朝からいい天気。
洗濯物を干す。
今日は、義妹が美容院に行くため、姪っ子を預かることになった。
9時半、義妹宅に。
義妹宅に上がると、ちょうどおむつ替えが終わったところだった。
「たぶん、おなかが空くと思うから、ここにミルクがあるんで、頼んでもいいかな?」
「いいですよー」
他にも、お尻拭きや紙おむつ、ガーゼのハンカチを出してもらう。
義妹があわただしく出て行った。
姪っ子は機嫌も良く、私から抱っこされて、ニコニコしていた。
ところが・・・!
すごい勢いで泣き出してしまった。
義妹が出かけて、30分ぐらい経った頃だ。
おしりもきれい。
抱っこしても、寝かせても泣きやまない・・・。
そういえば、授乳から時間が経っているって言ってたな・・・。
台所で、ミルクを作る。
ミルクなんて、ほぼ5年ぶりに作ったよ。
前もって熱いお湯をほ乳瓶に入れていたので、だいぶ冷えていた。(それでもまだ熱い)
粉ミルクの缶に書いてある説明書きを読みながら、付属のスプーンですりきり10杯ほ乳瓶に入れる。
さらにお湯を足し、蓋をしてミルクを溶かす。
腕をめくり、ミルクをほ乳瓶の乳首から、腕に垂らしてみる。
「もう少し冷まそうか・・・」
流水にほ乳瓶を当て、人肌になる程度の温度に調節する。
泣いて寝返りを打っている姪っ子を抱き上げ、ガーゼのハンカチを顎の下に敷き、ミルクを飲ませる。
ものすごい勢いで、吸い始めた!!
やっぱりおなかが空いていたんだ・・・・。
ふと、私の顔をじーっと見つめて、ほ乳瓶を持っている右手の薬指をぎゅうと握りしめている。
思いがけずに力強い。
ああ、なんか懐かしいな・・・。
息子の時、最初の2ヶ月ぐらいは、なかなか母乳が出ずに、ミルクと混合で授乳していた。
産院と友人からもらったサンプルのミルクを、毎晩毎晩、作っていた。
その都度、ほ乳瓶を消毒し、お湯を入れ、人肌に冷まし・・・、
息子はミルクも飲まず、かといって当時は母乳も上手く出せなくて、母乳もしっかり飲んでくれず、ひたすら抱っこ抱っこ抱っこの夜を過ごした。
布団に寝かせつけたら泣き出す。
気がついたら、朝刊を配る新聞屋さんのバイクの音が・・・。
10、11、12月(息子は10月生まれなので)、寒い夜中に乳房丸出し状態、子どもは布団で寝ない、私は寝不足がひたすら続いた。
そんなとき、12月の検診で、母乳相談の助産師さんからこう言われた。
「りあらさん、あなた、ちゃんと母乳が出ますよ」
乳房を触り、乳首ひねると乳汁があふれる。
「大丈夫、大丈夫。ミルク、やめてみて。母乳一本で大丈夫だから」
この日以来、息子にはミルクを作らなくなった。
助産師さんの言うとおり、1年半ほどは、母乳パッドなしでは、ブラジャーはともかく、上着もシミがつくほどに母乳が出るようになった。
その息子、4歳まで母乳を飲んでいた。
その妹である娘は、産院から退院して、1週間ほどですでに母乳のみ。
今でも、まだ飲んでいる・・・。
出るって事も凄いのだが(笑)
おなかいっぱいになったようで、姪っ子も機嫌が良くなり、にこにこ笑っていた。
背中を軽く叩き、ゲップを出させる。
しばらくすると、義妹が帰ってきた。
「ありがとう!!助かった~」
髪が短くなり、義妹はさっぱりした様子だった。
「りあらは子どもを生んでいるし、経験があるから、大きな心配はしなくてもいいし、安心できたよ!」
ああ、よかったなぁ・・・。
私は実家も近いし、母も健在だ。
でも、義妹は、実母も叔母もいない。
近くに住んでいる私が、できる範囲で、サポートしてやりたい。
私も、子どもが小さいとき、義妹に助けてもらったから。
んー、でも、赤ちゃんって、かわいいなぁ。
・・・もう、出産の予定はないけどね(笑)
洗濯物を干す。
今日は、義妹が美容院に行くため、姪っ子を預かることになった。
9時半、義妹宅に。
義妹宅に上がると、ちょうどおむつ替えが終わったところだった。
「たぶん、おなかが空くと思うから、ここにミルクがあるんで、頼んでもいいかな?」
「いいですよー」
他にも、お尻拭きや紙おむつ、ガーゼのハンカチを出してもらう。
義妹があわただしく出て行った。
姪っ子は機嫌も良く、私から抱っこされて、ニコニコしていた。
ところが・・・!
