不動院と天海と東照三所大権現(7)
江戸崎不動院の「東照三所大権現宝号」
前回は、徳川家康のお葬式を取り仕切ったのが、江戸崎
大念寺の開山僧・源誉慶巖だった!というお話でした。
一周忌が過ぎた家康の霊は日光山に勧請されることに
なるのですが、その祭祀の方法について、議論がおこな
われました。
大明神として祀られた豊臣秀吉の豊臣氏が滅亡したこと
などから、家康は大権現として祀られることになり、
その方法は一説に、天海が後陽成院より授けられたと
される「山王一実神道」に基づくことになります。
江戸崎不動院には、天海直筆の「南無東照三所大権現」
(№63)の宝号の掛軸が遺されています。
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「東照大権現」や「権現様」というと、徳川家康の別称
であったり、東照大権現像という名の徳川家康とされる
肖像画を見たことのある方も多いかと思います。
東照大権現=徳川家康であることは、周知の事実ですね。
では、「三所」とは一体何でしょう?
実質的に天海が考案した、山王一実神道とは、天台宗の
「山王神道」を元にしているとされています。
三所は、三柱の神様で、権現ですから神仏習合の本地
仏が存在しています。
簡単に説明すると…
東照大権現=薬師如来(徳川家康)
日吉山王権現=阿弥陀如来(①)
摩多羅神=釈迦如来(②)
と言われています。
これらを三つ合わせてお祀りし
「東照三所大権現」としたのです。
天海は、徳川家と、徳川幕府の始祖である家康を、
天台宗の鎮守である山王権現と一緒にお祀りすることで、
徳川幕府の元で天下泰平を祈る天台宗という形を作り
あげました。
このように、東照権現信仰は幕末まで神仏習合
の形でおこなわれたのです。
江戸崎不動院の「東照三所大権現宝号」
前回は、徳川家康のお葬式を取り仕切ったのが、江戸崎
大念寺の開山僧・源誉慶巖だった!というお話でした。
一周忌が過ぎた家康の霊は日光山に勧請されることに
なるのですが、その祭祀の方法について、議論がおこな
われました。
大明神として祀られた豊臣秀吉の豊臣氏が滅亡したこと
などから、家康は大権現として祀られることになり、
その方法は一説に、天海が後陽成院より授けられたと
される「山王一実神道」に基づくことになります。
江戸崎不動院には、天海直筆の「南無東照三所大権現」
(№63)の宝号の掛軸が遺されています。
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「東照大権現」や「権現様」というと、徳川家康の別称
であったり、東照大権現像という名の徳川家康とされる
肖像画を見たことのある方も多いかと思います。
東照大権現=徳川家康であることは、周知の事実ですね。
では、「三所」とは一体何でしょう?
実質的に天海が考案した、山王一実神道とは、天台宗の
「山王神道」を元にしているとされています。
三所は、三柱の神様で、権現ですから神仏習合の本地
仏が存在しています。
簡単に説明すると…
東照大権現=薬師如来(徳川家康)
日吉山王権現=阿弥陀如来(①)
摩多羅神=釈迦如来(②)
と言われています。
これらを三つ合わせてお祀りし
「東照三所大権現」としたのです。
天海は、徳川家と、徳川幕府の始祖である家康を、
天台宗の鎮守である山王権現と一緒にお祀りすることで、
徳川幕府の元で天下泰平を祈る天台宗という形を作り
あげました。
このように、東照権現信仰は幕末まで神仏習合
の形でおこなわれたのです。