晴れ、ときどき虹。

yaplog!から移行しました。

これはなに?

2008-05-19 23:04:35 | 食卓日記

ホットケーキミックスで、おやつを作った。

クッキーにしようか、ケーキにしようか、いろいろ迷ったのだが、結局、ホットケーキミックスがあったので、それを利用することに。

でも、普通に「ホットケーキ」として食べるのは芸がない。

だったら、クッキー風にしてみようか?ということで、混ぜる牛乳の量を減らしてみた。

以下、レシピ 
   
  ホットケーキミックス・・・200グラム 
  卵・・・1個
  牛乳・・・80CC
  ナッツやチョコチップなど適量(今回はくるみ使用)

1・オープンを180℃にセット
2・各材料を混ぜる
3・クッキングシートを天板に敷き、スプーンで材料をすくった後、500円玉ほどの大きさに形を作る。
4・10分ぐらい焼く


ホットケーキミックスだけあって、けっこう膨らみます。
見た感じ、メロンパンみたいですけど、パンとも違うしクッキーとも違う。
ホットケーキみたいな「ふわふわ感」はないし・・。

強いて言えば、甘食みたいな感じ??

くるみを入れたので、アクセントにはなっているが、チョコチップの方が見た目もいいかも。
また、焼く前に「メープルシロップ」を混ぜ込んでもいいかな?


子ども達には、けっこう好評だった。

簡単だったのでまた作ってみよう。




五月雨

2008-05-19 23:02:32 | 日常生活
朝から、かなり強い雨。
台風の影響も若干あるのだろう、風もちょっと強め。

今日は特に外出の予定もなく、自宅に籠もる。
明日が忙しいので、ちょっとばかりの休憩といったところか??

先日、ならやまさんが「大処分」という記事でブログをアップしていたので、私も倣って(すぐにマネする・・・)衣類やらなんやら、とにかく「これは不要だろう」といったモノを片付けることにした。

しかし、出てくる出てくる。
明らかに「ああ、これはもう使えないな」といった類のヤツは、即ゴミ袋行き。

古い雑誌や広告紙、新聞紙もまとめて括る。
相当古い会議の資料も、全てホチキスを取り、紐で括る。

ボタンを外したり、個人情報が丸見えにならないように処理したり、地道な作業が続く。

・・・シュレッダー、壊れちゃったよー(酷使しすぎ)


昼過ぎ、ちょっと気晴らしに、久しぶりにおやつを作ってみる。


晴れていたら、洗濯物や布団を一気に干したり、草刈りをしたりなどに追われるが、今日はちょっと「地味~~」な作業ばかりだった。

晴耕雨読ではないが、特に大きな予定がない雨の日の過ごし方としては、まぁ及第点だろうな。



家庭訪問~’81or’82

2008-05-19 11:34:16 | 過去日記
子ども達の家庭訪問もようやく終わり、小学生組もやっと普段の下校時刻になった。

表題の「’81~’82」だが、この年は、私が小学5年~6年生のころだ。

私が5~6年生の時の担任は、Y先生という、50代始めの女性の先生だった。
当時の小学校の先生らしく、いつもきれいなブラウスにスカートといった、「品のいいおばさま」といった出で立ちだったのを覚えている。

毎年、家庭訪問の時期になると思い出すのが、このY先生だ。

今の私がそうであるように、当時の母も、家庭訪問前は散らかった自宅を必死に掃除し(親子して同じことしてるよ・・・)、お茶菓子を準備した。


高いお茶を買ったり、普段絶対に買わないようなお菓子を買ってきたり(先生は食べないので、だいたい後から私と弟が喜んで食べる)。

5年生の時だったか6年生の時だったか、はっきり覚えていないが、Y先生が来られたときだった。


母は、お茶菓子に「ところてん」を用意していた。

Y先生は
「ところてん、大好きなんですよ。暑いときには美味しいですよね」

そう言って、きれいに完食されたそうだ(私はその場にいなかった)。

母も、まさかここまで喜んでいただけるとは思ってもなかったので、先生が帰られたときも感激していた。

「Y先生、すごく喜んでいたよ。暑かったから、ところてんをお出ししたんだけどね。喜んでもらって、本当に良かった」と。



そのY先生、私が卒業した学年の一つ下の学年を受け持った後、定年退職を待たずに若年退職された。

公立高校受験に合格したときも、私はY先生に報告しに先生の自宅に行き、当時の友人と先生とで食事をしたっけ・・・。


Y先生を見たのは、それが最後だった。


私が、高校2年生の初秋、Y先生の訃報を聞いた。

元々病弱だったので、若年退職されたのは知っていたが、まさかこんなに早く亡くなるとは思わなかった。

通夜の席で、当時の級友やお母さんと再会。
棺の中のY先生は、まるで眠っているかのようだった。

次の日の葬儀、私は学校を早退して、参列した。

棺の中に、当時の思い出などを書き留めた手紙を入れていただいた・・・。


それから3年が経ち、成人式を迎えた。

たくさんの祝電が私達新成人に届いており、式典でそれらが紹介された。
小学校の5~6年生当時の担任からも、連名で祝電が届けられたが・・・。

その中で、Y先生の名前だけはなかった。


・・・わかっていたけど、わかっていたことだけど、やっぱり寂しかった。


いろんな意味で、Y先生は、私の人生の中の可能性を増やしてくれたし、スイッチを押してくれた。


大人になって、子ども達の母親になって、子供も当時の私の年齢になった。

その姿を、もう見てもらえないのは、寂しいね。


この時期、店頭に「ところてん」が並ぶと、Y先生を思い出す。

それは私もだが、母も同じ。


新緑の季節の思い出は、これからもずっと変わらないだろう。