すごい勢いで泣き出してしまった。
義妹が出かけて、30分ぐらい経った頃だ。
おしりもきれい。
抱っこしても、寝かせても泣きやまない・・・。
そういえば、授乳から時間が経っているって言ってたな・・・。
台所で、ミルクを作る。
ミルクなんて、ほぼ5年ぶりに作ったよ。
前もって熱いお湯をほ乳瓶に入れていたので、だいぶ冷えていた。(それでもまだ熱い)
粉ミルクの缶に書いてある説明書きを読みながら、付属のスプーンですりきり10杯ほ乳瓶に入れる。
さらにお湯を足し、蓋をしてミルクを溶かす。
腕をめくり、ミルクをほ乳瓶の乳首から、腕に垂らしてみる。
「もう少し冷まそうか・・・」
流水にほ乳瓶を当て、人肌になる程度の温度に調節する。
泣いて寝返りを打っている姪っ子を抱き上げ、ガーゼのハンカチを顎の下に敷き、ミルクを飲ませる。
ものすごい勢いで、吸い始めた!!
やっぱりおなかが空いていたんだ・・・・。
ふと、私の顔をじーっと見つめて、ほ乳瓶を持っている右手の薬指をぎゅうと握りしめている。
思いがけずに力強い。
ああ、なんか懐かしいな・・・。
息子の時、最初の2ヶ月ぐらいは、なかなか母乳が出ずに、ミルクと混合で授乳していた。
産院と友人からもらったサンプルのミルクを、毎晩毎晩、作っていた。
その都度、ほ乳瓶を消毒し、お湯を入れ、人肌に冷まし・・・、
息子はミルクも飲まず、かといって当時は母乳も上手く出せなくて、母乳もしっかり飲んでくれず、ひたすら抱っこ抱っこ抱っこの夜を過ごした。
布団に寝かせつけたら泣き出す。
気がついたら、朝刊を配る新聞屋さんのバイクの音が・・・。
10、11、12月(息子は10月生まれなので)、寒い夜中に乳房丸出し状態、子どもは布団で寝ない、私は寝不足がひたすら続いた。
そんなとき、12月の検診で、母乳相談の助産師さんからこう言われた。
「りあらさん、あなた、ちゃんと母乳が出ますよ」
乳房を触り、乳首ひねると乳汁があふれる。
「大丈夫、大丈夫。ミルク、やめてみて。母乳一本で大丈夫だから」
この日以来、息子にはミルクを作らなくなった。
助産師さんの言うとおり、1年半ほどは、母乳パッドなしでは、ブラジャーはともかく、上着もシミがつくほどに母乳が出るようになった。
その息子、4歳まで母乳を飲んでいた。
その妹である娘は、産院から退院して、1週間ほどですでに母乳のみ。
今でも、まだ飲んでいる・・・。
出るって事も凄いのだが(笑)
おなかいっぱいになったようで、姪っ子も機嫌が良くなり、にこにこ笑っていた。
背中を軽く叩き、ゲップを出させる。
しばらくすると、義妹が帰ってきた。
「ありがとう!!助かった~」
髪が短くなり、義妹はさっぱりした様子だった。
「りあらは子どもを生んでいるし、経験があるから、大きな心配はしなくてもいいし、安心できたよ!」
ああ、よかったなぁ・・・。
私は実家も近いし、母も健在だ。
でも、義妹は、実母も叔母もいない。
近くに住んでいる私が、できる範囲で、サポートしてやりたい。
私も、子どもが小さいとき、義妹に助けてもらったから。
んー、でも、赤ちゃんって、かわいいなぁ。
・・・もう、出産の予定はないけどね(笑)
今日は、福津市にて、組合員とワーカーズの交流会があった。
中部ブロックの3支部合同(筑豊・宗像・中遠)だったので、かなり大きな催し物である。
毎回毎回、筑豊支部は遅れてくるから、時間厳守で会場に入るから!!
