⑧ スペイン モトリル(4/24 木)
モンテネグロ コトルを出たピースボートは、南下してイタリア シチリア島の南側からほぼ西方に針路をとり、スペイン南部の太陽海岸(コスタ デル ソル)と呼ばれる地域に3日間かけてたどりついた。4月24日、その中のモトリルという港町から、内陸にバスで1時間半ほど北上すると、グラナダのアルハンブラ宮殿に行けるし、クロマニヨン人の住居遺跡や彼らが描いたとされる壁画のあるネルハという地へのOPもある。判断つかず申し込まなかったので自分らで散策することにした。どうもアルムニューカルと発音しにくい街まで行けばどちらの方面にも行けるようだ。30分ほどで着いたのだが、その道中がすごい。高速並みの気持ちいい道路の眼下に地中海―太陽海岸がひろがっている。 ここを歩くというOPもあったようだで、ピースボート軍団と思しき一行の姿も豆粒くらい遠くだが認められた。この街並みもなんとなくいい雰囲気だし、ネルハ行きバスが2時間待ちで行けても帰りが心配なので断念せざるをえず、この街を探索することとした。ブラブラ歩くうちに12時となり、カフェで食事も頼んだのだが、でも何となく勝手が悪い。客は私らだけなのに半時間近く待たされる。そうでした、昼食には早すぎるんですね。ラテンの時間感覚を忘れていた。料理のエビは新鮮でお得だったけれど、肝心のパエージャがべたついて少々期待外れ。時間感覚と言えば、続けて失敗することになる。食後、展望台から改めて太陽海岸のすばらしさを見た後、観光名所のお城にたどりつく。閉まっている??よく見れば小さな表示「14時~16時はシェスタ午睡の時間」。ホントに急峻な坂道をよたよた登ってきたというのに。思わず、大声で「殿、ご開門をー」と叫んだ。もちろん町全体が眠りこけているのか、まわりに人はいなかったけど・・嫁さんが、軽蔑の眼差しで見ている・・。ここを降りる道も、ミニ・ミコノス島みたい、入り組んで細い。観光地図頼りに降りていくと今度は植物園風(これも当然閉まってます)、Bonsaiとある、盆栽も世界語なんですネ。教会も外観を見るだけ、16時まで待てず15時のバスでモトリルに帰りました。
そこでタパスを食するためにBAR(バルと読む、バー 気軽な居酒屋のこと)に立ち寄りました。タパスとは、そこで出されるアテ、つまみの小皿のことで店ごとに自慢の品が出てくるという。ピルゼン(ピルスナー)ビールとともに、タパスを頼んだところ、生ハムとパンのお皿、オリーブのお皿の二つが出てきた。オリーブがおいしい、病み付きになりそう。そして、勘定を頼んだら、ビールと妻のコーヒーだけで、件クダンのタパスの分はついていません。サービスということらしい。感激! その店の他の席では、ピースボートのHさん(航路説明をするえらいさん)が船員と、さらにそのうち別の店の客(もと船員のようだ)と親交を深めていた。まっ赤な顔をしていたので、店を出るとき「帰船時間遅れないよう」と言い置いたら、最初キョトンとし、やがて豪快に笑っておられた。
いい街だ。1日だけしかスペインには立ち寄らなかったが、逢坂剛の小説などから、ゆっくり来て見たいと思う国だ!可能性??
⑨ ジブラルタル(英領) (4/25 金)
アア、知らなんだ、知らなんだーー。ジブラルタルはただの海峡の名と思っていたのに港がありそれも英領、スペインの先っちょが英領?! おまけに反対側のアフリカ大陸はモロッコなのに、それも先っちょだけが今度はスペイン領でセウタという?!
