歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

「天皇御座所」へ~「幻の大本営」(3)

2022-09-21 08:52:47 | 長野県

「幻の大本営」、松代大本営地下壕・・・

 

「六文銭」の真田・10万石の城下町の地下に

巨大な戦争遺跡があります・・・

(アウトラインは前々記事「『幻の大本営』へ」をご覧下さい。)

 

(松代・海津城)

 

 

3回目の本日は、舞鶴山地下壕の見学記です。

 

といっても、この日は「見学日」ではないため、

地下壕も「天皇御座所」も、外から眺めただけでした。

 

今まで案内してくださった、

松代大本営平和記念館Kさんもいらっしゃいません。

ガイドさんがいないってことは、こんなにもザックリしちゃうんですね。

 

 

さて、舞鶴山地下壕。

 

象山地下壕から、車で10分もかからず到着。

きれいな「和風のトイレ」(Kさんの言葉)のあるスペースが駐車場です。

その後ろには、既に、地下壕の入り口も見えています。(↓)

 

 

まずは、舞鶴山南斜面にある、天皇「御座所」跡へ。

何の変哲もない鉄筋コンクリートの建物ながら・・・

 

 

屋根のコンクリートは厚さ約1m!

その上にカムフラージュ用の土をのせ、草まで生やした!

鉄骨入りの壁も厚さは40cm!

 

 

連なった3棟の平屋は、高いところからⅠ号舎(天皇・侍従・侍従武官室)、

左へⅡ号舎(皇后)、Ⅴ号舎(宮内省・事務室・会議室)となっており、

それぞれ階段でつながっています。

 

 

サッシ以外は、当時のままの建物です。

 

 

坂を下り、駐車場から見えた、舞鶴山の南側、入り口へ。

現在は「気象庁地震火山部地震波監視精密地震観測室の大坑道」(長いっ!)と

呼ばれています。

 

ここは、大本営参謀本部が入る予定だった壕(Ⅳ号舎)です。

 

 

(↑)入り口は、がっしりしたコンクリート・・・

中をうかがうこともできません。

 

舞鶴山の施設は、昭和22(1947)年から中央気象台、

昭和24(1949年)からは気象庁地震観測所が使っています。

 

この地下道は総延長2.6キロ、

終戦当時、掘削計画の9割が進んでいました。

 

松代移転先での天皇「御座所」に参謀本部、

最重要ポイントゆえに、1番急がせられたのかもしれません。

それでも、結局、戦時下では、1度も使われず・・・

 

 

 

こんなに、のどかな山間の里に

うち捨てられた戦争遺跡があるとは・・・

もんのすごく、莫大な資金と労働力を費やしているのに・・・

 

 

ウクライナ問題を見ていても思うのですが・・・


戦争は、資金も物資もどんどん費やし、

身体も心も、どんどん蝕まれ、命も亡くす・・・

喪うばかり。


松代で、巨大な戦跡を歩きながら、つくづく、そう思いました。 

 


お付き合い頂いた皆さま、どうもありがとうございました。

 

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本ブログは、以下の資料を参考にまとめました。

素人の備忘録ゆえ、間違いもあるかもしれませんが、

どうぞ、ご容赦下さいませ。

◆参考

●松代大本営の保存をすすめる会編『フィールドワーク松代大本営ー学び・調べ・考えよう』平和文化

●NPO法人松代大本営平和記念館「松代大本営」パンフレット

●長野市観光振興課「第二次世界大戦の遺跡 松代象山地下壕」パンフレット


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