だから、待ち合わせの場所には、人数が揃い次第出発するから、9時半集合じゃなくて、9時半にはバスが出るよ!!
りあらさん、早めに出てきてね!!
担当事務局から、やかましく言われていたので(笑)、朝も急いで娘を幼稚園まで送り、新飯塚駅近くの立体駐車場に車を停め、待ち合わせ場所のステーションホテル前まで歩いていく。
時間は9時ちょっと過ぎ。
ここにいたのは、バスに同乗する事務局だった。
「あらー、りあらさんおはようございます。早いねー」
「おはようございます。他の人は?」
「りあらさんが、一番早かったよ」
「ええ!!昨日、早く来いって言われたから急いで来たのに」
「バスに乗る人には、そうやって脅していたの(笑)」
そんなことだろうなとは思っていたが、まぁ人を待たせるよりはましなので、とりあえずホテルのテナントに入っているパン屋でパンを買った。
それでも、まだ揃わない。
ようやく人数が揃ったのに、今度はバスが来ない。
事務局が焦ってあちこちに電話をしている。
なんと、バス会社が、時間を間違えていたようで・・・・。
飯塚を出たのが、10時近くになっていた。
福津市まで、1時間近くかかるのに・・・。
しかも、1番始めに発表しなくてはいけないらしい。
間に合わないじゃん、どう考えても。
そんなこんなで、なんとかバスは福津市の会場に。
「りあらさん、走って!!靴脱いで!!」
「はいはい、このメモ持ってあそこ、あそこ!!」
靴を脱ぎ捨てたまま(会場は土足厳禁)、バス組の数人とダッシュ!
昨年、自分が書いた原稿が渡され、自家用車組の委員さんが手を振って、こっちこっち!と呼んでいる。
息つく暇もなく、支部の発表。
本当は、1番はじめの発表だったのを、バス組が揃わないため、どうやら順番を最後にしてくださったらしい。
私も原稿を読み、壇上から降た。
脱ぎ捨てた靴を拾い(情けない・・・)空いた席に座る。
あれよあれよと言う間に、ワーカーズのアピールが始まり、状況を把握するのに精一杯。
その後、ワーカーズの各ブースにて、話を伺う。
そのとき、このブログで知り合った、宗像支部の委員さんと対面!
12月の助成団体報告会で、同じテーブルだったので、顔を覚えていたのだ。
いろいろと話しをすることができて、嬉しかったし、よかった・・・。
私は、あと1年で、今の任期が終わる。
その後の事を、そろそろ考えないといけない。
そんな意味では、意義のある交流会だった。
1年後の私は、なにを考えて、どういう判断を下すのだろう。
ある意味、楽しみではある。
中部ブロックの3支部合同(筑豊・宗像・中遠)だったので、かなり大きな催し物である。
毎回毎回、筑豊支部は遅れてくるから、時間厳守で会場に入るから!!
だから、待ち合わせの場所には、人数が揃い次第出発するから、9時半集合じゃなくて、9時半にはバスが出るよ!!
りあらさん、早めに出てきてね!!
担当事務局から、やかましく言われていたので(笑)、朝も急いで娘を幼稚園まで送り、新飯塚駅近くの立体駐車場に車を停め、待ち合わせ場所のステーションホテル前まで歩いていく。
時間は9時ちょっと過ぎ。
ここにいたのは、バスに同乗する事務局だった。
「あらー、りあらさんおはようございます。早いねー」
「おはようございます。他の人は?」
「りあらさんが、一番早かったよ」
「ええ!!昨日、早く来いって言われたから急いで来たのに」
「バスに乗る人には、そうやって脅していたの(笑)」
そんなことだろうなとは思っていたが、まぁ人を待たせるよりはましなので、とりあえずホテルのテナントに入っているパン屋でパンを買った。
それでも、まだ揃わない。
ようやく人数が揃ったのに、今度はバスが来ない。
事務局が焦ってあちこちに電話をしている。
なんと、バス会社が、時間を間違えていたようで・・・・。
飯塚を出たのが、10時近くになっていた。
福津市まで、1時間近くかかるのに・・・。
しかも、1番始めに発表しなくてはいけないらしい。
間に合わないじゃん、どう考えても。
そんなこんなで、なんとかバスは福津市の会場に。
「りあらさん、走って!!靴脱いで!!」
「はいはい、このメモ持ってあそこ、あそこ!!」
靴を脱ぎ捨てたまま(会場は土足厳禁)、バス組の数人とダッシュ!