この疑問も水先案内人と呼ばれるジャーナリストIさんによって事前講習を受けました。しかも、それを定めたのがユトレヒト条約とのこと。何世紀遡るのかな。いろいろ転変があり、またこの2、3年、英国とスペインの関係がこの地を巡って緊張気味だそうだが、まあいい、読者諸氏もいいかげん歴史の話に疲れたことでしょうから、早速、英領ジブラルタルの町に繰り出しましょう(狭いのでOPは申し込まず)。
軍事・交通の要衝でありますから南端に灯台があります。ヨーロッパ側の南端という意味でヨーロッパ・ポイントと言われます。そして△の岩山が特徴的で、海沿いに市街地が山にへばりついているように見えます。 変わっているのはスペインとの国境線に沿うように飛行機の滑走路が伸び、海上に少し突き出ています。辺野古もこんな風にやられるのでしょうか。離着陸は見れませんでしたがジェット雲が延びていくのを2回確認しました。その近くに船のターミナルがあるので、市の中心部までは20分ほど歩いて行かなければなりません。観光地としても人気があるようで欧米人が溢れかえり、昼時なんぞは肩の肌や胸元を露にし夏バカンスモードのおば(あ)さんたちが闊歩しています。ただ、ユーロも米ドルも使えますが、英領なので、この地独特のジブラルタル・ポンドが通貨として発行されており、郵便切手はこれでしか買えないために、両替をしたところ50€=40ポンドだから、1ポンド=170円といったところでしょうか。観光ポイントはケーブルカーで展望できるところに上がると地中海とジブラルタル湾が望めます。そして野生の猿が集い、観光客の人気を集めおり、時たま嬌声も聞こえます。「何が珍しいねん? 動物園でいつでも見られるやん。大阪では箕面に行けば・・」と内心毒づいていたのですが、そうです、ニホンザルではないのですネ。まあ、しかし、お天気にも恵まれ、地中海の海と空の美しさに昨日に続き感動ものです。でも、遅れて登ってきた同じピ-スボートの若者たちの「ワー すげえ」と何回も大声で繰り返しているのが聞こえてくると(このまわりくどい言い方は聞こうと思っているわけではないのに)「感嘆詞以外の言語感覚の乏しいやつらめ。しかも外国人いっぱいいる中で傍若無人に日本語わめき散らすな」と思ってしまいます。もうおじいさんなので、黙って離れるだけです。
デ、山をおりたところのカフェでお茶を兼ねてランチといたしましょう。サンドイッチのつもりが、サーディンが今日はおいしいというので、ついビールも・・。焼いた皮が香ばしくて、鰯を見直したわけです。ポンドではちょうどこのビール分くらいが不足するのでユーロ―を使い、土産物屋街をぶらぶらし、孫の土産をポンドで買いました。あと6ポンドと小銭が残りました。帰船リミットが近づいてきたので、最後に冷たいものを食べようとスムージーの店で「ハウ マッチ」とやると一つ3.5、二つだと7ポンドということです。6ポンド出し、小銭のポンドを全部見せ、これで1ポンドあるかと聞いたところ、3枚の硬貨を返してくれて、「Not 7、but our charity」ダッテ・・施しをうけたのです(昨日のタパスに続き連日のラッキー賞です)。残った3枚は2枚が2ペンス、1枚が1ペンス、あわせて5ペンス=8円くらいで、大道芸人にあげたらと言います。コーヒーとラズバリーのスムージーは入れたアイスクリームがいいのでしょう、とてもおいしく、冷たく、気分よく帰れました。でも、こんなに硬貨多いとはネ。日本で言えば1円、2円、5円、10円、20円、50円(ここまでペンス)に、やっと1ポンド(これも硬貨)、なんてややこしい。
この海峡を越えれば、そこはもう、大西洋!!
⑩ モロッコ カサブランカ・ラバト(4/26 土)
もう大西洋に入ったのだから、ほんとは次の章に入れるべきだけれど、3連続の寄港で翌日からは長くクルージングが続くので、リズムで言えば地中海の最後となる。だから、映画でも有名なカサブランカに入港しても、なかなかアフリカという感覚をもちにくい。何といっても人口500万人の大都会、妻が数年前来た時には無かったというトラムも走っている。
OPは、カサブランカと首都ラバト(バスで約1.5時間)の駆け足観光コース、だから多くの人が申し込んだようでバスは6台?仕立て。これでえらい目にあいます・・・。
カサブランカでは、何と言っても「ハッサンⅡ世モスク」、ミナレット(モスクに付随する尖塔)の高さ200m、礼拝者2万人以上を収容でき、世界第3位の大きさを誇るモスクという。大西洋の一部を埋め立て現代技術を駆使して建てたものだから、きれいで身を清めるシャワールームの設備や礼拝場などの空調なども完備とのこと。他に観光資源も少ないようなので、国家戦略としても、アフリカのメッカ的存在にしたいのかもしれない。ここで現地ガイドさんから、二本円柱のミナレットの地域もあるが、モロッコでは1本の四角柱であることを教えてもらった。もう1ケ所、歴代王の聖廟が美しい
