽園に入れることはないと確信しておられました。彼はかつて教友に次のように言われました:《誰も己の行為で楽園に入ることはない。》あなたさまもですか?アッラーの使徒さま。彼は言われました:《アッラーがその御慈悲の徳で私を覆ってくださらないかぎり、私も同じである》。(アル=ブハーリーとムスリムが伝承)

信仰者の特徴として次のものも挙げられます:
「また彼ら、己の陰部を守る者たち、ただし、己の妻たち、または己の右手が所有するもの(女奴隷)に対しては別である。まことに彼らは非難を免れた者である。それでその先を求める者、それらの者たちは法を越えた者である。」

信仰者は貞操を守り、妻か、己が所有する女奴隷としか交わりません。彼らはこのことにおいて非難されることはありません。しかし妻以外の女性や女奴隷と交わる者たちは、合法を通り越して禁止を犯しています。

ここで、奴隷に関するさまざまな疑問に答えるために少し立ち止まりましょう。夫婦関係は、どこの習慣でも法律でも存在している制度です。「または己の右手が所有するもの(女奴隷)」つまり所有する女奴隷については少し解説が必要かもしれません:

イスラームが到来した当時、奴隷制度は世界的に存在していました。戦争捕虜を奴隷にすることも国際的な制度として定着していました。そのため敵たちと常に争っていたイスラームがこの制度を消し去ることはできませんでした。ムスリムの捕虜は敵の許で奴隷にされるのに、イスラームは捕らえた敵の捕虜を自由の身にする、ということはできないからです。

そこでイスラームは、捕虜が平等扱われる制度が人類上に誕生するまでは、戦争捕虜以外の奴隷誕生の根源を基から絶ちました。イスラームの野営地に女性捕虜が連れて来られた場合、彼女を奴隷にすることにおいて同等の決まりが則られます。この奴隷化に伴うこととして、彼女らの地位は妻と同等にまで上昇しないということがあります。イスラームは彼女らと妻のように交わることを合法としたことで、女奴隷たちに恩恵を与えました。なぜなら彼女たちの尊厳はイスラーム以外の土地では売春婦のように望む者の欲しいままにされていたからです。(大抵の場合、これが戦争捕虜女性達の行く末でした。)イスラームは女奴隷を彼女たちの主人だけの所有物とし、彼以外誰も彼女たちに手を出す者はいないようにしたのです。

また女奴隷はさまざまな手段で自由の身になることが出来ました:出産がそうです。己の主人の子を産むと、産んだ子が彼女を自由の身にする、つまり、彼女は子の売られることのない母となり、主人の死の直後に自由の身になります。

他には:奨励行為としての奴隷解放や、罪の償いが挙げられます。また、女奴隷が主人にある金額支払うことを主人が合意すれば、彼女のがその金額を完済することで自由の身になります。

もちろん、イスラームはザカーの配分先の一つを、奴隷の解放のためと定めてもいます。また、奴隷の解放を奨励しており、それがしもべをアッラーに近付ける最も偉大な行為であることも解明されています。それだけでなく、ある罪の償いとして奴隷の解放を定めてもいます。わざと断食斎戒を破った者は奴隷を解放しなければなりませんし、誓いを破った者も奴隷を解放しなければなりません。また巡礼の儀礼を間違えたら奴隷を解放しなければなりません。このように、イスラームは奴隷解放が長期間に渡って容易に進むための法を制定したのです。

またイスラームは奴隷に至誠を尽すよう何度も言付けてもいます:預言者(アッラーの祝福と平安あれ)は言われました:
《おまえたちの兄弟は奴隷である。己の手元に兄弟がいる者は、己が食べる者を彼に食べさせ、己が着るものを彼に着せなさい。また彼らに負えられないことを課してはならない。彼らに何かを課すときは、援助しなさい》。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP66~71)