あの時の12月3日。
私は、大阪城ホールにいた。
彼がいない「深紫」を観るために・・・。
本当ならば、チケットを取った時点では、まだ彼はいたはずなのに。
その後、虹の伝説を再び作り出した彼と、深紫の軌跡は、あれから交わっていない。
ここで言う「彼」とは、リッチー・ブラックモアのことであり、「深紫」とは、DEEP PURPLE、そして「虹」とはRAINBOWのことである・・・。
私は、DEEP PURPLEを3回観に行っている。
最初は91年の大阪城ホール。
ここでのギターは、もちろん一番好きで好きで、生で観られたら絶対に泣いちゃうよ!ってぐらい、好きだった、リッチー・ブラックモア。
ボーカルは、RAINBOWの3人目のボーカル担当だった、ジョー・リン・ターナー。
どちらかというと、DEEP PURPLEよりも、RAINBOWの方が好きなので、この来日公演は、本当に楽しみにしていた。
来日する前の年(90年)の秋、ジョーを迎えたDPのアルバムが出るので、当時、行きつけだったレコードショップに予約した。
それ以来、「日本に、いや、福岡に来てくれ!!」と、毎日のように願い続け、ついに叶ったのだ。
ちょっと残念なことに、福岡ではなく、東京と大阪だったのだが。
かなり無理をして、チケットを取り、大阪まで出かけた。
目の前に、あんなに恋いこがれた、メンバーがいるのを観て、どう表現したらよいよいか分からないくらい、自分が舞い上がっていたか、泣き出していたか・・・(今ひとつ覚えてない・・・)
そのとき、とても印象に残った楽曲が「パーフェクト・ストレンジャーズ」だった。
幻想的で、重みもあって・・・。
紫のライティングが、非常に美しくて・・・。
それから、ジョーが脱退し、DPには2代目のボーカルだったイアン・ギランが戻ってきた。
イアンの声質と、ジョー向けに作られたであろう楽曲が、新しいアルバムではアンバランスで、評価はあまりよろしくなかった。
その年の秋(93年)、再度DPが来日するというニュースに、心が躍ったのだが、またしても福岡は無し。
それでも大阪公演のチケットを取り、来日を楽しみにしていたのだが・・・。
直前になって、リッチーがDPを脱退するという、とんでもない事態になってしまった。
「リッチーがいないパープルなんて!!」と思ったのだが、結局、今度はキーボード(ハモンドオルガン)のジョン・ロード目当てで、大阪まで足を運んだ。
実はそのとき、自分の職場がとんでもない状態になっていたのだが、有休を事前に手配していたので、とがめられることはなかった。(余談だが、今の夫の勤務先に、当時は勤めていた)
リッチーがいない・・・。
そのことはかなり響いたようで、あちこちに空席があった。
リッチーがいないパープルなんて!と、チケットの払い戻しもあったぐらいなのだから。
ライブ自体は、犬猿の仲、火と油ような、イアンとリッチーの様子を、ヒヤヒヤしながら観るという事態にはならず、リッチーの代役に抜擢されたジョー・サトリアーニが、素晴らしい演奏をしてくれたので、ライブそのものはとてもよかった。
ここでも演奏されたのは・・・・そう、「パーフェクト・ストレンジャーズ」
その後、95年の北九州のRAINBOWでのライブ、96年の福岡でのDEEP PURPLEでのライブでも、この曲は演奏された。
4回、彼らが演奏するのを生で観たが、4回ともギター&ボーカルの組み合わせが違う。
「完璧な他人」
まさに彼らを形容するには、ふさわしいかも知れないと、当時は思っていた。
あれから、キーボードのジョン・ロードもDPを去り、ドン・エイリーがDPに加入し、今年の5月に来日して福岡にも来た。
行きたかった・・・行きたかったけど・・・・。
もう、この曲のタイトル同様、あの時の自分と今の自分が置かれている状況は、「完璧な他人」になってしまった。
せっかく福岡で彼らを観られたのに・・・。
後何年すれば、私は「あの時の自分」を取り返せるのだろう。
その日まで、私は生きていくから。
ずーっと、彼らが作り出していった音楽を、愛し続けていくから。