その後、首都まで時間がかかるので、11時と超早めの昼食となり、ホテルのレストランに入ったのであるが、マ、あたしゃ呆れたね。次から次へとバス6台、250人くらいが詰めかけるのである。バイキングで、取れる料理の並ぶ場所は1ケ所・・、情報不足で、乗客を事前に仕切ることをしなかったため、右から左から群がる、紳士淑女もかくや・・・また、向かい合ったケースには同じ料理が入っているのだが1周ぐるりとまわり方向がぶつかり合う者が出てくる。お人よしが並んで待っているうちに一皿目を終えたものが隙間を狙って一品だけとっていく・・これがピースボートか?!それとも難民船か?!デ、おまえはどうしてたか?って。空いているデザートコーナーで5種類くらいのケーキをとってきて(一時にこんなにケーキ食べたの人生で初めて)、20分くらいたってやっと人の波がひいてから、やおら料理を取りに行きました。マ、何を偉そうに言っているのかとお叱りの声を受けそうであるが、修学旅行に連れて行く立場の教員出身だけに、こんな「想定内」の混乱は許せないのである。各バスに、旅行会社のスタッフが引率者、お手伝いでCC(通訳)が同行しているのだが、こういう「危機管理」には慣れていないようだ。
さらに首都ラバトについてからも、この混乱は続くことになる。自由時間をとった市場(スーク)見学(これは楽しかった、もっと時間がほしかった、皮のベルトを4ユーローで買う)の後、その向かい側の観光名所である砦の見学およびトイレ休憩があったのだが、これが長蛇の列、延々と待つこと、待つこと。およそ半時間以上のトイレ休憩、しびれが切れるころに、やっと移動したかと思ったら、門の外の民家見学の散歩は10分も無いなど要領の悪いことおびただしい。もちろん大勢の人間が溢れ、囲い込みをしておかないと大変という事情も分かるが、行くコースの順番を半数づつ逆にするとか、臨機応変の処置・工夫ができない。OPを企画・実行するジャパングレイスの問題ですナ
ト、モロッコのことがほとんど書けず、読者の皆さんには楽しくないレポートですみません。やっぱり仕事人間の癖はなかなか治らないんですね・・あと、写真は民家のところの少年。ちなみに、OPに行かなかったある夫婦は、カサブランカ市内観光で「寿司」を食べれて良かったとのこと。
モンテネグロ コトルを出たピースボートは、南下してイタリア シチリア島の南側からほぼ西方に針路をとり、スペイン南部の太陽海岸(コスタ デル ソル)と呼ばれる地域に3日間かけてたどりついた。4月24日、その中のモトリルという港町から、内陸にバスで1時間半ほど北上すると、グラナダのアルハンブラ宮殿に行けるし、クロマニヨン人の住居遺跡や彼らが描いたとされる壁画のあるネルハという地へのOPもある。判断つかず申し込まなかったので自分らで散策することにした。どうもアルムニューカルと発音しにくい街まで行けばどちらの方面にも行けるようだ。30分ほどで着いたのだが、その道中がすごい。高速並みの気持ちいい道路の眼下に地中海―太陽海岸がひろがっている。 ここを歩くというOPもあったようだで、ピースボート軍団と思しき一行の姿も豆粒くらい遠くだが認められた。この街並みもなんとなくいい雰囲気だし、ネルハ行きバスが2時間待ちで行けても帰りが心配なので断念せざるをえず、この街を探索することとした。ブラブラ歩くうちに12時となり、カフェで食事も頼んだのだが、でも何となく勝手が悪い。客は私らだけなのに半時間近く待たされる。そうでした、昼食には早すぎるんですね。ラテンの時間感覚を忘れていた。料理のエビは新鮮でお得だったけれど、肝心のパエージャがべたついて少々期待外れ。時間感覚と言えば、続けて失敗することになる。食後、展望台から改めて太陽海岸のすばらしさを見た後、観光名所のお城にたどりつく。閉まっている??よく見れば小さな表示「14時~16時はシェスタ午睡の時間」。ホントに急峻な坂道をよたよた登ってきたというのに。思わず、大声で「殿、ご開門をー」と叫んだ。もちろん町全体が眠りこけているのか、まわりに人はいなかったけど・・嫁さんが、軽蔑の眼差しで見ている・・。ここを降りる道も、ミニ・ミコノス島みたい、入り組んで細い。観光地図頼りに降りていくと今度は植物園風(これも当然閉まってます)、Bonsaiとある、盆栽も世界語なんですネ。教会も外観を見るだけ、16時まで待てず15時のバスでモトリルに帰りました。
そこでタパスを食するためにBAR(バルと読む、バー 気軽な居酒屋のこと)に立ち寄りました。タパスとは、そこで出されるアテ、つまみの小皿のことで店ごとに自慢の品が出てくるという。ピルゼン(ピルスナー)ビールとともに、タパスを頼んだところ、生ハムとパンのお皿、オリーブのお皿の二つが出てきた。オリーブがおいしい、病み付きになりそう。そして、勘定を頼んだら、ビールと妻のコーヒーだけで、件クダンのタパスの分はついていません。サービスということらしい。感激! その店の他の席では、ピースボートのHさん(航路説明をするえらいさん)が船員と、さらにそのうち別の店の客(もと船員のようだ)と親交を深めていた。まっ赤な顔をしていたので、店を出るとき「帰船時間遅れないよう」と言い置いたら、最初キョトンとし、やがて豪快に笑っておられた。
いい街だ。1日だけしかスペインには立ち寄らなかったが、逢坂剛の小説などから、ゆっくり来て見たいと思う国だ!可能性??
