大した内容、どうせ長くなるから記事にしておこう。己を知る野人。糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
たまたまユーチューブで韓非の言葉を見て面白かったんでww、少し考えてみた。本音をズバリ言ってしまうところに共感を感じてしまった。まあだから韓非自身はそんなに成功者ではないけどねっ(≧з≦)プッ糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
あー直接には、努力するには事前の情報とかやり方が重要だという話。
ことの理によれば、すなわち労せずして成る
という言葉があるそうなんですけどもね。
まあ私も、楽して成功したいと思う糞クズなんだが、まあまあそれなりに可能な限りの努力はしてきたつもりだ。
しかし、属国の属州埼玉県人らしいドМ性癖が抜けないというのもあって、努力すること自体に酔ってしまう部分も多々あったかな。自分の失敗を省みてみるに、意外に自分の真の欲望から目をそらして、それを達成するための方法を真剣に考えなかったというのはあったかもしれない、という反省はある。
(手段を目的と取り違えてしまう、というのはよくある間違いの典型だ。トレーニングとかダイエットなどでも非常によくある間違い。トレーニングそれ自体、ダイエットそれ自体が目的になって、本当の目的に到達できない。(´・ω・`) まあそれがオウユダ売国詐欺商法の典型と言ってもいいかな糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 騙されたい人は騙されてくださっ糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞)
(欲望に面と向かうということには、恥ずかしさとか、罪の意識が付きまとうから。でもそれも人間の真実だから、目を背けないほうがいい。)
まあ私は保守長男大日本帝国魂野人でもあるんで、正しいことをしていれば必ず目的を達することができる、というように考えがちだというのもある。原理主義者というかね。そういうところはある。まあ神で天才だから、すぐに核心に近い真理を見抜いてしまうというところがあるからね☆(ゝω・)v
でも、現実世界は必ずしもそういうものではない。そのように考えることはある意味ではおごりでもある。世の中は考えているよりも厳しかったね。結果論だがww まあまあ、今冷静に考えてみても、例えば今のように子供の数が半分に減ってしまった時代と比べると、私たちベビーブーマーの世代(およそ。俺はピークではないと思う。弟妹の辺りが一番きつかった。)は、非常に競争が厳しかった。バブルという救いもあるにはあったけど、それは本物ではないのでね。バブルという災いは、日本経済に致命的な打撃を与えていて、それが今でも日本経済のモラルの低下をずっと及ぼしている。これはもう二度と回復しないかもね。日は二度と登らない、と私は思ってます。私が生きている間、という意味では間違いなく。韓非的(`・ω・´)糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
でまあ、そういう点をもっと謙虚に分析するべきだったのかもしれないと思うが、そういうイケイケの時代の流れもあって、強気すぎたのかもしれないと思う。メディアなどにも乗せられてしまった。そのころは、まだマスゴミや国、政治経済が、ここまで糞で偽物だということに気づいてなかったけどね。大人や日本人を信じすぎていたよ。欧米ユダ金日本会議・政官業学マスゴミ・東大NHKヤフー電通医者国連は糞の極みだ。一切何者も信じてはいけません糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
そして、まあそういう挫折を味わった人というのは、一気に逆側に振れてしまいやすい。それで完全なる禁欲、限界までの努力、ということを理不尽に推し進めてしまう。(´・ω・`)
でもやはりそれも間違い。そうやって反対側の影響を脱せられないうちは本物じゃない。心も冷静じゃないから、道を間違ってしまう。やり方や手段を間違ってしまう。それで精神や体を壊してしまう、という悪循環に陥ってしまう。
まあ今にして思うと、そういう時にもっと時間を使って、そういうことをじっくり考えたり、あとは体調・体質を改善する、という下部構造の改善にw専念するべきだったかなという気はする。まあなかなか難しいものなんだけどね。その時は焦りまくっているからね。
でも、振り返ると、修正は速いほうがいい。一年や二年の時間はもったいないことはない。もっとかもしれない。二十代ぐらいはじっくりそういうことと向き合ったほうが、結果的にはいいかもしれないと今では思うね。
まあ俺も何もしてなかったわけじゃないけど、そういう核心になる点、欲望の問題や、食事や環境の見直しによる体質改善、ということまで踏み込めなかったというのは惜しかったかもしれない。真実はつかんでいたと思うけど、手段や方向性を少し誤って、遠回りしてしまったかなと思うけどね。まあ自分としてはベストを尽くしたから悔いはないんだけど、結果に満足できているわけでもない。(´・ω・`)
でまあ、今ならもう少しましなことが言えるかと思って少し考えてみましたけどね。以下ツイートしようと思っていた内容無編集で糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
欲があるのは当然だから、それを良く見極めることが重要かな。
貪欲はよくないことで、特に現代では誘惑が多いけど、かといって、禁欲というのも間違いと言わざるを得ない。それは極論すぎる。自己否定につながる。
(だから私は一般的にいって、仏教とかの禁欲的宗教は行き過ぎの気がしている。まあ一般人にはね。こういうのも大体政治利用だから。オウユダ売国の罠だよ糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞)
自分が本当に望んでいることをよく見極めて、適切な手段を考えることは重要だろう。以上負け組の戯言でした。気づくの遅かたっ☆(ゝω・)v
もっと打算的に、韓非的に言うとw、それが人よりも少しだけ優れていればいい。人よりも少しだけ節制し、人よりも少しだけ効率的に目標に到達出来れば、人よりも少しだけ幸せになれる。それで大抵の人は大きな満足を得られるだろうwww糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
