▶本当に原稿すべてが揃いました
名前を知らない花
以前、136で「準備万端整いました」と書いたのが恥ずかしいです。
本文となるまえがき、目次、写真頁と資料編、あとがきについては早い段階でできあがっていたのですが、シャピュイさんの挨拶文、奥付のプロフィール原稿、本を開いて最初の扉裏にくるクレジットの文章、カバーの裏側、前の頁(業界では「そで」と言うそうです)に載せる短いメッセージ、そしてカバーの裏側、後ろの頁(業界では表4というそうで、どこのことを言っているのか白石さんに確かめるまでわかりませんでした)に載せる著者の写真とそのキャプションなどは翻訳に間違いがないかどうか確認したり、数少ない私の写真を一生懸命探したりして時間がかかり、6月8日の夜、本当にすべての原稿が揃ったのでした。
今回のこうした細々とした原稿の中で何が一番苦労したかというと、私の写真探しでした。丸善プラネットのチームリーダー、白石さんからは、①私の顔が見えて、②撮影者だということが分かり、③リーメンシュナイダーの作品と一緒に写っている写真が一番いいのですが…と言われていました。ところがそういった場面はどんなに探しても無いのです。リーメンシュナイダーの作品を撮影している写真は何枚かあるのですが、いずれも横顔、後ろ姿、あるいはカメラで顔が隠れてほとんど見えないものばかりでした。何故かと考えたら、普段から私は自分が写る写真はあまり好きではないため、あえてリーメンシュナイダー作品の前でニッコリ記念撮影をするということがないからです。ツアーの旅行では景色の良いところでコンダクターさんが大サービスで写してくださった写真はありますが、取材の旅ではまったく感覚が違いますから。夫は私が美術館や教会の方々とお話ししている場面は記録に残しておこうと一生懸命写してくれますが、それ以外の場面では記念撮影をいやがる私を知っているのであまり写しません。
というわけで、カメラを抱えている写真といえば、たまにそれでも夫があえて記念撮影してくれた数枚でした。しかし笑顔も少ないし、リーメンシュナイダー作品も写っていないし、なかなかピンとくるものがありません。最後の最後に出てきたのが、娘が2016年12月にクレークリンゲンのヘルゴット教会を一緒に訪ねた際、写したものがあると送ってくれた写真でした。トーマス・ブルク牧師さんが私の本を館内に展示してくれていて、その横で私が珍しくにこやかにほほえんでいるものでした。あいにく雨が降ってとても寒い日で、館内が暗かったため、スマホで写した画像は粗くなってしまっていましたが、白石さんも、「これでいきましょうか」と言ってくださってホッとしたのでした。
※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA