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預言者伝23

2011年10月04日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
73.クライシュのマディーナに住むムスリムたちに対する嫌がらせ:
  マディーナに落ち着き、大きく花開き、日を重ねるごとに力を増し、広がるイスラーム。クライシュは、このような状態が続くことで自分たちの手綱から、ムスリム達が逃れるのを恐れました。イスラームはまさに、成長し、力強い若者のように変化して行ったのです。

  そこでクライシュはムスリムたちに対する敵意と戦意をむき出してきました。彼らの敵意はあらゆる方面から忍び寄りましたが、アッラーはムスリムたちに忍耐し、許すことを命じ、「手を出してはいけません。礼拝に立つように。」と仰せになりました。安寧な生活を送り、容易に崇拝行為に専念し、欲望に勝てるようになるために。

74.戦闘の許可:
  準備が万端に整ったところで、ムスリムたちは戦闘を許可されますが、それは戦いが彼らの義務となったことを意味しません:「戦いをし向ける者に対し(戦闘を)許される。それはかれらが悪を行うためである。アッラーは、かれら(信者)を力強く援助なされる。」(巡礼章39節)

75.アブドゥッラー・イブン・ジャハシュの遠征とアル=アブワーの戦:
 アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は各地に軍や使節団を送り始めました。それらの多くは戦うことなく、小競り合いで済み、多神教徒たちの心に恐怖を投げ込む目的のもので、ムスリムたちの頑強さと活発さを顕現させる動きとなりました。

 その中から、アブドゥッラー・イブン・ジャハシュの遠征についてお話しておきましょう。実はこの遠征に関する聖句が啓示されており、クルアーンはムスリムたちが犯すすべての過失に対応すること、そしてクルアーンはすべての民族、文明にとって裁決において公正な秤であることに焦点を当てているためです。この遠征を簡潔に纏めると:

 アッラーの使徒(平安と祝福あれ)はアブドゥッラー・イブン・ジャハシュをヒジュラ暦2年のラジャブ月に、8人のムハージルーン(移住者たち)と一緒に送りました。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)はある書簡を彼に持たせ、2日経つまで読んではいけないと命じました。また、命ぜられたことを実行し、同行者の誰をも強制してはいけないとも命じました。

 2日経過後、アブドゥッラーは書簡を開き、読んだところ、そこには:これを読んだら、マッカとターイフの間にあるナツメヤシの木のところまで進み、そこでクライシュを待ち伏せなさい。彼らの情報を集めておくこと、と書かれていました。それを読んだアブドゥッラーは、「聞き、従います」と言って、「アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は私に、クライシュを待ち伏せるために木の場所まで行くようお命じになった。彼のためにクライシュの情報を集めるためだ。また君たちに強制することも私に禁じられたので、殉教を望む者は前進し、それを嫌う者は帰るが良い。私は、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)のご命令のために進んで行く」と仲間たちに言いました。仲間たちは一人残らずアブドゥッラーと共に進んで行きました。

 アブドゥッラーと仲間は木に到着し、そこに、アムル・イブン・アル=ハドラミーを含むクライシュのキャラバンが通りかかりました。彼らはムスリムたちの近くに滞在しようと足を止めたので、アムルは彼らを見て怖がりました。そこにすでに髪を剃り下ろしたアッカーシャ・イブン・ムフセン(ムスリムの一人)が彼らを見下ろしながら、「皆、心配ないぞ」と仲間に言い聞かせると、クライシュをどうするか話し合いました。それはちょうどラジャブ月最終の日でした。ムスリムたちは言いました:「アッラーにかけて、あいつらを今夜放っておくと、ハラム(聖地)に侵入して、君たちを入れさせなくするだろう。代わって、君たちが彼らと戦うことを選べば、聖月に彼らと戦うことになってしまう。」仲間らは動揺し、クライシュに近づくことを恐れましたが、結局自分たちを励まして、出来る限りの敵を成敗し、戦利品を集めました。ワーキド・イブン・アブディッラー・アッ=タミーミーはアムル・イブン・アル=ハドラミーを弓で殺し、2名を捕虜として捕らえ、アブドゥッラー・イブン・ジャハシュと仲間らはキャラバンと捕虜と共に帰っていきました。

 マディーナのアッラーの使徒(平安と祝福あれ)のところに戻ると彼は言いました:「私は君たちに聖月の間、戦うよう命じなかったではないか。」彼はキャラバンと捕虜を止め、それらの何をも受け取ろうとしませんでした。アッラーの使徒(平安と祝福あれ)がかの言葉を口にした瞬間、遠征に出た人たちは、自分たちは失敗を犯してしまったと悟りました。また彼らの兄弟であるムスリムたちは彼らの行為を嫌い、クライシュは、「ムハンマドとその仲間は聖月を犯し、その中で流血を起こした」と言いました。そこでアッラーは次の聖句を啓示し給いました:「かれらは聖月中に戦争することに就いて、あなたに問うであろう。言ってやるがいい。「聖月中に戦うことは重大事である。だがアッラーの道に近付くのを妨げ、かれを否定し、また聖なるマスジド〔アル・マスジド・ル・ハラーム〕を汚し、そこ(の聖域)に住む者を追放することは、アッラーの御目にはもっと重大事である。迫害は、殺害より遙かに悪い。」」(雌牛章217節)

 イブン・カイイム・アル=ジャウズィーヤ師は『ザード・アル=マアード』の中で次のように言っています:「(聖句が指している)意味は以下の通り。アッラーは御自身の側近たちと敵の間を公平、公正に裁き給い、御自身の側近たちが犯した聖月中の戦いを無罪とせず、それは重大事であったとを知らせ給うた。また敵である多神教徒たちが行っていることは、聖月に戦うことよりもより重大で深刻であるため、彼らこそが非難、恥、罰に相応しいとも仰せになっている。側近たちが多神教徒との戦いを考慮の上決めたとしても、彼らが怠慢であったとしても、彼らが成したタウヒードや服従行為、アッラーの使徒との移住、アッラーの御許にあるものの希求のために、アッラーは彼らを赦し給うのだ。」

 またアッラーの使徒(平安と祝福あれ)はご自身で「アル=アブワーの戦」に臨みました。この戦いはご自身で臨んだ初めての戦いであり、難なく無事に戻りました。そして多くの戦いや遠征がこれに続きます。

76.ラマダーン月の斎戒が義務とされる:
 ヒジュラ暦3年に、斎戒が義務とされましたが、それはムスリムたちの心にしっかりと信仰が備わり、礼拝に慣れ、それを大切にし、諸命令や決まりを受け入れるようになった後のことでした:「信仰する者たちよ、あなたがた以前の者に定められたようにあなたがたに斎戒が定められた。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。」(雌牛章183節)、「ラマダーンの月こそは,人類の導きとして、また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーンが下された月である。それであなたがたの中、この月(家に)いる者は、この月中、斎戒しなければならない。」(雌牛章185節)

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P209~213)


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