だから・・・。
私は、大阪城ホールにいた。
彼がいない「深紫」を観るために・・・。
本当ならば、チケットを取った時点では、まだ彼はいたはずなのに。
その後、虹の伝説を再び作り出した彼と、深紫の軌跡は、あれから交わっていない。
ここで言う「彼」とは、リッチー・ブラックモアのことであり、「深紫」とは、DEEP PURPLE、そして「虹」とはRAINBOWのことである・・・。
私は、DEEP PURPLEを3回観に行っている。
最初は91年の大阪城ホール。
ここでのギターは、もちろん一番好きで好きで、生で観られたら絶対に泣いちゃうよ!ってぐらい、好きだった、リッチー・ブラックモア。
ボーカルは、RAINBOWの3人目のボーカル担当だった、ジョー・リン・ターナー。
どちらかというと、DEEP PURPLEよりも、RAINBOWの方が好きなので、この来日公演は、本当に楽しみにしていた。
来日する前の年(90年)の秋、ジョーを迎えたDPのアルバムが出るので、当時、行きつけだったレコードショップに予約した。
それ以来、「日本に、いや、福岡に来てくれ!!」と、毎日のように願い続け、ついに叶ったのだ。
ちょっと残念なことに、福岡ではなく、東京と大阪だったのだが。
かなり無理をして、チケットを取り、大阪まで出かけた。
目の前に、あんなに恋いこがれた、メンバーがいるのを観て、どう表現したらよいよいか分からないくらい、自分が舞い上がっていたか、泣き出していたか・・・(今ひとつ覚えてない・・・)
そのとき、とても印象に残った楽曲が「パーフェクト・ストレンジャーズ」だった。
幻想的で、重みもあって・・・。
紫のライティングが、非常に美しくて・・・。
それから、ジョーが脱退し、DPには2代目のボーカルだったイアン・ギランが戻ってきた。
イアンの声質と、ジョー向けに作られたであろう楽曲が、新しいアルバムではアンバランスで、評価はあまりよろしくなかった。
その年の秋(93年)、再度DPが来日するというニュースに、心が躍ったのだが、またしても福岡は無し。
それでも大阪公演のチケットを取り、来日を楽しみにしていたのだが・・・。
直前になって、リッチーがDPを脱退するという、とんでもない事態になってしまった。
「リッチーがいないパープルなんて!!」と思ったのだが、結局、今度はキーボード(ハモンドオルガン)のジョン・ロード目当てで、大阪まで足を運んだ。
実はそのとき、自分の職場がとんでもない状態になっていたのだが、有休を事前に手配していたので、とがめられることはなかった。(余談だが、今の夫の勤務先に、当時は勤めていた)
リッチーがいない・・・。
そのことはかなり響いたようで、あちこちに空席があった。
リッチーがいないパープルなんて!と、チケットの払い戻しもあったぐらいなのだから。
ライブ自体は、犬猿の仲、火と油ような、イアンとリッチーの様子を、ヒヤヒヤしながら観るという事態にはならず、リッチーの代役に抜擢されたジョー・サトリアーニが、素晴らしい演奏をしてくれたので、ライブそのものはとてもよかった。
ここでも演奏されたのは・・・・そう、「パーフェクト・ストレンジャーズ」
その後、95年の北九州のRAINBOWでのライブ、96年の福岡でのDEEP PURPLEでのライブでも、この曲は演奏された。
4回、彼らが演奏するのを生で観たが、4回ともギター&ボーカルの組み合わせが違う。
「完璧な他人」
まさに彼らを形容するには、ふさわしいかも知れないと、当時は思っていた。
あれから、キーボードのジョン・ロードもDPを去り、ドン・エイリーがDPに加入し、今年の5月に来日して福岡にも来た。
行きたかった・・・行きたかったけど・・・・。
もう、この曲のタイトル同様、あの時の自分と今の自分が置かれている状況は、「完璧な他人」になってしまった。
せっかく福岡で彼らを観られたのに・・・。
後何年すれば、私は「あの時の自分」を取り返せるのだろう。
その日まで、私は生きていくから。
ずーっと、彼らが作り出していった音楽を、愛し続けていくから。
だから・・・。