⑨ ジブラルタル(英領) (4/25 金)
アア、知らなんだ、知らなんだーー。ジブラルタルはただの海峡の名と思っていたのに港がありそれも英領、スペインの先っちょが英領?! おまけに反対側のアフリカ大陸はモロッコなのに、それも先っちょだけが今度はスペイン領でセウタという?!
この疑問も水先案内人と呼ばれるジャーナリストIさんによって事前講習を受けました。しかも、それを定めたのがユトレヒト条約とのこと。何世紀遡るのかな。いろいろ転変があり、またこの2、3年、英国とスペインの関係がこの地を巡って緊張気味だそうだが、まあいい、読者諸氏もいいかげん歴史の話に疲れたことでしょうから、早速、英領ジブラルタルの町に繰り出しましょう(狭いのでOPは申し込まず)。
軍事・交通の要衝でありますから南端に灯台があります。ヨーロッパ側の南端という意味でヨーロッパ・ポイントと言われます。そして△の岩山が特徴的で、海沿いに市街地が山にへばりついているように見えます。 変わっているのはスペインとの国境線に沿うように飛行機の滑走路が伸び、海上に少し突き出ています。辺野古もこんな風にやられるのでしょうか。離着陸は見れませんでしたがジェット雲が延びていくのを2回確認しました。その近くに船のターミナルがあるので、市の中心部までは20分ほど歩いて行かなければなりません。観光地としても人気があるようで欧米人が溢れかえり、昼時なんぞは肩の肌や胸元を露にし夏バカンスモードのおば(あ)さんたちが闊歩しています。ただ、ユーロも米ドルも使えますが、英領なので、この地独特のジブラルタル・ポンドが通貨として発行されており、郵便切手はこれでしか買えないために、両替をしたところ50€=40ポンドだから、1ポンド=170円といったところでしょうか。観光ポイントはケーブルカーで展望できるところに上がると地中海とジブラルタル湾が望めます。そして野生の猿が集い、観光客の人気を集めおり、時たま嬌声も聞こえます。「何が珍しいねん? 動物園でいつでも見られるやん。大阪では箕面に行けば・・」と内心毒づいていたのですが、そうです、ニホンザルではないのですネ。まあ、しかし、お天気にも恵まれ、地中海の海と空の美しさに昨日に続き感動ものです。でも、遅れて登ってきた同じピ-スボートの若者たちの「ワー すげえ」と何回も大声で繰り返しているのが聞こえてくると(このまわりくどい言い方は聞こうと思っているわけではないのに)「感嘆詞以外の言語感覚の乏しいやつらめ。しかも外国人いっぱいいる中で傍若無人に日本語わめき散らすな」と思ってしまいます。もうおじいさんなので、黙って離れるだけです。
デ、山をおりたところのカフェでお茶を兼ねてランチといたしましょう。サンドイッチのつもりが、サーディンが今日はおいしいというので、ついビールも・・。焼いた皮が香ばしくて、鰯を見直したわけです。ポンドではちょうどこのビール分くらいが不足するのでユーロ―を使い、土産物屋街をぶらぶらし、孫の土産をポンドで買いました。あと6ポンドと小銭が残りました。帰船リミットが近づいてきたので、最後に冷たいものを食べようとスムージーの店で「ハウ マッチ」とやると一つ3.5、二つだと7ポンドということです。6ポンド出し、小銭のポンドを全部見せ、これで1ポンドあるかと聞いたところ、3枚の硬貨を返してくれて、「Not 7、but our charity」ダッテ・・施しをうけたのです(昨日のタパスに続き連日のラッキー賞です)。残った3枚は2枚が2ペンス、1枚が1ペンス、あわせて5ペンス=8円くらいで、大道芸人にあげたらと言います。コーヒーとラズバリーのスムージーは入れたアイスクリームがいいのでしょう、とてもおいしく、冷たく、気分よく帰れました。でも、こんなに硬貨多いとはネ。日本で言えば1円、2円、5円、10円、20円、50円(ここまでペンス)に、やっと1ポンド(これも硬貨)、なんてややこしい。
この海峡を越えれば、そこはもう、大西洋!!
