人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

大きなめまい、発症【ニート後遺症、闘病中】

2016年03月03日 | 脱ニート者の日常
来るべきモノが来てしまったのか、バイト中に眩暈。
クラクラしながらも問題なく作業を終え、帰宅。

過労よりもメンタル。日付を扱う作業は辛い。数字に追い詰められる。

とにかく気持ちを楽に楽に、落ち着こう。

甘えてるニート関係者に贈る川柳14

2016年03月03日 | 脱ニート者の日常
脱ニート者川柳14

奇跡など、起こらないから、「奇跡」だよ




なぜか曖昧にぼんやり「奇跡」を待ち続ける。漫画の主人公にでもなったつもりで。主人公になるならそれ相応の戦いをしなくてはいけない。最近じゃ脇役でさえ主人公以上に活躍しないと評価されない。何もしなければ「人生の主役になれない」どころか脇役すら、舞台にすら上がれない、劇場にさえ入れず観客にさえなれない。劇場の外で、派手やかな看板をみながら足をかかえて蹲っているだけ。そんな奴にはなんの奇跡も起きない。主人公にだってめったに起こらないから「奇跡」なんだから。

ニート・今するべきことを後に回し続けて20年【ニート後遺症、闘病中】

2016年03月03日 | 脱ニート者の日常
今日できることは今日する。

が、できない。
からニートになる。

自分としては、段取りとして今やるべきことと後でも問題ないものに整理して、優先順位の高いものからやっつけている。これ自体は問題なく正しい行動だが、ニート化する性質を持っている人はこれを言い訳に「やりたくないこと」を後回しにしてしまう。

単純に、合理的打算的に、作業を構成できることが前提であり、そこに好みや感情が入ったら一気にこれは最悪手となる。今できることを後に回す。今日できることを明日に回す。今年できることを来年に回す。そして十年が過ぎ二十年が過ぎる。

ニート・ひきこもり(両者をひとくくりにするのは問題あるが)は、そうやって「今日」を後回しにしてきた結果、人生の「ある日」のまま時間を止めてしまった。現実をみずに「その日」をずっと生きている。「今日」を「明日」に回し、「明日」になればまたその翌日に回す。面倒事や嫌なことを「明日」に預けて、「今日くらいは何も考えずにのんびりしよう」なんてまるで多忙な一流サラリーマンのような一言すら吐いて「今日」をぼんやり過ごす。明日になってもそれをする。そして一年、五年、十年、二十年。

ニート化する人は更に、明日になったら何とかなる・何かが変わっている、と漠然と考えてしまう。検体が俺だけなので全ての人に当てはまるかどうかはわからないが。「何か」って何?働いてなきゃ収入はゼロだ。何もしてなければ誰かに評価されることもない。芸術芸能で一旗あげたいなら作っては出し作っては出ししなくてはならないのに明日になったら作るを繰り返してばかりじゃ、ゼロだ。ほんの少し、何かをやって今日を頑張った気になっている。昨日も吐き出したが「自分なりに」は一切、無意味。世の中、他者の評価だけが自分を生かしてくれる。どんなに偉そうなことを言っても、それだけは事実。こんな風に偉そうに言ってる俺も、その事実の前に時給800円×4時間で、先細り生活を送っている。

ニート化しそうな人、現ニート、脱ニート者、俺らが考えていることは9割、「言い訳」なんだ。全部、と言ってもいい。何に対しての言い訳かは人それぞれだろうが、恐らくきっと「ビビってる」ことへの「言い訳」に集約される。社会、人、自分の能力や価値が評価される、ちゃんとできるかどうか。がんばって一歩進めば、打ちのめされる。そしてまた「言い訳」だ。

打ちのめされて泣いたら、また打ちのめされに出ていく。その繰り返しができない。弱い。
普通の人はみんな、そうやって暮らしている。そうやって仕事をしている。それが普通。できないじゃなくて、やるんだ。
打たれ強くはなれない。だからもうボロボロ泣きながらゲェゲェ吐きながらブルブル震えながら仕事する。
弱くていいわけない。けど、強くなれないなら仕方ないだろ。強くなろうとすることくらいはできるだろ。せめて「言い訳」ばかりして現実と直面することから逃げて、時間を止めてしまうような最弱よりはいい。

それもリハビリ。