リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

220. 16回目のドイツ旅行(23)エーリンゲンからケールへ

2020年07月20日 | 旅行

▶ケールに泊まった理由

 


エーリンゲンのマルクト広場から
何の建物かわかりませんが、8月4日夕方の写真です*

 

◆2019年8月5日(月)なぜケールに泊まることにしたのか、その理由。

 この日は次のケールへの旅で頭と気持ちが一杯でした。ケールはあまり名前を聞かない町ですが、フランスとの国境沿いに位置し、トラムやバスでストラスブールに行けるという地の利があります。ウィキペディアによると1038年に初めて文献に名前が登場し、1338年に対岸のストラスブールとの間恒久的な橋が築かれたそうです。その後はフランスから攻め込まれ、様々に所属が変遷して1953年にフランスの占領下だったのがドイツ連邦共和国に戻されたとのことでした。


 この対岸にあるストラスブールは今回の旅のメイン彫刻家、ニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデンが活躍していた町で、ネルトリンゲンに続いて楽しみにしていた場所です。以前ストラスブールに行ったときには町の中での宿を探したのですが大変料金が高く、近郊のホテルに泊まりました。でも、交通が不便だったこと、ホテルで嫌な思いをしたこともあって、今回はドイツ国内で泊まりたいと考え、ケールで宿を探してみたのでした。
 今日のルートは、エーリンゲン → ハイルブロン → カールスルーエ → アッペンヴァイアー → ケールと、3回乗り換えてようやく着くというややこしいものです。乗り換え時間が少ないと次の列車に間に合わず、1時間待ちは覚悟というルートですが、比較的有名な都市での乗り換えが多いので、何かあっても今日中には着くだろうと計画を立てました。順調にいけば朝8時8分のSバーン4(郊外列車)で出発し、午後1時には着けるはずです。

◆朝食は焼きたての目玉焼き

 エーリンゲンの宿は小さな宿でしたが、「朝食の卵はどうしましょうか」と聞いてきたので、「それなら目玉焼きを」と頼んでみました。なかなかホテルの朝食で焼きたての卵を食べられるようなオーダーはとっていませんから。浴室のしつらえや朝食のサービスを考えると元々小さいながらもある程度の格式をもったホテルだったのかもしれません。ここは朝食込みで1泊95ユーロでした。でも野菜や果物はほとんどなく、昨日のネルトリンゲンの方が宿泊料金も朝食内容も良かったなぁと感じながら朝食を済ませました。

 7時半にはチェックアウトしてゆっくり駅に向かい、45分には駅に着きました。ところが私たちが乗るはずの同じホームS4に列車が既に来ていて、しかも目的地にカールスルーエ何とかと書いてあります。調べておいた列車の目的地は西シュヴァイゲルン行きでしたから、それより1本早い列車のようですが、カールスルーエ中央駅近くまで行くのか別の場所に行くのかわからず近くの人に確かめてみると、やはり最初の予定通りハイルブロンで乗り換えなければカールスルーエまでは行けないと言われました。同じ地名だからと乗ってあらぬ方向に行ってしまうと後が大変。聞いて良かったと思いました。でも予定より早い列車ならハイルブロンでの乗り換えにゆとりができていいだろうと、この列車に乗り込みました。

 ところがこの列車、ハイルブロンまであと2駅というところで突如ストップしてしまったのです。何かトラブルが起きたようで車掌が慌ただしく行ったり来たり。ドアは閉まったままです。中に閉じ込められてしまった乗客の表情が段々険しくなり、ドアを開けろというような殺気だったやりとりがあって、ストップしてから10分後ぐらいでしょうか、やっとドアが開くと、ドドッと下りていきました。こういうときに大きなトランクを持って土地勘がない私たちはどう動けば良いのかわかりませんから、途方に暮れてしまうのです。でも、ごくわずかに乗ったままの人もいたので下りて迷子になるよりは早くスタートすることに希望を繋ぎ、車内でそのまま待つことさらに10分。ようやく列車が動き出しました。ハイルブロン中央駅に着くとすでに乗る予定の列車はないので急いでライゼ・ツェントルム(旅の窓口)まで行き、その後の列車の繋がりをインフォメーションでプリントしてもらいました。あとはこのインフォの通りに何とか乗り継いで11時頃ケール駅に着きました。振り返ってみればハラハラドキドキしたのに、日本で調べていった列車より2時間ほど早く到着したようです。予定では準急で行くはずだったのが特急列車に乗ったせいもあるかもしれませんが、何とも不思議です。やれやれ、本当に乗換の多い日は心身共に疲れます。


