子ども達の家庭訪問もようやく終わり、小学生組もやっと普段の下校時刻になった。
表題の「’81~’82」だが、この年は、私が小学5年~6年生のころだ。
私が5~6年生の時の担任は、Y先生という、50代始めの女性の先生だった。
当時の小学校の先生らしく、いつもきれいなブラウスにスカートといった、「品のいいおばさま」といった出で立ちだったのを覚えている。
毎年、家庭訪問の時期になると思い出すのが、このY先生だ。
今の私がそうであるように、当時の母も、家庭訪問前は散らかった自宅を必死に掃除し(親子して同じことしてるよ・・・)、お茶菓子を準備した。
高いお茶を買ったり、普段絶対に買わないようなお菓子を買ってきたり(先生は食べないので、だいたい後から私と弟が喜んで食べる)。
5年生の時だったか6年生の時だったか、はっきり覚えていないが、Y先生が来られたときだった。
母は、お茶菓子に「ところてん」を用意していた。
Y先生は
「ところてん、大好きなんですよ。暑いときには美味しいですよね」
そう言って、きれいに完食されたそうだ(私はその場にいなかった)。
母も、まさかここまで喜んでいただけるとは思ってもなかったので、先生が帰られたときも感激していた。
「Y先生、すごく喜んでいたよ。暑かったから、ところてんをお出ししたんだけどね。喜んでもらって、本当に良かった」と。
そのY先生、私が卒業した学年の一つ下の学年を受け持った後、定年退職を待たずに若年退職された。
公立高校受験に合格したときも、私はY先生に報告しに先生の自宅に行き、当時の友人と先生とで食事をしたっけ・・・。
Y先生を見たのは、それが最後だった。
私が、高校2年生の初秋、Y先生の訃報を聞いた。
元々病弱だったので、若年退職されたのは知っていたが、まさかこんなに早く亡くなるとは思わなかった。
通夜の席で、当時の級友やお母さんと再会。
棺の中のY先生は、まるで眠っているかのようだった。
次の日の葬儀、私は学校を早退して、参列した。
棺の中に、当時の思い出などを書き留めた手紙を入れていただいた・・・。
それから3年が経ち、成人式を迎えた。
たくさんの祝電が私達新成人に届いており、式典でそれらが紹介された。
小学校の5~6年生当時の担任からも、連名で祝電が届けられたが・・・。
その中で、Y先生の名前だけはなかった。
・・・わかっていたけど、わかっていたことだけど、やっぱり寂しかった。
いろんな意味で、Y先生は、私の人生の中の可能性を増やしてくれたし、スイッチを押してくれた。
大人になって、子ども達の母親になって、子供も当時の私の年齢になった。
その姿を、もう見てもらえないのは、寂しいね。
この時期、店頭に「ところてん」が並ぶと、Y先生を思い出す。
それは私もだが、母も同じ。
新緑の季節の思い出は、これからもずっと変わらないだろう。