リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

222. 16回目のドイツ旅行(25)ケールからヴュルツブルクへ

2020年07月28日 | 旅行

▶ヴュルツブルクに戻ってきました。

 


こちらは8月5日の写真です。ケールのマルクト広場にあるMutter Kinzig
 Vater Rheinと対になって作られた彫刻。
戦争で壊れ、本像は3代目とか。
 作者はFranz Xaver Reich、1861年作

 

◆2019年8月7日(水)

   旅の移動日は、いつも何かしらハプニングが起きる可能性大です。

  この日もケールからオッフェンブルクまで地域列車で行き、ここから特急でフルダまで向かいます。この間2時間半ほど乗るので指定席をとってありました。早めに支度ができたのでゆっくり乗り換え時間をとった方が良いだろうと、1本前(30分早いのですが)の列車に乗って出発しました。ICEはほぼ時間通りに到着。指定席には婦人が一人乗っていましたが、予約をしていますと言って移動してもらいました。今日は順調にいくかしらと思いきや、フルダ到着10分前にいきなりストップ。またか…とガッカリしました。これがハプニング一つめ
 今日の宿はヴュルツブルク中心部に近いアパートメントを初めて予約し、大家さんと待ち合わせていたのです。結局25分遅れでフルダに到着。乗り換え予定だったミュンヘン行きはとうに出てしまっているので1時間ほど到着が遅れてしまいます。大家さんに電話を入れて午後2時頃の到着になりますと伝え、無事電話が通じてホッとしました。ヴュルツブルク中央駅に近づくにつれて雨が降り出し、到着したころは本降りになっていました。これが一応ハプニング二つめ。移動日にここまで大雨になったのは初めてですから。大きなトランクを転がしながら傘を差すのは難しく、私は雨合羽をもっていたので傘を差さずにトランクと小さなキャリーバッグを両手に持ち、三津夫が一番大きなトランクをもって傘を差しながら歩きました。アパートメントは地図で確認してあったので安心して歩き始めたのですが、この辺りという所に着いても全くそれらしいアパートが見当たりません。これがハプニングの三つめ。またまた大家さんに電話をすると、「ああ、それは建物の裏側に着いちゃったんだわ」といい、「今から行くから待っていてください」といわれてしばし土砂降りの中で佇んでいました。今までグーグルアースの地図で住所を入れればまず間違いなく着くものと安心していたのに、よりによってこの大雨の中。目的地の裏側に着くとは…。しかも裏と言っても簡単に来られるのではなく、大きなブロックをぐるっと回ってくるのですから少々時間もかかります。結局表通りにそのアパートメントは位置していたのです。なんで地図上にこの場所が出てこなかったのだろう。不思議で仕方がありませんでした。

 表通りに出て2階に上がるまで「私はこの通りの年齢(とし)でトランクを運ぶのを手伝ってあげられなくてごめんなさいね」と申し訳ながっていた大家さん。でも怒るでもなく迎えに来てくださったので、それだけでもホッとしました。何はともあれ無事に部屋につき、たばこ臭くなくて一安心。部屋の大きさもチマチマしすぎず、大家さんの説明も親切だったのでさらに安心して荷物を片づけました。


◆まず最初にペーターのお見舞いへ

   このアパートメントのすぐとなりにペーターが足の手術を受けて入院している病院があります。到着も遅れたので急ぎお見舞いへ。受付でペーターの名前を言うとすぐに病室のメモをくれて、迷うことなく彼を訪ねることができました。病室にはイングリッドがお友だちと来ていましたが、挨拶を交わすとじきに町に買い物に行くのでと帰っていきました。足の不自由なイングリッドがここまで来るのも結構大変だろうなと思います。ペーターは肌も艶々輝いていてとても元気そうでした。痛みもまったくないと立って挨拶してくれるほど。良かった。しかも彼の股関節は何回かの手術の間に削られて両脚の長さが違ってきていたので、またそれで痛みが出てくるのを繰り返したそうですが、今度の先生は腕が立ち、両脚の長さまで揃えてくれたんだと嬉しそうに話していました。来週から3週間リハビリにバート・メルゲントハイムに行くそうです。その間もイングリッドは週に一度訪ねてきてくれるとのこと。息子さんたちが車で乗せてきてくれるのでしょう。そんな中で黒人の看護師さんが回ってきて、私たちを紹介されると「私はアジアに行って万里の長城を訪ねるのが夢なんですよ」と元気に語っていました。こんな看護師さんたちのいる病院だからペーターもニコニコ元気でいられるのでしょうね。


◆次は大聖堂へ。ペーター・デル(父)を追いかける旅に変わります。

 昨日まではニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデンを追いかける旅でしたが、今日からはリーメンシュナイダーの弟子であるペーター・デル(父 以下省略)を追いかける旅へと変わります。ペーター・デルの展覧会をフランケン ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館で開いたのは2017年10月15日から2018年7月までのことでした。私たちはその2か月後に博物館を訪ね、カタログを買い求めました。その中に載っている写真の多くはマティアス・ヴェニガーさんが撮影したものだったのです。そのカタログのおかげでまだ見ていないペーター・デルの作品が絞られて、今回の旅でも近くに行けば見ようと計画を練っていたのです。エーリンゲンからノイエンシュタイン城に行ったのもその一環ですが、この後はもっぱらペーター・デルの作品を訪ねていく旅なのです。ここヴュルツブルクでも大聖堂内に彼の作品が2点あると書かれていたので、病院から大聖堂に行きました。墓碑がたくさんある中でこの作品を探すのは結構大変なのでインフォメーションにいた女性にカタログの写真を見せて尋ねてみると、ついていらっしゃいと案内してくれました。同じカタログにもう一点 Loy Hering 作と書かれていた墓碑もあったのですが、それもペーター・デルの作品の近くにあり、写真を写してきました。今回、この写真を載せようと思ってこの日の写真を引っ張り出したのですが、ファイルに入れたはずの写真が空っぽで頭が真っ白になりました。悔しいので次回またヴュルツブルクに行った時に撮り直します。今回は三津夫の写真を載せておきます。



騎士リッター・フクス・フォン・ブルクブライトバッハ墓碑(1540年没)
  Peter Dell der Ältere  1540頃



領主司教コンラート・フォン・ビブラ墓碑(1544年没)
 Peter Dell der Ältere  1545頃



領主司教コンラート・フォン・テュンゲン墓碑(1540年没)
    Loy Hering 1540頃 この3枚は三津夫撮影。いずれもヴュルツブルク大聖堂にて

 

◆ダメ押しのハプニング

  これにて今日の目的は達成。いろいろとハプニングはあったけど充実感をもって魚のフライ、お米や野菜の買い物もし、宿に戻りました。でもご飯を炊こうとしたら、なぜか火が大きくならず、いつまで経っても中火なのです。困って大家さんに来ていただきました。すると「説明書きをちゃんと読みましたか」というので「読んだけどよくわからないのです」と答えると、こうするんですよと言って一度最大火力にし、もう一度カチンと回し直すと二重に赤い火が回りました。これで何とか自炊もできるとホッとしたのもつかの間、その後同じようにやってもちっとも彼女のようには火が回らないのです。この日はあきらめて何とか中火でも炊けたご飯とスープで食事をしました。他は不満はありませんが、自炊のためにアパートメントを借りたのに炊事ができないというのが残念。使い方の問題かもしれませんが、今度シルヴィアに教えてもらおうと思います。

 夜は明日のバス便をチェックして早めに就寝しました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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