洋kさま、西やんさま、コメントありがとうございます。
確かにもう少し気分を楽にしていられたらとも思います。
が、おろそかにしてきた現実と過ぎてしまった時間の重さは測り知れず…事態が自分一人のことであれば、いいんです。フリーターになったのも、ニート化したのも、そのまま十数年暮したのも自分のせいなので、辛くても当然ですし、逆に、だから焦らずにゆったりいこうとも思えるかもしれません。それでは間に合わないんです。
母がいます。体調を崩し気味で、長い間継続的に咳をします。先日も腹痛を訴えました。そんな時、何もできません。医者は勿論、薬も買えない。栄養のつくものを食べさせることもできない。「もうちょっとの辛抱だから」もいえない。「もうちょっと」耐えた先にどこにもたどりつかないことを二人ともわかっているからです。
毎日が不安です。何かの拍子に急変してしまうのではないかという不安と恐怖で眠れなくなります。昨年、近辺で数名の方が亡くなりました。ご高齢の方もいらっしゃいました。その全員が急逝でした。朝、姿を見ないので家族が捜したら…という形です。それを喰いとめる術がありません。
何より、前述しましたが、現状のままだといつまでたってもこの状況が打開できないんです。何とか最低限の食費・生活費は稼いでいますが全てとって出し状態です。
せめてあと、半日働かないと。でも働く場所がない。
母のことばかりですが、自分自身の体も考えないと、です。
ここに何度も書いているように、無理をして体を壊して再びニート化したら、今度こそ、どうにもならなくなります。母と、そうなった時のことを話すと、生活保護、という話が出ます。生きる為だけに生きる暮らしに、母は耐えきれないといいます。俺も同様です。俺はともかく、母の晩年にそのような記憶を与えたくありません。この方面の話はまた色々と誤解もあるかもしれないのでそちらには今は余り触れずにおきます。
もしものことがあってからでは遅い、という意識に追い立てられます。そしてこれは「そんなこと、そうそう起こらない」で楽観的に括れはしません。だって、起こりますもん。
とはいえ、じゃあ一日中、眉間にしわよせてギリギリと生きているのかというとそうでもなく、お二人がおっしゃってくれているように記を抜いて楽にする瞬間もありますし、そうしたいとも思うんです。ですが(また「ですが」で申し訳ありません)、そうした時間が、後から俺を苦しめたりします。また時間を無駄にしたのかと。そうではなくて、心にだってちょっとした休憩は大事だとも分かってはいるんですね。でも、理解と実感は別物で。
気を楽に持つこと自体が、罪悪感となってしまう状態です。その罪悪感を持たないようにと考えても厳然とそこにある現実を無視はできません。今日一日働いて、3000円ちょっと。フルタイムなら、単純計算で6000円。その差額3000円、5日働けば15000円のプラス。がんばれば定期的には無理でも一度くらいなら医者にも連れていけるし薬も買える、かもしれない。それができずに今日が過ぎる。それがまた精神を圧迫する。
現状を続けてはいけないということです。俺の場合。続けることで少しでもプラスになっていくものがあるなら、気を抜く瞬間も楽しく受け入れられそうなのですが。
コメントありがとうございました。
いただいたコメントに文句をつけるとかじゃないんです。おしゃってくださるようにやっていきたいと思うんです。そう思えば思うほど、こうグダグダと述べたような現実が俺を圧迫していくるのも事実で。結局、最低限、継続を納得できる仕事に就かないとダメだという一つの現実を再認識しました。
こんなことを色々と考えながら、今日も4時間の肉体労働やってきます。
確かにもう少し気分を楽にしていられたらとも思います。
が、おろそかにしてきた現実と過ぎてしまった時間の重さは測り知れず…事態が自分一人のことであれば、いいんです。フリーターになったのも、ニート化したのも、そのまま十数年暮したのも自分のせいなので、辛くても当然ですし、逆に、だから焦らずにゆったりいこうとも思えるかもしれません。それでは間に合わないんです。
母がいます。体調を崩し気味で、長い間継続的に咳をします。先日も腹痛を訴えました。そんな時、何もできません。医者は勿論、薬も買えない。栄養のつくものを食べさせることもできない。「もうちょっとの辛抱だから」もいえない。「もうちょっと」耐えた先にどこにもたどりつかないことを二人ともわかっているからです。
毎日が不安です。何かの拍子に急変してしまうのではないかという不安と恐怖で眠れなくなります。昨年、近辺で数名の方が亡くなりました。ご高齢の方もいらっしゃいました。その全員が急逝でした。朝、姿を見ないので家族が捜したら…という形です。それを喰いとめる術がありません。
何より、前述しましたが、現状のままだといつまでたってもこの状況が打開できないんです。何とか最低限の食費・生活費は稼いでいますが全てとって出し状態です。
せめてあと、半日働かないと。でも働く場所がない。
母のことばかりですが、自分自身の体も考えないと、です。
ここに何度も書いているように、無理をして体を壊して再びニート化したら、今度こそ、どうにもならなくなります。母と、そうなった時のことを話すと、生活保護、という話が出ます。生きる為だけに生きる暮らしに、母は耐えきれないといいます。俺も同様です。俺はともかく、母の晩年にそのような記憶を与えたくありません。この方面の話はまた色々と誤解もあるかもしれないのでそちらには今は余り触れずにおきます。
もしものことがあってからでは遅い、という意識に追い立てられます。そしてこれは「そんなこと、そうそう起こらない」で楽観的に括れはしません。だって、起こりますもん。
とはいえ、じゃあ一日中、眉間にしわよせてギリギリと生きているのかというとそうでもなく、お二人がおっしゃってくれているように記を抜いて楽にする瞬間もありますし、そうしたいとも思うんです。ですが(また「ですが」で申し訳ありません)、そうした時間が、後から俺を苦しめたりします。また時間を無駄にしたのかと。そうではなくて、心にだってちょっとした休憩は大事だとも分かってはいるんですね。でも、理解と実感は別物で。
気を楽に持つこと自体が、罪悪感となってしまう状態です。その罪悪感を持たないようにと考えても厳然とそこにある現実を無視はできません。今日一日働いて、3000円ちょっと。フルタイムなら、単純計算で6000円。その差額3000円、5日働けば15000円のプラス。がんばれば定期的には無理でも一度くらいなら医者にも連れていけるし薬も買える、かもしれない。それができずに今日が過ぎる。それがまた精神を圧迫する。
現状を続けてはいけないということです。俺の場合。続けることで少しでもプラスになっていくものがあるなら、気を抜く瞬間も楽しく受け入れられそうなのですが。
コメントありがとうございました。
いただいたコメントに文句をつけるとかじゃないんです。おしゃってくださるようにやっていきたいと思うんです。そう思えば思うほど、こうグダグダと述べたような現実が俺を圧迫していくるのも事実で。結局、最低限、継続を納得できる仕事に就かないとダメだという一つの現実を再認識しました。
こんなことを色々と考えながら、今日も4時間の肉体労働やってきます。