(ゲームの理論的でもあるかもしれないね。まあ守りの理論かもしれない負けない理論糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 オウユダ的に言えば、相対論的糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞)
そのためには、人よりも少しだけ禁欲的に、少しだけ健康になり、少しだけ賢くなればいいwww糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
ほんの少しでいい。そういう結論。むしろ人に気づかれないぐらいのほうがいいwww俺はマジで韓非だろ糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
リボの箴言として数え上げていくかなww糞糞糞
まあでもこれは現実的にも、波風が立ちにくくww、実現しやすく、失いにくい幸せといえるから、一般愚民の皆ちゃまにはお勧めの考え方っ糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
何か人よりも少しだけ優れた美点を持ち、それが現世で生かせれば、それで人間はかなり幸せに満足して生きられると思うよ。糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
だからそれはそんなに難しい話じゃないというわけ。多くの人は、貪欲すぎ、方向違いの努力をして、失敗している。時間とエネルギーを浪費している。(´・ω・`)
まあ県や国としてもな糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
なのでできるだけ早くにそういう点を冷静に分析して(`・ω・´)、正しい目標に向かって正しい手段をとれば、無駄に苦しんで自己満足しているよりはww、はるかに楽に目標を達成できて、幸せを得られるということになると思う。それで、一般の人は十分だと思われる。
(まあ一般愚民的にかみ砕いていうと、目標は控えめにして、無理せずに達成できるほどほどの成功で満足するようにするということwww糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞)
そのことは多分、社会的にも悪いことじゃない。ほどほどの幸せで、多くの人が満足して生きられることになるから、きっと社会も穏やかで平和なものになると思われる。今のような糞のような間違いだらけの時代よりはな糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
まあ賢い人というのは、そういうことを人知れずやっている。それは音もなく、愚民たちが気づかない程度のわずかな差に過ぎないんだけど、結果的には大きな違いをもたらすことになる。なので、まあ時々冷静に我に返って、そういう部分を反省・熟慮することは有効だと思う。
まずは、自分の欲望や目的をしっかり見つめて分析するということ。それは俺もいつも書くけど、自分が本当に欲しているものは何か、ということをよく吟味するということだ。それは案外簡単ではないと俺はいつも書いている。現代では、情報が多すぎてそれが惑わされているという傾向にあると俺は思うわけだ。いつも食べ物のことで書くけどね。w 本当に食べたいもの、体が欲しているものを食べるべきだ。それを見極めて、真っ先に食べるようにすれば、体質改善は簡単にできると俺は思っている。決して、食べないことがいいのではない。そこを勘違いしないことだ。必要なだけ食べて、それでも体が大きくなってしまうのなら、それがあなたの本来の体つきなのだから、それを受け入れて、その階級で生きるべきと俺は思う。
本当に譲れないもの、これだけは何をおいても優先したいと思うものは何かということだ。じっくり考えればそれは見つかるはず。
(また、実際に生きている途中で、自分がそれの周りを回っているということに気づくこともある。そのように自分の生き方を振り返ってみるのも有効だろう。)
なので、禁欲宗教が言うように、欲望を持つこと自体がいけない、完全に抹殺しないといけない、というのは間違いだと俺は思う。断言しておこう。間違ったことだと思うから、それは多分成し遂げられない。それはすなわち死を意味してしまうだろう。存在意義の消滅を意味してしまうだろう。それはいけないことだと思う。間違いだと思うし、それは個人的にも、そして社会的にも、間違った結果をもたらすことになる可能性が高いと思う。
人は生まれてきたからには、まあ私流にいうと、存在というものが存在してきた・宇宙というものが生まれたからには、それは基本的には、消えようとは思わないものだ。生き続けよう・存在し続けようと思うのが、自己同一的で、矛盾のない姿勢だろうと私は思う。
だから、行きたい・存在したい、と、強く願う、ということは、私は当然のことであり、否定されてはならないと思うわけだ。
でも、それを実現しようという時に、貪欲すぎるとうまくいかない、というわけです。これも、個人的にも、社会的にもそういうことが言えるだろう。
それで、まあ韓非的なというか糞クズ野人的なw妥協策というのが、今書いたようなものだというわけです。ほんの少しだけ人に勝ればいい。ww まあ場合によると、人知の進歩によって、そのぐらいの富や利益は当然許容されるものかもしれない。その程度のことを実現することを考えれば、まあ多くの一般愚民の皆ちゃまは十分満足できるだろうというわけです。それは比較的容易いし、社会的にも問題が起きにくいというわけですね。
韓非が言うには、その実現のための方法を、よく研究して、情報を集めることが重要だというわけです。そうすればますます容易く、人々が言うよりも、また自分が思っているよりも容易く、実現可能かもしれないというわけです。
まあそんなとこですね。分かりません。しょせん負け組の戯言なんでね。まだ正解か証明されてません。糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
まあまあ自分は最悪ではなかったかなとは思っているんだけどね。勝ってはいないかもしれないけど、劣ってもいないかなと思える程度の人生は送れているんで、まあまあかなと思っている。このぐらいでよければ、俺のいうことを信じても大丈夫だけどねw
(でも客観的にはもう少しやらないといけないところかもしれない(≧з≦)プッ でも自分の真の満足度としてもまあまあ。この糞のような世の中を良く生きながらえてきたなと思っているけどね糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞)
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