昨年、自分が書いた原稿が渡され、自家用車組の委員さんが手を振って、こっちこっち!と呼んでいる。
息つく暇もなく、支部の発表。
本当は、1番はじめの発表だったのを、バス組が揃わないため、どうやら順番を最後にしてくださったらしい。
私も原稿を読み、壇上から降た。
脱ぎ捨てた靴を拾い(情けない・・・)空いた席に座る。
あれよあれよと言う間に、ワーカーズのアピールが始まり、状況を把握するのに精一杯。
その後、ワーカーズの各ブースにて、話を伺う。
そのとき、このブログで知り合った、宗像支部の委員さんと対面!
12月の助成団体報告会で、同じテーブルだったので、顔を覚えていたのだ。
いろいろと話しをすることができて、嬉しかったし、よかった・・・。
私は、あと1年で、今の任期が終わる。
その後の事を、そろそろ考えないといけない。
そんな意味では、意義のある交流会だった。
1年後の私は、なにを考えて、どういう判断を下すのだろう。
ある意味、楽しみではある。
午前中、事務所で打ち合わせ。
昨日、キャンセルになった分だ。
打ち合わせと言っても、今回は、レシピを会場に貼り出すので、見やすいように模造紙に書く作業がメインだ。
そしてもう一つのメインが・・・。
常任委員を一人、決める。
秋のつどいで、委員さんになってくれた一人を、副委員長と説得してみる。
私は、常任委員で仕事をした経験がないので、常任経験者の副委員長は、そこんところは話がうまい。
常任委員になると、まず、機関会議が一回増える。
参加する立場から、運営する立場になる。
仕事を任される。
と、それなりに責任がでてくるのだが、そこまで大変ではない(と思う)。
副委員長も言ってたしなぁ・・・。
「うん、常任は楽しいよ、常任は」
彼女も、今、大変なんだよな。
それを顔にも態度にも出さない。
嫌なことは、すぐに顔に出る私とは大違いである。
なんとか、常任委員を引き受けていただいた。
つどいでの提案はまだ難しいだろうから、春では雰囲気をつかんでもらって、秋のつどいでは最大限のサポートをしたい。
賑やかに、話しをしながら、貼り出すレシピはなんとか完成。
挿絵は私が描いた。
あとは・・・。
私が、参加者に配付する資料の分のレシピの原稿をパソコンで打って、挿絵を描いて、挨拶文を考えて、表紙を描いて・・・。
昨日、キャンセルになった分だ。
打ち合わせと言っても、今回は、レシピを会場に貼り出すので、見やすいように模造紙に書く作業がメインだ。
そしてもう一つのメインが・・・。
常任委員を一人、決める。
秋のつどいで、委員さんになってくれた一人を、副委員長と説得してみる。
私は、常任委員で仕事をした経験がないので、常任経験者の副委員長は、そこんところは話がうまい。
常任委員になると、まず、機関会議が一回増える。
参加する立場から、運営する立場になる。
仕事を任される。
と、それなりに責任がでてくるのだが、そこまで大変ではない(と思う)。
副委員長も言ってたしなぁ・・・。
「うん、常任は楽しいよ、常任は」
彼女も、今、大変なんだよな。
それを顔にも態度にも出さない。
嫌なことは、すぐに顔に出る私とは大違いである。
なんとか、常任委員を引き受けていただいた。
つどいでの提案はまだ難しいだろうから、春では雰囲気をつかんでもらって、秋のつどいでは最大限のサポートをしたい。
賑やかに、話しをしながら、貼り出すレシピはなんとか完成。
挿絵は私が描いた。
あとは・・・。
私が、参加者に配付する資料の分のレシピの原稿をパソコンで打って、挿絵を描いて、挨拶文を考えて、表紙を描いて・・・。