⑩ モロッコ カサブランカ・ラバト(4/26 土)
もう大西洋に入ったのだから、ほんとは次の章に入れるべきだけれど、3連続の寄港で翌日からは長くクルージングが続くので、リズムで言えば地中海の最後となる。だから、映画でも有名なカサブランカに入港しても、なかなかアフリカという感覚をもちにくい。何といっても人口500万人の大都会、妻が数年前来た時には無かったというトラムも走っている。
OPは、カサブランカと首都ラバト(バスで約1.5時間)の駆け足観光コース、だから多くの人が申し込んだようでバスは6台?仕立て。これでえらい目にあいます・・・。
カサブランカでは、何と言っても「ハッサンⅡ世モスク」、ミナレット(モスクに付随する尖塔)の高さ200m、礼拝者2万人以上を収容でき、世界第3位の大きさを誇るモスクという。大西洋の一部を埋め立て現代技術を駆使して建てたものだから、きれいで身を清めるシャワールームの設備や礼拝場などの空調なども完備とのこと。他に観光資源も少ないようなので、国家戦略としても、アフリカのメッカ的存在にしたいのかもしれない。ここで現地ガイドさんから、二本円柱のミナレットの地域もあるが、モロッコでは1本の四角柱であることを教えてもらった。もう1ケ所、歴代王の聖廟が美しい
その後、首都まで時間がかかるので、11時と超早めの昼食となり、ホテルのレストランに入ったのであるが、マ、あたしゃ呆れたね。次から次へとバス6台、250人くらいが詰めかけるのである。バイキングで、取れる料理の並ぶ場所は1ケ所・・、情報不足で、乗客を事前に仕切ることをしなかったため、右から左から群がる、紳士淑女もかくや・・・また、向かい合ったケースには同じ料理が入っているのだが1周ぐるりとまわり方向がぶつかり合う者が出てくる。お人よしが並んで待っているうちに一皿目を終えたものが隙間を狙って一品だけとっていく・・これがピースボートか?!それとも難民船か?!デ、おまえはどうしてたか?って。空いているデザートコーナーで5種類くらいのケーキをとってきて(一時にこんなにケーキ食べたの人生で初めて)、20分くらいたってやっと人の波がひいてから、やおら料理を取りに行きました。マ、何を偉そうに言っているのかとお叱りの声を受けそうであるが、修学旅行に連れて行く立場の教員出身だけに、こんな「想定内」の混乱は許せないのである。各バスに、旅行会社のスタッフが引率者、お手伝いでCC(通訳)が同行しているのだが、こういう「危機管理」には慣れていないようだ。
さらに首都ラバトについてからも、この混乱は続くことになる。自由時間をとった市場(スーク)見学(これは楽しかった、もっと時間がほしかった、皮のベルトを4ユーローで買う)の後、その向かい側の観光名所である砦の見学およびトイレ休憩があったのだが、これが長蛇の列、延々と待つこと、待つこと。およそ半時間以上のトイレ休憩、しびれが切れるころに、やっと移動したかと思ったら、門の外の民家見学の散歩は10分も無いなど要領の悪いことおびただしい。もちろん大勢の人間が溢れ、囲い込みをしておかないと大変という事情も分かるが、行くコースの順番を半数づつ逆にするとか、臨機応変の処置・工夫ができない。OPを企画・実行するジャパングレイスの問題ですナ
ト、モロッコのことがほとんど書けず、読者の皆さんには楽しくないレポートですみません。やっぱり仕事人間の癖はなかなか治らないんですね・・あと、写真は民家のところの少年。ちなみに、OPに行かなかったある夫婦は、カサブランカ市内観光で「寿司」を食べれて良かったとのこと。
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