リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

203. 16回目のドイツ旅行(8) マリア祭壇再び。

2020年01月10日 | 旅行

▶今日はクレークリンゲンへ。

この日撮影したマリア祭壇の部分。2007年撮影のマリア様(194参照)とはお顔に変化が出ています。


◆2019年7月23日(火)

 この日はやはりむんむんに暑い日でしたが、ローテンブルクの駅前にあるショッピングセンターでイングリッド、ヴォルフガング・ラインハルトさんご夫妻と待ち合わせをしていました。お二人は以前、クレークリンゲンでバスが来なくて困り切っていた私と三津夫を車でローテンブルクまで送ってくださった親切なご夫妻です。今ではすっかり仲良くなってクレークリンゲンまでの送り迎えもしてくださり、マリア祭壇の撮影にも大変協力的です。ショッピングセンターで真っ先にヨハネスのお墓に供える花を引き取りました。前回予約しておいたものですが、いざ受け取ったら何と切り花でした。今まではいつも籠に入っていたのですけれど、これでは何か入れ物を調達しなければなりません。

 ヴォルフガングさんとイングリッドさんと無事にショッピングセンターの駐車場で会い、最初にブッフ・アム・ヴァルトにあるヨハネス・ペッチュのお墓参りに行ってくださることになりました。ここで初めての方に簡単に説明をしておきますね。ヨハネスとは、ローテンブルク近くに住んでいたアマチュアカメラマンで、頑固で元気なお爺ちゃんでした。2007年に初めて知り合い、彼の写真を提供していただいたおかげで『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を出版することができたのです。お連れ合いのフリーデルと共に何回も会ってお喋りをしましたが、彼は2015年に亡くなりました。
 7月23日は奇しくもフリーデルの誕生日だったのですが、彼女は最近足が痛んでよく歩けないとのこと。そのため息子さんたちが迎えに来てどこかでお祝いしてくれるのですが、行き先も何泊するのかも彼女は知らないそうです。フリーデルがお留守でもお墓参りは行かせてもらうと電話で伝えてありました。
 お墓に着いて、まずは花の入れ物をどうしようかと思っていたら、イングリッドさんがご近所の方に声をかけて入れ物を貸していただくことができました。ヨハネスのこともよく知っている方たちでとても嬉しく、お礼を言って花瓶に生けさせてもらいました。


真ん中がそのお花です。ヨハネスが亡くなって4年が経ちました。

 このあと、メッセージカードを供えたのですが、ここに置いておくのでは濡れてしまうからとフリーデルの家に車を回してくださったので、おみやげの緑茶とヨハネスへのカードをお家のポストに入れてからクレークリンゲンに向かいました。

 このクレークリンゲンにあるヘルゴット教会のマリア祭壇は、今回の旅の大きな目的の一つでした。前のトーマス・ブルク牧師さんの代から撮影禁止が強く押し出され、2009年以降、自分の手では撮影できずにきました。牧師さんの代替わりで、2018年に来たときには撮影禁止の札は相変わらず下がったままでしたけれど撮影も大丈夫ですよと言っていただけたので、急いで写したのですが、気がせいていたのと連写で写したのとで全然良くなかったのです。そんな訳で今年は三脚を持参したのでした。ラインハルトご夫妻と京子さんには少し時間がかかるけどとお断りして撮影にかかりました。京子さんはこのマリア様を拝観するのを楽しみにしていたので、ゆっくりとベンチに座って見ていました。ご夫妻は「では、ちょっと家に戻って1時間後にまた来ますね」と帰っていきました。他の参観者もいるので、邪魔にならないよう気を遣いながらアングルを変え、高さを変えて祭壇を写しました。この祭壇の写真を合成して大きく伸ばし、ギャラリーの真ん中に下げたいと思っていたからです。(これが写真展の頁194~198に度々登場する大きなマリア祭壇の巻物です。)
 でも、今までにも何回か書いたように、マリア様のお顔に黒いシミが徐々に広がっている(トップの写真)ことには胸が痛みました。写真展のチラシは2007年8月15日の夕方5時半頃、まさにマリア様に夕陽が射してきたところを撮影したものですが、マリア様のお顔には一つのシミもありません。このシミの原因は何なのか、とても気になります。

 トーマス・ブルク牧師さんが担当する以前のヘルゴット教会は薄暗くて、マリア様のお顔もあまり肉眼ではよく見えませんでした。でもブルク牧師の代に、心の目で見て欲しいと言いながら暗くてよく見えないだろうと思われたのか、天井に灯りを付け、暗くても冬でも見えるように館内の修復工事をしたのです。その2009~2012年の工事に130万ユーロ(仮に1ユーロ120円と安く設定しても1億5600万円!?)かかったため、現在でも寄附を募っているのですが、そのうちの教会負担分が31万5千ユーロ(3780万円)で、今はまだ9万3993ユーロ(1127万9160円、30%弱)しか寄附が集まっていないとホームページに書かれています。(9日に一度アップしたときは私の計算間違いでした。このときご覧になった方、失礼しました。本日10日に修正してアップし直しました。)そこで、写真展の際に何とかヘルゴット教会への寄付を集めたいと思って、チャリティー絵はがきを24種類、各200枚印刷したのです。幸い写真展の最中に皆さんにたくさん買っていただいたおかげで既にこの費用は回収できましたが、残る絵はがきをリターンとして今年中にクラウドファンディングでさらに寄附を募ろうと思っています。その折にはまたご紹介しますので、是非回りの方々に呼びかけていただければ幸いです。

◆再びラインハルトご夫妻と合流。

 このあと、ラインハルトご夫妻が教会に戻っていらして、少し遅めの昼食にと近くのレストランに連れて行ってくださいました。そこでは私たちはイングリッドさんと同じ鱒と野菜サラダを頼みましたがけっこうなボリュームでした。ヴォルフガングさんはシュニッツェルとジャガイモ団子をペロリと召し上がり、大きなお腹をさすっていましたが、全体はスリムでいらっしゃるのにお腹が大きい人を見るとちょっと心配になります。その後、ケーキ屋さんに案内されてどれが食べたいかと聞かれ、ヒンベリーのケーキをお願いしたらその他にも3種類も買ってくださいました。そして坂の上のお宅へ。車を降りたときに眼鏡の蔓が外れているのに気がつき、フランクフルトで修理をしなくてはと思いました。
 外はあんなに暑かったのに中はひんやりとしていてクーラー要らずの涼しさ。庭先には何本もの大きな木が立ち、林の中にいるようです。京子さんはすてき、すてきと喜んで写真を写していました。ケーキとお茶をいただきながらあれこれゆっくりとおしゃべりをしました。その後、まだ帰りの列車まで時間があるからと、連れて行ってくださったのがこちらです。



見ているだけで涼しげでしょう? 何度もローテンブルクを訪ねていますが、ここWirdbadというクアハウス(保養地)に来たのは初めてです。こんな川縁の回廊を散歩しながら劇を見たり宿泊したりする場所のようでした。すてきな一日に感謝です。ラインハルトご夫妻のおかげです。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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