飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

教室の行為にはすべて意味がある

2021年07月03日 11時20分49秒 | 教師論
担任が教室で授業を行う。
年間にすると1000時間ほどだ。
1コマの授業は、45分。
この中の骨格は、発問・指示・説明になる。
それは大まかな骨格ではあるが全てではない。
この他にも、教師の立ち居振る舞い、所作、視線、言い回しのニュアンス等細部に分析すればいくらでもある。
その行為一つひとつにはすべて意味がある。

スポーツのプロは自分の行動にすべて意味をもたせ、そのルーティーンに基づいてねらいを達成している。
例えば、あのイチロー選手。
「僕のやっていることにはすべて意味がありますから、よく見ていてください。」
と言っている。

1回の表に守備につく場面。
どこからグランドの出ていって、何歩で白線を越えていってというところからすべて決まっている。
規則性があるのである。
ヒットで出塁したあと、彼は一塁のベース上で、人差し指をヘルメットの右耳の穴に指を入れる。
それはリセットのためだそうだ。

授業参観していて、「あのとき、○○君のところで止まったけど、どうして。」「発問のときに、一瞬間をおいたけどどうして」等、教室内で行われる行動、所作には無意識のものもあるが、すべて意味がある。
それが一つ一つ説明できることも必要だ。
優れた授業を参観するときにも、そういった視点で見ることも必須である。

saitani