◆ケールの町からストラスブールへ

 駅前のホテルではまだお昼前なので荷物だけ預かりますと言われ、トランクを預けて町に出ました。ホテルの直ぐ裏に大きなスーパーがあったので帰ってから少し買いものをしようと話しながら町の中央へ。マルクト広場のインフォメーションセンターでストラスブールへの行き方を教わりました。列車では遠回りになるし、トラムの方がずっと便利ですよと、2日間有効だというチケットを薦められたので買いました。そして、どうせならこのまま一度行ってこようということになりました。今日は月曜日なので、一番行きたいストラスブール・ノートルダム博物館は休館なのです。ですから本番は明日と予定していたのでしたが。

 マルクト広場でソーセージを食べられるお店を見つけて入りましたが少々しょっぱくて喉が渇きます。そのままトラムに乗って駅前まで戻り、2回トラムを乗り換えてストラスブール大聖堂の近くと思われる停留所で下車。やはり乗り換えはあってもそれほど遠いとは感じませんでした。地図を見ながら歩いて行くと大聖堂が見えてきました。中は暗くて人が多いので三脚を立てるのも大変そうです。今日はここまで来ると思っていなかったのでコンパクトカメラしかもってきませんでしたが、明日はもちろん一眼レフをもってきます。でも三脚はあきらめることにしました。大聖堂入口の上の外壁にズラッと並んでいる彫刻群はとても面白く、明日は望遠レンズも持ってきて写そうと決心しました。以前来たときにはここまで興味を感じなかったのに、人間って変わるものですね。下の大聖堂の写真はシュヴェービッシュ・ハルで一緒にドイツ語を勉強していたジョン・フィリップと以前待ち合わせた思い出の場所です。確かこのカフェでお茶を楽しんだのでした。


ストラスブール大聖堂

◆ホテルに戻ってチェックイン。再び疑問が…。

 トラムで帰りながら明日の行き方も練習できてホッとし、良い気分でホテルに戻りました。

 しかし、このあとは前のゲストがなかなかチェックインの手続きを終わらせることができず立ったままずいぶん待たされました。ようやく私の番になった途端に大柄の老婦人がサッと来て受付の若者に何やら早口で、しかも小さな声でしゃべり始めたのです。多分ホテルの関係者だろうとは思いますが、ゲストを待たせながら何だか私のことをあれこれ言っているような気がしてなりませんでした。ホテルウーマンだったらゲストのチェックインが終わるまで待つはずだと思いますし、経営者ならなおさら失礼です。ことばはフランス語で全くわかりませんが 雰囲気というのは伝わってくるものです。段々腹が立ってきました。最後にプイと怒った顔のままどこかに行ってしまいました。私もただ黙って見過ごすのも悔しいので、
「何か私に問題があったのですか? 彼女、私のことを怒っているような感じがしましたが」
と男性の目をしっかり見て聞きました。すると、
「いいえ、彼女は長時間働きすぎて疲れているんです」
と弁護していましたが。
 私がドイツ語で話すせいか、どうもフランス語圏ではお店でもホテルでもツンケンされることが多いのは長い歴史のもたらすものなのでしょうか。今日のドームからの帰り道でアイスクリームとコーヒーを注文したときもそうでした。嫌な思いをしたくなければ英語で話せば良いのかどうか。でも、それもまた悔しいですし。疑問がズシリと重く心に残りました。

 入った部屋は狭すぎず、清潔で文句はありませんでした。駅まで歩きながら探索するとケバブやさんがありました。三津夫はケバブが大好きなので夕食はこれに決定。またスーパーに行って果物や野菜、飲み物を買って部屋に戻り、ゆっくり夕食をとりました。こうした食事はとてもリーズナブルです。夜は明日見る予定のゲルハルトの作品をもう一度しっかり復習して見落としのないように準備しました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする